第9話 233%の大成功
目覚めると朝だった。昨日寝たのは昼だったので、かなり長い間眠っていた事になる。
それだけ眠った事で頭は活性化している。今なら冷静に現状分析ができた。
逃げた強い個体が殺されたのは予想外だった。そいつらが色々な所で繁殖してくれたら、依頼には困らないという算段だったが、こればかりは運が悪かったと割り切るしかない。
次に、そろそろ来るだろう村長の事だ。あと数分もしない内に来るだろう。
その間に朝食でも……ああ、そう言えば無かったんだ。もう食料が無くなっていた。
キーラに貰おうかとも考えたが、その間に村長が来ても困る。だからテントからは離れられない。
悩んでいると、突如として美味しそうな匂いが漂ってきた。これは、カレーか。どうもこの世界の文化水準を考えるに、カレーに必要な多数のスパイスや香辛料が用意できるとは思えないのだが、キーラも作っていたし、この近くには素材が揃う店でもあるのだろうか。
カレーの匂いはだんだんと近付き、ついにテントのすぐ前まで来た。追い剥ぎでもしようかと考え、俺は入り口に近づき、少しだけ入り口を開けて覗いた。
「ああ、よかった。昨日は私の口が足りないあまりに、チズルを傷つけてしまったと思ってね。お詫びに料理を用意したんだが、食べてくれると嬉しい」
外に居たのはキーラだった。彼女はカレーの入った鍋を持ってここまで来てくれたらしい。こんな行為を、信用もできていない男にできるのだから、罪深いものだ。
「ありがとう。なあ……」
「仲間の勧誘ならよしてくれ。複雑怪奇に入り組んだ因縁があって、それが終わるまでは仲間を信用できないんだ。すまない」
再び断られてしまった。俺は俯いた。こんな経験は初めてだ。誰かの言葉や、些細な仕草で一喜一憂し、一憂している最中ですら普段よりも世界が美しく見える。今は絶望しているが、どこか清々しい。だから人間らしく感情を表現できる。彼女の前でだけは、自然と表情が移り変わる。
今は酷い表情をしているだろう。30歳を超えたいいおっさんが、こんな若い子に断られただけで泣き出しそうになっているのだから。
そんな俺を見かねたキーラは、テントの中にドカドカと入り、俺のサバイバルセットから皿を二つ出した。
「だが、友なら構わない。一緒に食事をするような友ならね」
彼女はカレーを皿に盛り、口に入れ始めた。俺はボーッとそれを見ていた。それが不安を煽ったのか、彼女はこう続けた。
「いや、当然チズルがそれでいいならの話だ。私なんて、強い事しか取り柄のない女だ。知恵も度胸も度量もある君には似つかわしくはないだろうが……」
俺は話を最後まで聞かずに、カレーを口に入れていた。
「むしろこちらから頼みたかったくらいだ。こんな弱い俺で良ければ、これからも友達でいてくれ」
キーラは笑って頷いてくれた。最初は利用しようとしか思っていなかった彼女だが、今は彼女になら利用されてもいいとすら思っている。
その後は2人で食事をして、適当に雑談をしていたら夕方になっていた。
「もうこんな時間か。楽しい時間とは過ぎるが早いものだ」
「そうだな。友達はもう帰り時間だな」
「ああ、今日は楽しかった。ありがとう。また何かあったら家を訪ねてくれ。力になれる事ならなんでもしよう。さよなら」
そう言うと彼女はテントから出て行った。残ったのはまだ少し残ったカレーと、空の食器がが二つだけだった。
寂しさを感じながら思い出に浸りたいが、今はそんな場合じゃない。切り替えて行こう。
結局村長は来なかった。家畜が食い荒らされていないとでも言うのか? ならば作戦は失敗している。報復がないと言うのは、それをしている余裕がない事に他ならない。つまり恐らくは、少し苦労すれば食料が取れるアテがあると言う事だろう。
それは不味い。作戦の次の段階に移行できない可能性がある。
村長の能力で殺された数増やした可能性もあるが、そんな事をしているなら昨日文句を言ってきた理由が分からなくなる。
……分からない。考えていても仕方ない。俺は村に確認しに行く事にした。
「チクショウ! こっちも全滅だ! どうやって生活すればいいんだよ」
畜生がやられてチクショウとは、この村人はユーモアあるな。
俺は成功の喜びと、彼のジョークで声を出して笑っていた。
それをよく思わないのは村の連中だ。
「何笑ってるんだ! アンタが守らなかったからこうなったんだろ⁉︎ え! 何が英雄だ!」
またそれか。自称したわけでもないのに、俺の事を英雄英雄と囃し立て、自分の思い通りに行かなければこれか。
「……分かったよ。英雄になってやるから、何をして欲しいか言えよ」
そもそも、俺はゴブリンどもの討伐しか引き受けていない。彼らからの要求はそれだけだったはずだ。だから、俺もそれだけをやった。他の何を犠牲にしても、ゴブリン退治を優先した。
それが不満なら、元からこれをしてくれと言っていればよかった。それを怠った彼らに人を責める資格などない。
だが、英雄なら話が違う。英雄は他人の願いを叶え、不満をいっぺんに背負う便利な存在感だ。彼らはそれを俺に押し付けた。だがら請け負ってやる。
「英雄なら……まずこの家畜を復活させてくれよ」
「復活は無理だが、こんなのはどうだ?」
俺はバラバラになった家畜の残骸の皮を剥ぎ、それを縫合し始めた。
「な、何やってんだ?」
「つまりお前は、家畜にもう一度会いたいんだろ?」
縫合が完了し、家畜のきぐるみが完成した。
それを着ると血生臭いわ、血の感触はするわで最悪の気分になった。
「ブヒィ! あれ? モー! だっけ?」
俺は家畜の鳴き真似をした。だが、畜生の種別なんていちいち気にしていなかった。だがら鳴き声が分からなかったから適当にやった。
「そんな事言ってるんじゃない! 俺らの生活をどうにかしろって言ってるんだよ!」
俺はため息を吐きながらきぐるみの首部分を切り裂き、顔を出した。
「なんだそんな事かよ。てっきり『愛しの家畜ちゃんが僕以外のオスにヤられちゃったよー。もう一度あの子と会って僕もシタいよー』って感動話かと思ったのに、そう言う事なら最初からそう言えよ」
近くに落ちていた肉片を一つ持ち上げ、それを見せつける。
「これ食えよ」
「は……? だってそれ、腐りかかってて、ウジも湧いて……うガッ‼︎」
無駄口を叩いていた口に、肉片をねじ込んだ。声にならない声を出して必死に抗議していたが、俺は『何をして欲しいのか言え』と言ったはずだ。やめてくれと言われれば止めるが、今はそうじゃない。
「なあ、俺はここに来てから、お前らの要望は全て叶えているつもりだ。これで俺は英雄だろ? もう十分英雄だろ? だったら俺に突っかかるんじゃねぇよ」
俺は村人を押し飛ばした。転んだ衝撃で誤って肉を飲み込んだらしく、指を喉に突っ込んで吐こうとしていたが、上手く吐き出せないようだ。
俺は裾からナイフを取り出し、村人の首に当てがった。
「まだ足りてないってなら、手伝ってやろうか?」
「す、すみませんでした……」
村人は怯えきっている。いつの間にか集まっていた野次馬も静まり返り、俺に何か言ってくる様子はない。だが1人を除いた全員が不満げな表情をしている。
その1人というのは、村長だった。彼だけはなぜか微笑んでいる。それがどうも不気味で、嫌な予感がした。彼の笑顔にはどこか覚えがある。とてつもなく悪い事が起こる前兆だった気がする。
俺は急いでテントに戻った。時刻は夕暮れ。夜まで時間がないため急いで準備を始めた。と言っても、必要な物は既に持っている。あとは手順の確認だけだ。何度も確認し、実行に移した。
まずはゴブリンどもの住処の前に移動した。隠れる事もしなかったので、あっさり見つかった。
「グギィィ!」
どの動物とも似つかない奇妙な声で警告している。それ以上近づけば殺すと。それを無視して近づくと、1匹は後ろに、1匹は前に歩き出した。片方は後ろで有利か不利かを見て、仲間を呼びに行くつもりなんだろう。
よかった。俺は2匹とも殺すつもりだったが、一匹で済みそうだ。
敵はプレートアーマを着こなし、軽快に動くゴブリン。村長は子供程度の身体能力しかないと言っていたが、少年兵の話でもしていたのだろうか。それに言葉が通じないのではツッコミもできない。正面戦闘で俺に勝ち目はないだろう。
だが、俺は歩みを進める。挑発するように、挑戦するように、ゆっくりと歩み続ける。
そしてゴブリンが俺の間合いに入った瞬間、先手を打とうと急いだゴブリンは俺の顔に目掛けて飛びかかってきた。俺も同時に袖に隠していたナイフを投げた。
だが、ナイフはゴブリンを大きく外れて明後日の方に飛んで行った。逆にゴブリンの攻撃は俺をしっかり捉え、もう数センチで当たるところまで近づいていた。
「グ、グガァァ……」
瞬間、ゴブリンの断末魔が聞こえた。俺に襲い掛かった奴ではなく、その後ろで見学していたゴブリンの首にナイフが刺さっていた。
仲間の断末魔を聞いたゴブリンは、一瞬そちらを振り向いてしまう。
「警戒不足だ」
隙をつき、俺はゴブリンを蹴り飛ばした。屈強な肉体をしていようが、体躯は子供サイズしかないゴブリンは遠くまで飛んでいった。
生き残ったゴブリンは近くにあった違う穴に逃げこんだ。仲間を呼びにいったのだろう。
俺はゴブリンの死体だけ持ってその場から逃げた。
テントから1匹の家畜を引っ張り、逃げた先はオークの巣だ。着くや否や、俺は石を投げ込んだ。
罠が作動するまでの間に家畜とゴブリンの死体を縄で結び、その横にスイカイチゴの瓶を置いた。
その不可解なオブジェクトが完成すると同時に、オークの群れから警報が鳴り出した。
俺はわざと見つかるべく、入り口付近まで全力疾走した。そうして見つかった事を確認すると、すぐに逃げ出した。
オークどもは俺を殺すべくぞろぞろ出てきた。そして目に入った光景に怒りに悶えた。家畜に細工を施しているゴブリンを見て、今回の一連の事件が、ゴブリンが食料を独占するために画策したのだと勘違いしているのだ。更には空腹で常時腹が立っている。こんな状態の輩がやる事は大体察しがつく。
次の瞬間には、オークの1匹がゴブリンを殴っていた。それを見て、もう一匹、さらにもう1匹と、死んでいるゴブリンを襲い続けた。
ゴブリンに夢中になっている間に、家畜をテントまで連れ帰った俺は、自分の作戦が完璧に進んだ事に思わずニヤついてしまった。
元々は1週間ほどかけて行う予定だったが、この調子なら明日で終わるだろう。
「さあさあさあさあさあ! 見せてくれ! お前たちの最後を!」
瞬間、甲高い金属音が鳴り響く。仄暗い夜の草原に、火花が飛び散る。
始まった。オークがゴブリンの巣を襲撃し、空腹に気が立っているゴブリンはそれに怒り即反撃に移ったらしい。
ここまでほとんど、俺の作戦通りだ。俺では奴らに勝てない。
だがら奴ら同士を戦わせる。生き残った方も相当疲弊しているだろうから、それは俺が倒す。最初から俺が戦う気などなかった。
「酷い戦い方だね」
「こんな物……戦いとも言いませぬな」
俺は聞き覚えのある声にため息を吐いた。リンドブルムと衣笠か。
「うるせえ。俺にはこれくらいしかないんだよ。お? あれ見ろよ。ゴブリンが間違えて仲間殺してるぞ。あ! あっちじゃオーク同士が共食いしてるぜ! いやー、やっぱり戦争はこうこなくっちゃ! 狂気と暴力と死! これだから俺は戦争が好きなんだ。大好きだ。戦争となら結婚してもいいぜ」
「何言ってるの?」
自分でもよく分からない。テンポばかりを優先して言っているので、特に意味はない。ただこれだけは言える。
「俺は戦争が大好きって事だ」
争い殺したり殺される間に、それに生を見出し、殺し合いに快楽を覚える。そんな奴が、
正常な奴は生き残れない。狂った奴は生き残れるはずがない。そんな狂気を無限に繰り広げるのが戦争だ。狂ってなければ戦争ではなく、狂ってなければ戦争などしない。
「戦え! 争え! 殺し合え‼︎ 敵が全滅するまで続けろ。敵が全滅しても続けろ。味方が全滅するまで続けろ。味方が全滅しても続けろ。己の狂気が己を殺すまで、延々に殺し続けろ! それが戦争だ! フハハハハ、アハハハハ!」
日が昇る頃、立っている者は俺たちだけだった。たった3日で依頼を達成したのだ。元の予定からすれば233%の成功。大成功と言っていい。
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