第6話 自戒とは無縁
ジェイドから隠れるために宿を借りた。金は衣笠の懐から拝借した。
安い宿を借りたので、部屋は簡素だが妙に安心感がある。家具も床も木製だから、木の温かみというやつかも知れない。
ちなみにリンドブルムは同じ部屋でいいか聞いたら『え! さ、流石にチズルでもそれはちょっと』と断られた。なので仕方なく2部屋借りた。当然、彼女の分の料金も衣笠の財布から払った。
「ハッ! ここはどこ! 小生は誰!」
目覚めた衣笠は、唐突にそんな事をのたまった。
「ここはお前の金で借りた宿。お前は俺の奴隷の衣笠寛之だ」
「ハハ。冗談ですぞ。しっかり千鶴殿との輝かしい思い出は、しっかりこの脳裏に刻まれておりますぞ」
俺の脳裏にはこいつとワンセットに扱われていた廃れ切った思い出しかないのだが、記憶喪失でもしているのだろうか。
「無駄話はここまでにするが、それで、ここは異世界って聞いたがお前はなんでここにいるんだ?」
「千鶴殿が亡くなったと聞き、すぐに現場に馳せ参じるつもりで信号無視したらトラックに轢殺されたのですぞ」
死に方も周りを見ないで死んだのか。一度自分の悪癖で死んだなら、せめてそれは直して欲しいんだがな。
「それで? その後はどういう経緯でここに来た?」
「それからはよくあるテンプレですぞ」
「テンプレ?」
「そう。テンプレ通り女神が現れ、特典を持たされ、気付けばここに居たのですぞ」
女神らしき痴女はいた事にはいたが、特典など貰っていない。貰える物が貰えなかったのには理由があるはずだ。理由……理由……
「あ! もしかして、初対面でいきなり顔面殴って、腕挫十字固決めたら転生特典って貰えないのか?」
「……初対面じゃなくともそんな事すれば何も貰えないと思いますぞ」
やらかした。空腹の腹いせで殴っていい相手じゃなかったか。
「まあ安心してくだされ。特典とチートスキルは別ですぞ」
「つまり、どういう事だ?」
「特典が貰えてなくとも、チートスキルは生まれる時に勝手に身に付くのですぞ。小生の貰った特典は全属性魔法使用可能、身体能力の向上、自動翻訳能力、レベルの概念、ステータス表示、最低限の知識と金銭でしたからな。植物を操る能力は正真正銘、小生のチートスキルですぞ」
それを聞いてどう安心しろと言うのか。特典が強すぎてチートスキルが霞んで見える程の差があるじゃないか。一つ一つがめちゃくちゃな能力がこんなに……
「ん? なあ、自動翻訳って、この世界の言語は日本じゃないのか」
「ええ、その通りですぞ……ってあれ?」
こいつも違和感を感じたか。特典を貰っていない俺が、何故この世界の言語を理解できたのか。
今思えばおかしな事がいくつかあった。俺は戦術書ばかり読んでいたはずなのに、何故かサバイバルの知識があったり、狼について習性や速度、持久力まで知っていた。この宿を借りた時もそうだ。物価など知るはずもないのに安いと思ったり、会計も特筆する事がない程にはスムーズに終わった。知るはずのない知識が、何故これだけあるのだろうか。
突如として自分が薄気味悪い化け物に思えてきた。自分が自分ではないような錯覚に陥り、気分が悪くなってきた。一体俺の頭はどうなってしまったのだ。
原因を考えようにも、俺はこの世界に疎すぎる。最高難易度の数独をやらされている気分だ。推理するだけの情報が足りていない。だが、犯人だけは見当がついた。
「……あの
「落ち着いてくだされ! 大体、どうやって殺すのですかな」
「ンなもん、俺のナイフで……」
「違いますぞ。女神の居場所が分かるのですかな?」
分からない。分かるはずがない。俺は黙り、無力感に任せて自分の足を殴った。
「とりあえずは情報を集めましょうかな。なに、小生のチートスペックなら大抵の場所には潜入調査ができますぞ」
「お前、協力してくれるのか?」
「当然! この衣笠寛之、友の窮地をほっとける程畜生ではありませぬぞ!」
そう言って胸を張り、その胸を叩いた。衣笠は頭がおかしいだけで悪い奴ではない。
「そうと決まれば小生は早速……失礼!」
言い終わると同時に衣笠は姿を消した。これも魔法なのか、もしくは目にも留まらぬ早技で逃げたのか……おそらく後者だ。魔法がそこまで便利な気がしない。もしそうならそれを生活に組み込むことで現代社会を超える便利さが実現可能だろうに、洗濯機や車、テレビや長距離の連絡手段の他にも、家電製品の利便性にかなう物などはほとんどないのだから。
……どうせ知らない知識があるなら、家電製品の作り方を知っていれば金には困りそうになかったんだが。知らない事は仕方ない。
そんな事考えている暇があれば、衣笠がいない間の身の振り方を考えなければ。俺には特別な力がない……いや、そう言えば心当たりがある。ちょっと試してみたいな。
都合よく扉からノック音が聞こえた。リンドブルムだろう。俺は快く扉を開いた。
そしてそのまま閉めた。外に居たのはリンドブルムではなく、今にも泣き出しそうなジェイドだったからだ。
「チズル? 開けてよ……お願いだから……」
咽び泣きながらそう言っているが、こいつとは関わりたくないので無視しよう。折角能力を試そうと思ったのに。
……いや、こいつで試すのも悪くないか。俺はもう一度扉を開いた。ジェイドは既に頬に涙を流していて、袖で拭き取ってはいるのだが、だいぶ汚らしく、普段なら近寄る事すら躊躇っただろう。
「大丈夫か? とりあえず入れ」
「うん……ありがと」
ジェイドがしっかり部屋に入ると同時に、俺は部屋の鍵を閉めた。
「訓練場のみんな、最初は優しかったのに、家のこと話したら『出てけ』って……でもこの街で頼れる人はチズルしかいなかったから……仕方なくて……」
何も聞いていないのに独りでに話始めた。少しも興味がないので黙って欲しいんだが。
「そうか。ところで、俺に殴られてくれないか?」
「えっ?」
ジェイドが間抜けな声を出している間に、俺の拳は彼女の腹を打ちつけていた。
「……びっくりしたー、本気で叩かれるとおもった」
俺は本気だった。これまで俺の本気の拳は彼女を怯ませたり、ぶっ飛ばしたりしていた。だが彼女は今のを攻撃を攻撃と認識できないほど、俺とジェイドの実力はかけ離れている。
何故こんな威力に乖離があるのか。それはそのはず。それが俺の能力だからだ。これまでの攻撃はツッコミを入れながら攻撃していた。だが、今回は彼女が何かボケる前に攻撃した。
ツッコミの威力が増す能力。最初に馬鹿馬鹿しいと一掃した能力こそが俺の力だったらしい。
ならば、改めて言わせてもらおう。どう使うのだ、この力。これが俺のチートスキルだと言うのなら、それは一つのボケみたいな物だ。今度女神に会ったらこの分もツッコんでおこう。
さて、試したい事は試したし、ジェイドはどうやって追い出そうか。とりあえず適当な会話で自然と退室ねがうか。
「冗談だよ。お前と違って何にもなしに本気で殴るわけないだろ」
ボケがなければ全力で殴れないからな。
「だよね。チズルもそんなに酷くないよね。そんな人だったらまた襲わないといけなかったから、よかったよ」
「そう言えば、お前から殺気が出てないんだが、もう俺は見逃してくれるのか?」
「うん。最初は私がお腹減ってて食べようとしたのが悪いし……あ、でも他の人に迷惑かけたら許さないよ」
面倒だな。何故俺の周りには面倒な奴が集まってくるんだ。聖人君子ならぬ聖人軍師な俺なら、もっと頭が良くて、優しくて、強い完璧人間が集まってもいいと思うんだがな。『類は友を呼ぶ』と言うし。
「どうしたの? 難しい顔して」
「いや、お前に頼みがあってな」
「なに?」
「ーー出て行ってくれ」
「やだ」
「そう言うと思っていた。だが聞いてくれ。俺の周りにはロクでもない奴らが集まってくるんだ。素晴らしい俺には、素晴らしい仲間が似合うと言うのに。俺の仲間を知ってるか? 自分の放つ熱で脳を蒸発させちまった女と、兵器にも勝る力を手に入れた厨二病のキモオタだぞ。控えめに言って最悪だろ」
最初は力さえあればいいと思ったが、あの性格では無駄な争いが絶えないだろう。争いは嫌いではないが、時と場合を選ばなければ楽しくならない。それを弁えていないあの2人は、数日としない内に取り返しのつかない事態に陥る事だろう。
「それと私になんの関係があるの?」
「類は友を呼ぶって言うだろ? あいつらはお前の友だ。俺に擦りつけないでくれ。頼むから友を連れて帰ってくれ。土に」
「いや、どう見てもあなたの友でしょ。うーん。でも確かにチズルって変な人が集まるよね」
「その変な人材も、お前が連れてきたんじゃないのか」
「いや、人材じゃなくて、人選? 毎回そっち選ぶかーって人選んでるんだよね」
俺はこの世界に来てから人を選んだ事なんてない。選択肢などなく、半強制的にできた仲間が今のメンバーだ。
「例えばキーラさんって居たでしょ?」
「ああ、居たな」
「あの人、私が全力出しても、魔法使っても勝てないよ。魔王さまより強いかもね」
……は? そんなに強かったのか。通りでリンドブルムが手も足も出なかったはずだ。
「キーラさんはチズルの事気に入ってたし、あの人が仲間だったら今頃何にも怖い事はなかっただろうね。それとあの龍人を売ってくれた奴隷商さん。あの人が魔法が使えるのかは知らないけど、魔力だけなら私と同じくらいだったよ」
言われてみれば、俺では全く制御できないリンドブルムを制御していたのだから、普通ではないな。だとしてもそれだけ強いだなんて誰が思うだろう。
「奴隷商さんは優しいし、お金もあるし、奴隷がそれこそ売るほどいるわけでしょ? しかもみんなに慕われている。なんであんな人が奴隷商なんてしてるか不思議なくらいいい人だったのに。あとは教官さんも……」
「もういい。なんだよ……俺ハズレくじ引かされっぱなしじゃないか」
「そうだね。神様に悪さでもしたのってくらい運が悪いね」
神様に悪さ? そんな事前も言われたが……あ、そう言えばあの女神も一応神なのか。
「なあ、もし、もしもの話だが、いきなり神様の顔面殴った挙句、腕挫十字固決めたら天罰としてこんな運になると思うか?」
「神様がどんな人か知らないけど、よっぽど優しくないとそうなるでしょ……どうしたの?」
俺は額から汗を吹き出しながら顔を真っ青にしていた。やってしまった事の重大さに気づき、激しく懺悔した。その女神がどこの宗教の神で、どんな祈祷が正しいのかは分からないが、とりあえず膝をついて顔の前で十字を切った。
「ああ、主よ。どうか私の失態をお許しください。贖罪は今日の食材もない私にはできませんが、この祈りをが届いたのならば私の厄災をお払いください」
心を入れ替えた私の願いが届いたのか、ジェイドは怯えや恐怖、嫌悪感が混ざった、虫か何かを見る目でそそくさと退室した。これで私の悪運も消え去ってくれたのだろうか……
「しゃあ! 騙されやがったなクソ女! 失態? 贖罪? 俺の人生には贖罪しなきゃなんねー失敗なんて一つだってねぇんだよ! バーカ! ハハハハハハハ!」
俺は意気揚々と宿を飛び出した。これまでの呪いのような悪運が消えたのなら、当然次からの出会いは素晴らしい物になるはずだからだ。次の出会いに想いを馳せながら、俺は特に理由もなく街を闊歩した。
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