第3話 奴隷の奴隷

 逃げてる内に朝になっていた。気付けば森と外の境目に立っていた。忘れてるかもしれないけど、今腹の調子が悪い。さらには寝不足、空腹、体調不良と、状況は最悪以外の何物でもない。


 まあでもナイフはある。無人島に持っていきたい物ランキング1位のナイフ様があれば大抵の事はどうにかなる。


 最強と名高いスパルタ軍は、敵に槍を折られた時はナイフのような短剣で反撃していた気がする。やはりナイフが最強なのだ。


 そのただでさえ最強のナイフに、今回は毒を塗った。あのスイカイチゴの毒だ。予備の毒も瓶に入れて、側から見ればイチゴジャムにしか見えないようにしている。


 あのスイカイチゴの毒は弱いが、直接差す事ができればその部位を壊死させる事くらいできるのではないだろうか。


 俺はナイフを袖に隠して、いつでも取り出せるように工夫すると、そのまま森を出た。


 日光を遮る物がないため、身を焦がすような光と熱を浴びる。目が開けられないほど眩しいし、肌に痒みとも痛みともつかないような感覚を覚える。引きこもりにこの日射は厳しい。


 それともう一つ厳しい事がある。それは、森から出た途端に見知らぬ人々に囲まれた現状だ。日光にも負けないほどの熱視線が、俺の心を焦がす。


「な、なんだ?」


「昨日この森に入った者たちが戻らないんですが、何か知りませんか?」


 俺の作ったトラップに引っかかった奴らか。俺からすれば、危険な夜に森に入った馬鹿が悪い。


「知らないな。ああでも、悲鳴は何度か聞こえた気がするから、もしかしたらそいつらかもしれないな」


 すると、若い女が俺の胸倉を掴んで病的に叫び出した。


「何で助けなかったのよ!」


 それをガタイのいい男が抑える。


「待て、落ち着け。すみません、こいつ旦那が居なくなって気が動転しているんです」


「気にしていない。それより、早く救助に行ったらどうだ?」


「そうしたいのは山々ですが……この森には、朝に入ると災厄が訪れると言う言い伝えがあるのですよ。なんでも朝にだけ紅い宝石のように綺麗な果実を成す植物があるらしいのですが、それを口にすると、一週間の間、死んだ方がマシと言うほどの腹痛に襲われるらしいのです。その悪魔の植物がもたらすと言われる厄を恐れ、みな夜にのみ狩りに行くのです」


 ……まさかスイカイチゴじゃないよな? 確かにイチゴは紅い宝石のように綺麗だし、夜には見てない気もするけど、まさかそんな事……もしそうだとしたら、この痛みが一週間? なんだかそれだけで胃が痛みそうな話だ。


 でもそれより気になる事がある。あの男達は夜まで逆さ吊りで放置される事になる。そんなの人間が耐えられるわけがない。善人ぶる気はないし、俺のせいで人が死んでも良心の呵責などないのだが、発覚した場合の復讐が怖い。


「仕方ない。俺が助けてくる……って、お前らどうしたんだ?」


 俺を囲んでいた奴らは一歩ずつ後ろに下がったかと思うと、顔色を変え、俺に背を向けて走って逃げ出した。


 何かと思い後ろを見た瞬間、俺は気付いた。巨大な何かが木々をなぎ倒しながら迫ってきている。


 それはよく見れば、数十人の気絶した人間と、それを背負ったジェイドだった。それがもう目と鼻の先まで来ていた。


 森を出た瞬間にジャンプしたジェイドの膝が、俺の顔面にクリーンヒット。


「ウグハッ‼︎」と言いながら俺は後方にぶっ飛ぶ。俺とぶつかった衝撃で、ジェイドは背負っていた人達を落としてしまった。まあ死ぬ高さまで積んでいたのではないし、怪我はしても命には別状はないだろうから問題はないけど。


 それよりも、どうやら俺がここまで来る間に、彼女は全員助けて回ったらしい。


 これには周囲も大歓声を上げながら、俺を無視して踏みつけてジェイドに駆け寄る。


「まさか旦那が戻って来るなんて……アンタは命の恩人だよ!」


「ええ? 私は困っている人がいたから助けただけで……」


「ありがとう! 君はこの村の英雄だ! 獣人だろうが関係ない。是非歓迎させてくれ!」


「いいの? 私、狼だよ?」


 まるで池に餌を投げ入れた時に魚が集まるように、ジェイドに人が集まる。


 同じ人が集まるでも、登場の仕方が違えばこうも違うのか。


 いやいい。他人には興味ないから悲しくない。今頬を伝う液体は、さっき踏まれた事に対する涙だ。


「ああ、まだ居たんですか」


 村人は心ない声を浴びせてきた。


「そりゃ居るよ」


「問題も解決したので、もういいですよ。あ、村に入りたいなら、ご勝手にどうぞ」


 村には入っていいらしいが、なにか釈然としない。俺はあらぬ疑いをかけられ――てないけど、あんな扱いをされて何にもなしなんて、気に入らない。


 そんな事考えていてもどうしようもないので、今度焼き討ちにするので許すとしよう。


 村に入ると、家が多い田舎と言う印象を受けた。木造の家ばかりだし、一つ一つの家がとても大きい。それでも、それよりも畑の方が幾分か大きいところも田舎らしい。時代に置いてかれたかのような、長閑な景色が広がっていた。


 だから"それ"がとても浮いて見えた。


「いらっしゃい。奴隷商を見るのは初めてか? 旅人ならちと見栄えが悪いかと思うが、掘り出し物があるかも知れない。よかったら見て行ってくれ」


 彼の背後にはずらりと見すぼらしい服を着た、10歳くらいの子供から、50歳くらいの年配まで、老若男女問わず座っていた。


 ただし、その人達は全て笑顔で、服以外はとても奴隷とは思えないほど幸福そうな人達が集まっている。まあ元々奴隷は、その主人と良好な関係を保っていたと聞くし、意外とこんな感じなのか。


 その中でも気になったのが、髪と目が赤く、手入れがされていないボサボサのロングヘアーをした20歳くらいの女。幸福とは少し違う、自信に満ちた笑顔をしていたのが、とても目を引いた。


「おいそこの男」


 俺がジロジロ見ていたのが気に食わなかったのか、赤い女はいきなり話しかけてきた。それに面食らっていると、奴隷商の男が顔を真っ青にして、その女の頭を平手で叩いた。それは音こそ大きいけど、あまり痛くなさそうな印象を受ける。仲のいい友人同士の小付き合いみたいな感じだ。


「お前バカッ! お客様に失礼な口を利くな!」


「構わないぞ」


 俺がそう言うと店主はバツが悪そうな顔をした。


「お前、僕を買いなよ」


「随分直球な要求だな。お前は何ができる?」


「お前じゃない。僕はリンドブルム。炎龍と人のハーフ、つまり龍人だ。お前みたいな人間より数段崇高な存在だ」


 ちょっと気になったが、龍が居るのは良いとして、こいつの言葉をそのまま取るとすれば、龍と人が夜の営みを経てこいつを成したと言う事か。サイズの差とか色々問題がありそうだが、両親は相当頑張ったんだな。


「お前、それ両親に言ってみろよ。多分勘当されるぞ」


 片方の親は人間なんだから、人間を愛したドラゴンからしても、人間を見下した言葉は許せないだろう。


「む。両親は勇者に殺された。僕はどうにか生き残ったけど、この通り奴隷商に売り飛ばされてしまったんだ」


「おお、それは悪い事を聞いたな。で、お前は何ができるんだ?」


「は? 僕は炎龍の血を引いているんだぞ? 火の使い方が最強に上手いなんて、考えなくたって分かるだろ? これだから人間は……」


 なんだ最強に上手いって。SNSに脳味噌乗っ取られた若者でもそんな馬鹿げた日本語使わないだろう。


 どうやら、こいつと話していても疲れるだけらしい。


「もういい。おい奴隷商」


「なんだ?」


「どうしたらこんな上から物を言う奴隷が出来上がるんだ? 奴隷じゃなくてもこんな奴いないぞ」


「うーん。こいつばっかりは知り合った当初からこんなんだからな」


「なら殺処分したらどうだ? 流石に邪魔だろ」


「それが龍人のこいつは、耐久も耐性も、人の100倍はあってな。それなら殺処分の費用も100倍掛かるんだ」


「事情は分かったが、なんだ、今更で悪いが俺は金を持ってない。一応日本円はあるが、これを使えるとしても10000円しかない。これは親に『お腹が減ったら出前でも取りなさい』と言われて渡された金だから、ここで使う事もできない」


「デマエ? ニホンエン? よく分からんが、金が無いのに声掛けて悪かった。まあ、欲しいならこの奴隷は無料でやるよ。食費ばっかり高くて邪魔だしな。見た目はいいし……そう言う用途なら使えるかも知れない」


「なんだ? 龍の血を引いているなら強そうだが、土木作業とかに使えないのか?」


 すると黙っていたリンドブルムが口を開いた。


「何故僕がそんな事をしないといけないんだ。僕の様な高貴な存在が買わせてやると言っているんだから、お前は黙って奴隷になればいいんだ」


「……この通り、どんな仕事も卒なくこなせるのにも関わらず、こいつは何もしたがらない。だから売れてもすぐ返品される。それだけならまだしも、短気で、その現場で誰かがナメた態度取ればすぐに喧嘩する。そんで無駄に強いから相手は即病院送り。それをもう両手で数えられないだけやらかしてな」


「両手って……片手幾つだよ」


「5に決まってるだろ」


「お前がヤクザな人なら片手4ずつかも知れないし、インド人は片手で16まで数えられる。二進数を使えば片手で31まで数えられるんだぞ。自分の常識を他人に押し付けるな」


「ああそうか。悪かったな。ついでにその数え方を教えてくれないか?」


「ああ、まず各指に数字をつけてな……」


 俺が手を出した瞬間、奴隷商は思いっきり引っ張り、掌に魔法陣の書かれた紙を置き、その紙に血の様な赤い液体を垂らした。


 それが眩い光を放ったかと思うと、次の瞬間には紙も血も消え、その魔法陣が掌に移っていた。タトゥーみたいな感じだ。


「おい! なんだこれ⁉︎」


「隷属の魔法だ。これがあれば『普通』の奴隷なら絶対の命令を出せる。まあ可愛がってくれや」


 次は魔法か。本当よくファンタジーな単語が出てきて困ってしまう。まあそれより、もう一つの問題に困っているが。


「ふざけんな! 俺は廃品回収業者じゃねーんだよ! ゴミを押し付けるな!」と俺は心からの願いを口にした。


 すると、火の玉が俺のすぐ横を通った。


「よろしくたのむよ。一応言っておくけど、上下関係を間違えた場合は消し炭になるから気を付けてくれ」


 リンドブルムの体の周りに何個も火の玉が浮いていて、この周りの温度は高くなっている。にも関わらず、俺は冷や汗をかいていた。振り向くと遠くの山の一部が消し飛んでいたからだ。


「あ……ああ、よろしく……リンドブルム」


 火の玉が俺の周りを踊り始めた。リンドブルムが不機嫌そうな顔をしている。


「態度がなっていないなぁ。僕は優しいから許してあげるけど、次はないからね」


 火の玉はリンドブルムの元に帰っていった。


 これは、言葉を選ばなければやっていけない。


「よろしくお願いします、リンドブルム様」


「うん、よろしく。えーと、名前はなんだっけ?」


「渡貫千鶴だ」


「ん?」


 火の玉が俺の服をチリチリと燃やし始めた。


「渡貫千鶴です!」


「そう、チズルだね。僕の最初の眷属として胸を張るといい」


 こうして俺はリンドブルムと言う奴隷を貰ったはずが、いつの間にか俺が奴隷になっていた。

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