第十一話 クロコールの村-1
ええ! ええ、そうですっ!
ちょうど向こうの小高くなってる丘の辺りからね! 化物みたいな体躯の何かが、ものすごい速さで通り過ぎて行ったんですよ!
ヤギのような……いや、ヤギなんて可愛らしい生き物を話に出すのはどうかと思うんですがね、馬鹿でかい捻れ角が生えていました。それから、青銅のパイプみたいな爪がものすごくてね!
あんな生き物は見たことありません。いや、そもそも本当に生き物だったのか……。
信じられますか? そいつは後ろ脚をたわませて、ほんのひとっ跳びで……ええ、そう! ただの一跳びです。全く驚くべき話ですが、たったそれだけで、ここからあっちの丘の向こうまで消えて行ったんですよ!
冗談でも見間違いなんかでもありゃしません! 早いところ捕まえるなり退治するなりして頂かないとねぇ。ええ、ええ、ここいらの人間はおっかなくて、夜も満足に寝られないってもんですよ!
-辺境警備に当たっていた警兵の聴取記録『上級魔獣の目撃談』-
♦︎
「それにしても、一体何者なんでしょうか。その……ルギフの一味、でしたっけ?」
アリアが、単調な行進にしびれを切らしたようにそんなことを口にしたのは、ちょうど村を出発してから一時間ほど歩いた頃だった。三人は今、山賊の一味の根城にしている洞窟を目指して、その進路の途中にある森の中を進んでいる最中だった。ここいらはよく、村娘が木の実や石を集めるのに利用していたらしく、マテルナにも勝手が分かるのだと言う。
森とは言っても、かの広大なヨルム大森林のような鬱蒼と茂った樹海ではなく、木々の隙間から漏れる光で明るく照らされた木漏れ日の道である。どこからか樹皮と緑の香りが淡く漂ってきて、柔らかな土を敷いた地面は長歩きの足にも優しいクッションのような床となっていた。これならば、村娘がよく利用していたというのも頷ける話だ。
レミルは、アリアの問いかけに対して、時折葉を落とす森の木々の様相を眺めながら返した。
「どうしたんだよ、急に」
「だーってぇ、妙じゃありませんか? 話を聞いた限りでは、そいつらは魔獣を操るって話ですよ? そんな技術、大陸で聞いたこともありません」
「まあ、確かにな」
アリアの最もな疑問に、レミルは腕を組んで頷く。そこでチラリと横目でマテルナの事を見やるが、彼女は昨日と同じくどこか心ここにあらずと言った感じで、ぼんやりと中空を眺めていた。何か気がかりなことがあるのか、とレミルは声をかけてみる。
「あんたはどう思う? マテルナさん」
「……え?」
不意に話を振られて、マテルナは思わず聞き返した。それから、何かを振り払うように首を振り、動揺した様子で答える。
「あ、ああ、そうですね。……すみません、よく分からないです、村の外のことは」
「村の外のこと……ですか?」
「はい。魔獣がどうとか、山賊がどうとか、いまいちピンと来ないんです。村が大変なのは分かるんですけど、村から出たことがないので……」
「なーるほど、つまり世間知らずってわけね」
「ちょっと、言い方をどうにかしなさい」
すかさず歯に衣着せぬ物言いをするレミルを窘めるアリア。それに対して、マテルナは首を振って。
「ううん、いいんです。レミルさんの言う通りですよ」
そう言うと、木々の隙間から覗く青空を見上げて続けた。
「クロコールの村は、すごく閉鎖的なんです。外との関わりはあまり持たないし、人数も限られてて、村人が外に出ることにも億劫で、良い顔はしません」
「保守的、ということですか?」
「言ってしまえばそうですね。別に外の人間を拒んでいるわけではないんですが、そもそも旅人の方なんかもあまり来ませんし、村の若者の数も限られてて……特に女性は、外の世界に出ていくことなんて許されません」
「へえ、今どき珍しい」
他人事のように感想を述べるレミルに、マテルナは苦笑する。
「外から来た冒険者さんから見たらそう映るかもしれませんね。でも、この村ではずっと、それが普通だったんです。そんな風習が当たり前に続いてた」
「言われてみれば、いくらデルクラシアの外れにあるとは言え、あまりにも情報の少ない村でしたしね。公道からも随分外れていましたし、パンネッタさんがいなければ私たちがやってくることもなかったでしょう」
「ええ。ここから一番近くの街にだって、出稼ぎに向かう男の人が、数年に一度、出るかどうかという程度で……だから、村の外からルギフの一味がやって来た時も、本当に途方もなくて」
かつてのことを思い出しながら、マテルナは目を細めた。
「現実味がありませんでした。私たちには未知のものだったので、彼らがどれくらい危険な存在なのかもよく分からず……ただ、村が危ないということだけが分かって、それで……」
「大人しくそいつらに従うことにしたってか?」
「……はい。最初は抵抗もしたんですが、一味が操る魔獣の力は恐ろしくて。それに、あの方。偶然、村の外からやって来たストアさんという方が詳しく説明してくれて。それで私たちも一味の恐ろしさを理解したんです」
「あいつ、か」
レミルは、村にいた長身の白衣姿の男を思い浮かべる。個人的には何となく、あまりいけ好かない雰囲気だったので、会話はほとんどしないように務めていたのだが。あの男、魔導研究施設の職員だなどというお誂え向きの男が、村の襲撃に際して居合わせたのは本当に偶然だろうか、とレミルには疑問だった。
「ストアさんの助言に従って、ひとまず大人しく彼らの言い分を聞くことにしたんです。そうしたら……」
「連中の要求は、マテルナさん含む村娘の身柄だったんですよね?」
「……はい、そうです」
そこでマテルナは拳を握りしめ、唇を噛んだ。当然といえば当然だが、やはりどこか思うところがあるようだ。
「最初はみんな、断固反対しました。例え村の安全がかかっているとはいえ、若い子たちの身を危険に晒すなんて、と」
「まあ、当然の流れだな」
「でも結局、彼らには逆らえなかったんです。最終的には大人しく、要求を飲まざるを得なくなって……」
「ふうむ、しかし……」
そこで、アリアが顎に手をやり、考え込む。レミルには、どことなくその仕草と口調は、リアスを真似ているように見えた。それだけ慕っているということだろうか。
「当事者であるマテルナさん達……つまり、村の若い女性達は反抗しなかったんですか?」
「えっ?」
マテルナが短く漏らす。それに対して、アリアは人差し指を立てて、最もらしく続けた。
「どこから来たかも分からない、恐ろしい魔獣を連れた山賊に自分たちの身柄を引き渡されるなんて、そんな不気味なことはないでしょう? 例え村がそう決めたとしても、本人たちは納得は出来ないと思いますが」
「だって、相手は大の男がかかっても敵わないような生き物を操っているんですよ? 逆らえるわけないじゃないですか!」
突然、たがが外れたかのように早口でまくし立てはじめるマテルナ。ずいっとアリアの方に身を乗り出し、気分を害したというよりはどこか必死な、追い詰められているような面持ちで、感情に任せて言葉を並べ立てる。その様子に気圧されて、アリアは思わず怯みながら一歩後ずさった。
「この村には、あの一味に対抗出来る手立てなんてない、それくらい分かります! それに……もしどこかに助けを求めに出たりすれば、それが一味の耳に届いたりすれば、大変な事になります! 見たでしょう? パンが私を助けようとしたばかりに、あんなことが……」
「え、ええ、それはまあ」
「かと言って、外の世界との関わりのないこの村に、どこかから助けが来る希望なんてないに等しかった!どうしようもなかったんです。ストアさんも打つ手がないと。それで、彼らの要求に従うしかないって……」
「まあ待てって、近いぞ」
そこで、レミルが高ぶったマテルナの肩を叩き、制止にかかる。
「っ!」
気がつけば、マテルナはアリアの鼻先すれすれにまで迫っており、お互いの吐いた息を吸うような距離だった。完全に戸惑った様子のアリアは、マテルナが我に返ったのを見て一瞬気まずそうに目を逸らした後、「なはは」と困ったように笑う。
それを見て、慌ててマテルナは飛び退き、必死に低頭するのだった。
「ご、ごめんなさい。つい、その……当時のことを思い返していたら、混乱してしまって……」
ようやっとマテルナが離れたのを確認して、アリアは胸をなでおろし、息を吐く。
「ふう。いえ、お気になさらず。私の方こそ、嫌なことを聞いてしまったかもしれません」
「……」
アリアの気遣いを受けて、マテルナは目を細めた。そして、自分の足元を見つめながら、ぽつりと言う。
「その……実は、私たちの方から言い出したんです」
「……へ?」
その言葉に、アリアが思わず聞き返した。
対して、マテルナは少し躊躇した様子を示す。が、すぐにここで黙り込んでも埒が明かないと判断して、言葉を続けた。
「村のために、私たちが自ら自分たちを差し出そうって決めたんです」
突然飛び出した、にわかには理解し難い事実にアリアとレミルは驚いて顔を見合わせる。それからアリアの方が首を傾げて尋ねた。
「それは……でも一体なぜ?」
「……」
自己犠牲と言うにもどこか抜けているというか、ある意味雑把なようにも思える。かと言って、それ程村に愛着や忠誠心のようなものが芽生える年頃にも思えない。一体なにが、彼女達にそのような選択を迫ったのだろうか。
「私たち、力はないですし、外の世界のことも何も知りません。だから、やっぱりあんな山賊の一味には到底敵いませんし……逆らったら何をされるか分からないじゃないですか」
「つまり、大人しく向こうさんに捕まっといた方が安全と踏んだってわけか?」
レミルが頭をかきながらそう聞いてくる。
「えと、はい……そうです」
「なんだか歯切れが悪いですね。本当にそれだけで自分の身を危険に晒そうだなんて思えますか?」
「……」
マテルナはそこで、何かに臆するように目を瞑った。それから何やら思案するように眉間に皺をよせ、唇をへの字に曲げた。それから、ゆっくりと口を開く。
「一人だけ、いたんです」
「……いた?」
「はい。とても明るくて、正義感が強くて、村の女の子のまとめ役をやっていた……そんな子が」
「いた……って言いますけど、それは、一体……?」
「カナ、という名前の子です。長い黒髪に、優しそうにたれた瞳とそばかすが特徴的な、愛嬌のある女の子でした。明朗で屈託がなく、いつも何をしてても、木の実を集める時も、紅を作る時も、小山から村を見下ろす時も、みんなの中心にいる……そんな子でした」
「いわゆるリーダー格ってやつか」
なるほどねと腕を組み、レミルが頷く。
「はい。多分みんな、彼女のその前向きで、一歩先を歩いて行ってくれる姿に憧れていたと思います。そんな彼女が……」
マテルナはそこで一度言葉を区切り、空を見上げた。いつの間にか日はかなり昇ってきているようで、木々の歯の隙間から差し込む光が彼女の顔に射し込む。それを浴びて、マテルナは眩しそうに目を細めた。
「真っ先に申し出たんです。自分が一味の元へ行く、と」
森の景色は、木漏れ日を浴びて包み込むように柔らかい。鼻通りのいい涼しい空気と、音が周囲に染み込むような静けさの中、ポツリポツリと話すマテルナの声だけが、三人の周囲を満たしていた。
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