終焉やぶりし調律者

 私の世界は灰色だった。色付いたことが、無いわけではない。けれど、それでも「私の人生は灰色だった」と断言できる。

 ――彼女が死んでしまったあの日から。


「我、ここに願わん。この血肉をかてとし、死者住まう国よりの者を此岸しがんへと返したまえ」


 空気が流れ、伸びきった髪がふわりと浮く。鶏の血に墨を混ぜてえがいた術式は明るくともり、その複雑な紋様の中心に置いた供物くもつが暗くぬかるんだ床に沈んでいく。

 今度こそ。積み重ねた失敗も苦労も払拭ふっしょくされる結果になることを信じて、かざしたままの手から術式に魔力を込め続けた。

 小さな破裂音がして室内が煙で満たされる。思わず目を閉じてしまったが、息苦しさの無い不思議さにすぐ開いた。

 術式の中心にうずくまる、黒い影。さきほどまであった供物くもつと異なるのは、それが身を起こしたことだ。さらりと長い髪が流れ、がれた相手が立ち上がる。

 初めは黒かった全身が、少しずつ本来の色を取り戻していく。血色の良い肌、栗色の髪、そして開かれたまなこの藍色。


「トーヤ……分かる?」

 自分が何者なのか、私は誰なのか、私たちがどんな間柄であったのか。抽象的でいて、けれど最も的確な問いかけだった。

 頭を抱え、うめき声を上げてふらついたトーヤを抱き止める。

「ごめん。今は休むときだったね」

 久しぶりの穏やかな心持ちに、自分でも頬がゆるむのが分かる。見た目以上に軽い彼女を、静かにベッドに横たえた。

 ああ、帰ってきた。戻ってきた。私の愛しの――


   *


 強い想いはのろいになる。それを利用して近しい〈セカイ〉からわたり召喚された悪魔が、セカイ終焉しゅうえんにない手になってしまうのは確定した未来だ。だからこそ、この結末を〈ビーダマ〉に封じて切り離したのは、セカイ維持のための正当防衛と言える。

 でも、これは〈セカイ〉なりの優しさだったのだと俺は思う。仮初かりそめであれ、彼は最愛の人と最期の時間ときを過ごせるのだから。


   *


「だいじょう、ぶ?」

 長いことせきこんでいた私の背をさすりながら、彼女が心配そうに顔をのぞきみる。その姿は在りし日のままで、老いたこの身には到底釣り合わなくなっていた。


「ありがとう、トーヤ」

「ムリ、しちゃダメ。寝てて」

「分かっているよ。今日もおつかい頼めるかい?」


 素直にうなずき、彼女が街へと出て行く。すると、いつも入れ替わるようにその青年は現れた。

 お加減、どうですか? そう言って寝たきりの私の手を取り、決まって脈を診る。

「トーヤが離れると、天使が悪魔のささやきをしに来るようになりました。彼女は終焉の悪魔だから殺せ、と」

 カラカラと表面上は笑ったが、全てが〝本当の意味で〟悪い夢なのだということは理解できたつもりだ。彼が〝外側の存在〟であることも。


「……あれは、トーヤではないのですね」

 青年がうれいをびた顔で、うなれるように首肯しゅこうする。私の心を、真にあんじてくれている証拠だろう。

「ここは、閉じられていても幸せな〈セカイ〉です。少なくとも……少なくとも貴方にとっては救いのある……」

 ツラそうに先を言いしぶる彼の手に触れる。流れ落ちた一筋ひとすじの気持ちだけで、私は十分だった。

 契約印の刻まれた胸に手を当て、ゆっくり息を吸う。


「我、ここに命ず。今このときをもってちぎりを解消す。盟約通り、この魂を代償として差し出さん」


 ぐっと指をし入れ、みずから魂を引きずり出した。残りかすに生かされているだけで、この身が動くことはもうない。

 私の手は汚れきっている。彼女を蘇らせるために散らした命は数知れず、今さら安らかな眠りにつきたいだなどとおろかなことを願いはしない。

 青年が、そっと私の魂を掴む。


「ありがとう。でも安心して。俺は〝かたる〟のが仕事なんだ」


 そう言って、もう一方の手に同じものを造りだした。けれど、そちらの〝私〟は形だけの偽物にせものだと分かる。

 抜け殻いつわりの魂を私の身体からだに仕舞い、彼は優しく笑った。


   *


 俺が戻ってすぐ、その〈ビーダマ〉は砕け散った。

 本来なら、彼の死とともにその魂を喰らった悪魔が〈セカイ〉を滅ぼし、召喚された時間へと巻き戻ってはまた滅びるだけの閉ざされたセカイ。そのループする結末を壊せるただ1つの存在〈法則破りルールブレイカー〉――それが、俺の新しい呼び名らしい。

「おつかれさま。今回もオマケ付きでのご帰還かな?」

 バサリと音がして、飛んで来た和白わしろが肩に泊まる。頭を逆さにして戻し、小さくホロッホーと鳴いた。


「ああ。置いてくるわけにもいかないからね」

「気持ちよさそうに眠ってるねぇ。ワシも、もうひと眠りしてくるか」

「寝てたのかよ。なんて薄情なトリだよ」

「ワシは元々、夜型の生物だからね」


 寝なくても平気なくせに。とは、言わないでおく。いつもの軽口を叩き合うだけの元気は残っているが、今回は少し疲れた。

 さて、と〈セカイ図書館〉に向き直る。この手の中の彼に、最高の目覚めセカイを探してあげなければ。今度は仮初かりそめなんかじゃない、色に満ちた幸せな次の人生セカイを。



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終焉やぶりし調律者

〔2019.03.23作〕

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★カクヨム3周年記念選手権⑦「最高の目覚め」参加作


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