8月3日②
「図書館ってどの辺にあるの?」
家を出てしばらく、薫に道案内を任せていた彗が尋ねる。
「ああ、駅の近く。あの辺は図書館だけじゃなくて役場とか学校とか、そういう施設が集まってるんだよ」
「ふーん。じゃあ、かおくんの通ってる中学校もそこにあるんだ」
「そうだな」
「あ、駅といえば海もあるよね。学校から海見れる?」
「高いところからなら見れるかな。俺の教室は三階にあるんだけど、そこからは見えてる」
「じゃあ、窓から海を眺めながら授業を受けられたりするんだ。なんか素敵だねえ」
その光景を想像してうっとりした様子の彗に、薫は正反対の反応を示す。
「見慣れてしまえば、そんなにいいもんでもないぞ。毎朝、わざわざ三階まで登らなきゃいけないし」
「もう、私の妄想に水差さないでよ。かおくんがどう思ってても、今の私はそれを素敵だなって思えてるんだからさ」
「見解の相違ってやつか」
確かに、同じものを見ても人によって感じ方が違うというのはよくある話だ。だとしたら、彗みたいな感受性を持つ人間の方が優れているのだろうなと、薫はなんとなくそんなことを思う。
「薫ーーっ!」
突然呼び声が聞こえたかと思うと、坊主頭の少年が向こう側から自転車に乗ってやってきた。
「圭介じゃねえか。お前野球部は?」
「今日は休みだよ。で、家にいたらクソババアが勉強しろってうるさいからな。お前んちで遊ぼうかと思って」
「そうか、残念だったな。俺たちはこれから図書館に行くところだ」
「あ? 俺たち? ……って誰だこの美人!?」
大仰に驚く圭介。美人と言われた彗はまんざらでもなさそうに薫に自慢する。
「えへへ、美人だってかおくん」
「そうかよ」
そんなやり取りを見た圭介は、怨嗟のこもった視線で薫を見つめる。
「てめえ、俺に隠れてこんな美人の彼女を作っていたのか……!」
「彼女じゃねえよバカ」
彗はクスクス笑うと、自己紹介を始めた。
「はじめまして。かおくんの友達かな? 私、千条彗っていいます。残念ながら、かおくんとは恋人じゃなくて従姉の関係だよ。今は彼の家でお世話になってるんだ」
その話を聞いた圭介は、衝撃を受ける。
「ど、同棲……っ!」
「てめー、殴るぞ」
そう言いながら、薫は圭介を殴る。
「いや、もう殴ってるから!」
「紹介しよう。このバカは中田圭介。……そうだな、俺にタバコを勧めたのはこの不良野郎だ」
「お前、俺の評価がガタ落ちするようなこと言うな!」
「うるせえ、事実だろうが」
薫と圭介の言い争いを見かねた彗は、なんとか仲裁を試みる。
「まあまあ。圭介君も悪気があって言ったわけじゃないんだろうし。あ、でもタバコのことは感心しないなあ」
「は、はい! すんませんした!」
薫にメンチを切っていた圭介が驚異的な変わり身の速さを見せつける。
「なにお前、こわ」
「い、いや、急に名前を呼ばれてドキドキしてしまって……」
「この童貞野郎」
圭介のあまりの軟弱さを目の当たりにした薫は、気色悪さを感じて蹴りを入れた。
「痛っ! つーか童貞はお前もだろ!」
「てめー、こんな往来で下ネタ叫んでんじゃねーよ」
「いや、言いだしたのお前なんすけど……」
このやり取りにもそろそろ飽きてきた薫は、圭介に別れを告げる。
「とにかく俺たちこれから図書館に行くから、遊びとかはまた今度な」
すると、彗は少し戸惑ったように口を挟む。
「でも、せっかくかおくんを訪ねてきてくれたのに、私の都合で追い返すのも悪いなあ。……そうだ、もしよかったら圭介君も一緒に行こうよ!」
彗の善意で誘われた圭介は逆に戸惑ってしまう。
「え、い、いやあ。図書館なんかでやることも特にないし、退屈そうだし、遠慮しとこうかなあと」
その時、薫の頭にある考えがひらめいた。その考えを実行に移すため、薫は無理にでも彗に同調する。
「いや、やっぱお前も来いよ。あの……、ほら……、やっぱ大勢だと楽しいしな」
「全くそんなこと思ってないことと、何か企んでることだけは俺でもわかるぞ……」
なおも抵抗を見せる圭介に、彗は困ったように笑う。
「あはは……。ごめんね、やっぱり迷惑だったかな?」
「行きましょう」
再び一瞬で身を翻した圭介を見て、薫は何か言おうという気すら起こらなかった。
照り付ける夏の日差し。鳴り響くセミの鳴き声。のどかな田園風景の道を三人は歩いていた。
「で、何が目的だ?」
圭介は訝しむような視線を薫に向ける。
「目的?」
「とぼけてんなよ。さっきまで追い返そうとしてた俺を、急に連れて行こうとするなんて何か裏があるに決まってる」
圭介は警戒の構えを崩さない。
「別にそんな大層なもんじゃねえよ。まあ、とりあえずこれを見てくれ」
薫はそう言うと、持っていたトートバッグの中身を圭介に見せる。
「ん? なんかプリントとか教科書とか入ってる……。まさか勉強しに行くつもりだったのか、お前らしくもない」
「そうだ、全く俺らしくない。そこで、この夏休みの宿題を代わりにやる権利をお前に与えよう」
「はあ? 意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ。誰がそんなのやるか」
「いいのか? あのこと、皆に言いふらすぞ」
その言葉に圭介は一瞬ピクリと反応したが、すぐに平静な風を装った。
「は、はあ? なんだよあのことって」
「まあ、そうやってとぼけるのは自由だが、俺は知ってるぞ、あのこと。あれが公になれば、さすがのお前もただではすまないだろうよ」
言葉を重ねる薫に、圭介は動揺を見せる。
「ま、まさか、アレか。なぜだ! お前はあのことを知らないはず……!」
「そこは俺独自の情報網がなせる業だな」
一気に顔面が蒼白になった圭介は、ポタポタと冷や汗を垂らす。
「アレは……。あのことだけは、バレるわけにはいかねえ……!」
「取引といこう、圭介」
その言葉がとどめとなったように、圭介はうなだれる。
「仕方ねえ……。アレは本気でまずい。夏休みの宿題、代わりにやるよ……」
「賢明な判断だ」
そう言うと、薫は圭介にトートバッグを手渡す。
一連の流れを見ていた彗は、ちんぷんかんぷんといった様子で、薫にひそひそと尋ねた。
「ねえ、かおくん。あのことって何?」
問われた薫もまたひそひそと返す。
「知らん。ハッタリだ」
「えぇ……」
「こいつ、あちこちでバカなことやらかしてるからな。思い当たる節が多いんだろう。そのくせ表向きは真面目な野球部員で通してるから、こういう脅しに弱いというわけだな」
「脅しって言っちゃったよ……」
全く悪気を見せない薫に、彗はやや呆れ気味だった。
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