彼女
東側の大きな窓から差し込んだ眩しい朝日にみちるは目を覚ました。開いた目の前に星児の寝顔。
ドキンッと跳ねる心臓と共に飛び起きた。
目覚めた瞬間は、夢だったのかもしれない思ったが、身体は柔らかな寝心地の良いベッドに横たわる。そして、手はしっかりと握られたままだった。
ずっと、握っていてくれたんだ。
手は外さずに、そっと星児の顔を覗き込んだ。
ドキドキと脈打つ鼓動が耳に響く。
鼻が高く、睫毛が長い。閉じられている瞳は、深く吸い込まれそうな黒だった。
色素の薄いサラサラの髪に改めてドキリとする。
凄いカッコいいんだ、この人。
みちるが今更改めてそう思うのは、初対面の時の強烈な印象――あの圧倒的な威圧感――で昨日は殆ど直視出来ていなかったからだった。
無防備な寝顔を思わずじーっと見詰めてしまった自分に気恥ずかしさが込み上げる。
目を逸らし、反対隣にいた筈の保がいない事に気付いた。
少し開いたドアの隙間から微かにコーヒーの香りが漏れてきた。食器がぶつかり合う音と水の流れる音も聞こえる。
みちるは握られていた手を、ほんの少し名残惜しみながら、そっと外しベッドから下りた。
ドアをゆっくりと開け、リビングを覗くと。
「よぉ、起きたか。よく寝られたか」
湯気が上がるマグカップとトーストがのった皿をキッチンのカウンターにのせる保がみちるを見ていた。
「おはよう、ございます。よく、眠れました」
しどろもどろに応えるみちるに、そりゃよかった、と保はニッコリ笑う。
みちるの心拍数が一気にあがる。
その笑顔は心臓に悪いです。火照りそうな頬を手で隠す。
みちるの様子を見てクスリと笑った保は「食べるか?」と食パンの袋を見せた。
「あ、はいっ」
「じゃ、焼くからそこ座って待ってて」
昨夜食事をしたダイニングテーブルを指差され、みちるは頷いた。
「あの……」
「んー?」
カウンターキッチンの向こうで食パンをトースターに入れる保の背中に、みちるは遠慮がちに座りながら 話しかけた。
「昨日は、ありがとうございます」
蚊の泣くような声で言うみちるに、振り向いた保は優しく笑い掛けた。
「なんだ、改まって。もう俺も星児もみちるが大人になるまで面倒みるって決めたんだから、遠慮するなってそんな固くならなくていい」
それはフワッと包み込まれるような感覚だった。喉の奥がジンジンと痛くなって、視界が曇る。
みちるは思わず涙がこぼれそうな目を手で拭う。
「朝から泣くなよー」
カウンターの向こうで保が困った顔をして笑っていた。
さりげなく嫌味のないスキンシップが出来る星児に対し、保は女性に対する〝慣れ〟がなく〝照れ〟が先に立ってしまう。けれど、保は言葉で柔らかに心まで包み込む。
手の甲でゴシゴシと涙を拭うみちるの前に、保はバタートーストを置いた。
「23と24」
「え?」
唐突に言われた二つの数字にみちるは何の事か分からず顔を上げた。
「夕べ聞いたろ? 俺達の歳」
昨夜の会話を思い出したみちるに保はニッと笑う。
「俺が23で星児が24」
「やっぱり、18はウソだったんですね」
ちょっぴり恨めしげな表情で上目遣いをしたみちるに保はアハハと笑った。
「まだ18でイケるかな、って思ったんだ」
冗談とも本気ともつかない明るい口調にみちるも表情が緩んだ。保に「コーヒー飲むか?」と聞かれ、うん!と反射的に答えていた。
「あの」
温かいコーヒーの湯気の向こうに見える、マグカップ片手に新聞を読む保にみちるは話しかけた。新聞から目を離した保が彼女に視線を向ける。
「どうした、マズイか?」
いたずらっ子みたいな笑顔だ。みちるは、違う違う、とプルプル頭を振った。
「星児さんは、起こさなくていいんですか?」
いいんだよ、と保は新聞を畳むとテーブルに置いた。
「星児はあの通り夜活動する仕事だから、起きるのはだいたい昼前なんだ。俺は昨日はたまたまアソコに行っただけで、こう見えても普段は普通のサラリーマン」
「ええ!?」
カタギのお仕事?
目を丸くしたみちるに保は楽しそうにクスクス笑った。
「これは冗談じゃなく、本当。今日はお休みだけど、普段早く起きるから、目が覚めちまう」
年寄りみたいに、と言いながら保はハハと笑った。
この二人、ますます分からない。バタートーストをくわえたまま考えるみちるに保はクスクス笑いながら、ジャムもあるぞ、と瓶を差し出した。
食器の片付けを始めた保を、みちるが手伝い始めた時だった。
「おっはー――!」
玄関が開く音と共に、明るく高い女性の声が聞こえた。
リビングのドアが開き、現れたのは、スラリと背が高い、色白な美女だった。
まるで欧米人のような彫りの深い造作の顔立ちの中の、ほんの少し茶色がかった瞳が印象的だった。ダークブラウンの長い髪は毛先が軽くカールしている。
長身にフィットしたスポーツウェアは、スリムでもグラマラスなスタイルを強調していた。
彼女の醸し出すオーラにに圧倒されたみちるは下げかけの食器を持ったまま固まっていた。
「姉貴! いくら合鍵持っててもインターホンくらい押してくれ!」
「やだぁ、保。そんなの他人行儀~。いいじゃないのぉ。アンタはこの家では誰か連れ込んでおっぱじめたりしないでしょ」
「……アホか」
保は心底呆れた、という表情で食器洗いを再開。そんな彼にお構い無く〝姉貴〟と呼ばれた彼女は、みちるに向き直った、
「このコが星児の言ってたコー?」
「そうだ。星児がアンタにどうやって説明したかは知らねーけど」
「やだっ! スッゴイかわいいコじゃないのぉ~!!」
「俺の言葉はスルーかよ」
保はガチャガチャと食器が割れそうな勢いで洗いながらため息をつく。
「あ、あの?」
「あ~、ごめんね、ビックリよね。私、桑名麗子。保の姉です」
くわな、れいこ、さん? 保さんと名字が違いますよ?
みちるは頭にフッと浮かんだ疑問は胸にしまった。
「えっと、私は、津田みちるです」
「みちるちゃんね、よろしくね!」
麗子は握った手をブンブンと振ったかと思うと、いきなりみちるを抱き締めた。
あっという間に豊満な谷間に顔を埋められ、みちるは何とも言えない気分になる。もはや、瞬きも忘れ固まった。
や、柔らかい……私の胸なんて……でも、く、くるし……。
「……みちるが窒息するぞ」
胸に響く甘い声が耳に滑り込み、みちるは心臓が一瞬止まるような感覚を覚えた。麗子の腕が緩む。
「ごめん星児、起こしちゃった?」
「ああ。お前のキンキン声、朝からはキツイ」
埋められていた谷間から顔を上げると、
開かれた寝室のドアに寄りかかりこちらを見る星児と、ほんの少し頬を染めたような麗子の顔が視界に入ってきた。
「星児、その言い方はちょっとヒドい」
麗子はみちるを胸からそっと離しながら小首を傾げ、甘えるような口調で星児に話しかけた。明らかに少し前の保に対する態度と違う。
『星児の彼女』
みちるは昨夜の言葉を思い出した。星児も、笑いながら柔らかな表情で麗子と話している。
胸に残る鈍い痛みは、何の痛みか。
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