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 保がハンドルを握るスポーツカーは夜の首都高を疾走していた。


 ゆったりとした皮貼りの後部シートに1人座るみちるの瞳に、夜の街を彩る街の明かりが流れて映る。


 私は何処へ向かっているんだろう。私は何の為に生きていこうとしてるんだろう。


 車内にはカーラジオが流れ、運転席と助手席に座る保と星児の会話が時折聞こえた。静かに話す2人の会話は難しく、みちるにはまだ分からなかった。


 夜の闇と、車の心地よい揺れ。睡魔がみちるを眠りに誘う。みちるはシートに身体を預け、瞼を閉じた。




 おとうさん、おかあさん? どうしていないの? だれか。だれか、ーー


 手を伸ばしたが、伸ばした手は誰に触れる事はなかった。


 暗くて寒い、1人だけの部屋。




 パッと目を開いたみちるはガバッと身体を起こした。


 目の前は真っ暗闇だ。不安と恐怖がみちるの全身に襲いかかる。


「あ、あ……」


 ポロポロと涙が溢れた。


 私はやっぱり一人? みちるは辺りを手探りで確かめた。


 少しづつ暗闇に慣れ、大きなベッドの上にいる事が分かった。微かにタバコの香りがした。


 ここは?


「目が覚めたか」


 開かれたドアから部屋に差し込んだ眩しい明かりを背にスリムな男の影が差した。ビクッと震えたみちるは顔を上げる。


「あ、の」

「車の中で眠っちまって、起きねーから抱いてここまで運んだんだよ」


 ベッドの上でオロオロとするみちるの傍に男が歩み寄った。


 開け放たれたドアからの光に眩しげにみちるは目を細めていたが、声を聞き、傍に来たのが星児と分かった。


「なんだ、泣いてたのか?」


 優しく頭を撫でられて顔を覗き込まれ、涙が止まらなくなった。


「また、一人になっちゃったと思ったの。暗いのはいや」


 両手で顔を覆い泣き出したみちるは次の瞬間、


「――!?」


 全身を何かに包まれた感触に顔を上げた。


「一人にはしねーから安心しろ」


 あたたかい。フワフワと宙に浮いているような感覚にみちるは目を閉じた。


 頬に触れる胸は硬く、抱きしめる腕の力は強くとも優しかった。


 張り詰めていた緊張から全身が解放され、みちるの中に眠っていた遠い日の男親の温かな記憶を柔らかに呼び起こしていた。


「そばに、いてくれるんですか?」


 答えが怖くて勇気を振り絞って声にした言葉は耳を澄まさなければ聞こえないような微かな音となった。


「ああ」


 ほんの少しの間が怖かった。けれど、星児の胸に密着するみちるの耳に響く甘い声だった。


 信じていいのか。いや、今は信じるしかない。


「大丈夫。星児は自分が口にした約束は必ず守る。みちるを一人にはしない。俺もね」


 息を吐いたみちるを、もう一人のキーパーソンの言葉が優しく包み込んだ。まるで心の中の言葉に答えるかのような保の声だった。


 星児の腕が緩む。もう一つの手がみちるの頭を撫でた。


 目を開け、顔を上げるとそこには柔らかな表情で覗き込む保がいた。


「さ、風呂入ってこい」


 保はニコッと笑い、みちるの頭をクシャッと撫でた。


 みちるが寝かされていた寝室と思われる部屋から出ると、そこは15畳ほどの広いリビングだった。


 余計な家具のない、シンプルなソファとテーブルだけの殺風景な部屋。大きな窓が印象的だった。


 カウンターキッチンの向こうで保が何か作っている。星児は冷蔵庫から缶ビールを出していた。


「あの……」

「風呂はアッチ」


 保がカウンターの向こうから廊下の先を指差しながら言った。


「そうだな、とりあえずは俺のTシャツでも着とくか」

「みちるの物は少しずつ揃えるよ」


 プシュ、と音を立てて缶ビールを開けながら星児が言う。


 みちるは改めて目を見張った。星児は肩からバスタオルを掛けただけの上半身裸だった。


 自分はずっと直にあの胸に。急に恥ずかしさが込み上げ、みちるは真っ赤になってうつ向いた。


「一人がダメなら一緒に入ってやろうか?」

「えぇえ!?」


 すっとんきょうな声と共に思わず顔を上げたみちるは星児と目が合う。口の端を上げた笑顔でこちらを見ていた。


「せー――じっっ!!」


 保がキッチンから怒鳴った。


「ハハハッ! 冗談だよ。早く入って来い」


 星児はビールの缶を持ち窓からベランダへ出て行った。


 みちるは目を見開いたまま、茫然と星児の背中を見送っていた。


「アイツたまにああいう事言うけどスルーでいいから」


 保が肩を竦め苦笑いする。


「あ、はい……」


 でも、イヤな気持ちは、しなかったです、よ。


 内心でそっと呟いたみちるは少しの間、窓の外、ベランダでタバコを吸う星児の背中を見ていた。


「これ、俺のTシャツ。ちょっと大きくて悪いけどな、今は我慢してくれ。出てきたらウマイもの食わしてやるから」


 保はみちるにTシャツを渡しながら言った。


「保の料理はプロ級だぞ」


 ベランダからの星児の声を聞きながら、みちるは深緑色の柔らかな綿地に英字のロゴが入ったTシャツを見た。


 緊張で固くなっていた顔が緩む。


「はい、ありがとう、ございます」


 自然と口を突いて言葉が出た。


「笑うといい顔になりそうだ」

「……え?」


 ドキンッとみちるの心臓が跳ね顔を上げると保はニッと笑いながらキッチンに戻って行った。


温かい何かが自分を包み込んでいくような気持ちに胸が熱くなった。


 これが〝居心地の良さ〟なのだとみちるが気付くのはもう少し先の事になる。





 みちるは、広いバスルームの中にある鏡に映る自分の姿を見た。


 笑うと、いい顔? 私が?


 鏡の中には、笑いたくても心の底からちゃんと笑えなかった自分がいた。


 笑える日なんて、来るのかな。


 鏡から視線を外し、みちるは洗面室からバスルームまでを見回した。


 男2人の生活をしているはずの家だが、少しばかり贅沢な造りのバスルームは綺麗に掃除されており、微かなグリーン系のいい香りがしていた。



 バスタブに入ったみちるは目を閉じた。


 瞼の裏に、2人の男が浮かぶ。


 私はあの2人を信じて。甘えていいのかな?


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