『帰るぞ』
「こんな弁当であんなに喜ぶなんてな」
「ああ」
仕出しの弁当箱を見ながらボソリと呟いた星児の言葉に、保が同意する。
空になったそれは、ちゃんと蓋がされ、使った割り箸も袋に入れられた状態でテーブルの上にきちんと置かれていた。
ソファで眠るみちるに、星児は自分のコートを掛けた。
あの後、みちるはずっと事務所で2人の仕事が終わるのを待っていた。そんな彼女に、星児が弁当を頼んでやったのだ。
手放しに喜んだみちるの姿は、本当にまだ15歳の少女だった。
すっかり安心しきった無防備な、あどけない少女の寝顔。
「2日くらい何も食べてなかったらしい」
少女を見ながら保が言った。
「着の身着のままで逃げ出したんだな」
みちるの傍らに立っていた星児が彼女の顔にかかる髪をそっとかきあげた。
髪の毛の下の額に微かな傷があった。
「……」
背児は何も言わず髪を下ろし、優しく頭を撫でた。
「星児」
保がソファに座ったまま口を開く。
「その子、みちるはホントに処女だと思うのか? ロリパブなんかで働いてたんだぞ」
「処女だよ。間違いねぇ」
星児はみちるの顔を覗き込んだまま静かに答え、保に視線を移すとニッと笑った。
「だいたい見た目でわかるだろ」
保はその言葉にムッとする。
「好きな女しか抱かない俺は、誰とでもヤるお前と違う。お前みたいに女の事なんかよく知らねーよ」
スゲー言われようだ、とクククと笑った星児はデスクまで行きタバコを手に取った。箱から一本出してくわえると、ライターで火を点ける。
「女を〝商品〟として扱う商売してんだ。
ただヤりたいだけでヤってるわけじゃねぇよ」
タバコの煙に目を細めながら、星児は吐き捨てるように呟いた。
商品か。
テーブルに拡げられた顔写真の付いた履歴書類に視線を落とした保は、小さくため息をついた。
「みちるに関しては」
タバコの煙を吐きながら星児が話を続ける。
「確証みてーなもんもある」
「確証?」
「ああ。源さんとこで働いてたって事だ」
〝源さん〟というのは、この街では少し名の知れたロリコン変態オヤジだ。
「源さんとこで働いてたから?」
保は、意味が分からない、という顔をする。
「源さんは確かに変態だけどな。本当に心底女のコが大好きなだけなんだよ。あのオッサンにしてみれば女のコは大事な大事なお人形みてーなもんでさ。その〝大事なお人形〟には手を出すなんてもっての外、売春させるなんてのは論外なんだよ」
性癖なんて人それぞれだ、と星児はタバコをくわえながら笑った。
「まあ、アソコで働いてたって、カネが欲しいヤツとかは勝手に躰売ったりしてたみたいだけどな。でもよ、コイツ、みちるは出来なかったんだろ。売春できるような器用さとかがありゃ、財布空っぽでボロボロになるまで街をさ迷っていたりしねーだろうよ」
自分達と重ね合わせたのか。
心中でそっと呟いた保は静かに寝息を立てるみちるに目をやった。
白い肌。長い睫毛。さくらんぼのような唇。改めて少女を見た保だったが、スッと目を逸らした。
なんでこんな子供に。
目を逸らした自分に驚き、戸惑った。保の中に、何かの予感が掠めて行った。
「お前はロリコンじゃねーよな」
星児のその言葉にカチンときた保はあからさまに不快な顔をしてみせた。
「お前、いつかどっかで刺されろ」
投げつけられたその言葉に、星児はタバコを指に挟んだままケケケッと笑った。
心底可笑しそうに笑う星児からフンッと顔を背けた保はテーブルの上からタバコを取った。
箱から一本取り出しくわえた保はカチカチとライターの火を点ける。その様子から、彼の苛立ちが見てとれた。
何に、イラついているのか。星児の不躾な言葉か。それとも――。
保を見ながら星児は心の中で呟いた。
お前じゃなくても思ってるさ。確実に〝上玉〟だよ。
タバコの煙越しに見える、眠るみちるの姿に錯綜する想いは保とは違った。
星児は考える。
利用できるかどうか。その為には足元掬われないよう慎重に。
「保。みちるの事、念のためちょっと調べてみてくれ。捜索願とか出ていれば厄介だ」
分かったよ、と未だむくれそっぽを向いたままの保を尻目に星児は煙を吐き出した。
みちるに目をやり、考える。
まだ15のガキだ。まともな親なら。
そう。〝まともな親〟ならな。
星児はタバコを灰皿に押し付け揉み消し、みちるに目をやった。
「みちる、起きろ。帰るぞ」
その人の声は、甘く、色っぽく。みちるの心に痺れるような余韻を残す。
「どこに?」
ソファでゆっくりと身体を起こし、恐る恐る尋ねるみちるに星児は優しく笑いかけ、答えた。
「俺達の家だ」
〝俺達の〟?
「もちろん、お前もだぞ」
私も?
「保、車出して来てくれ」
「りょーかい」
保は立ち上がりながらタバコをテーブルの上の灰皿に押し付けた。緊張しているのか戸惑うような困惑顔のみちるの頭をクシャッと撫でる。
「俺達は取って喰いやしないから、安心していい」
軽く覗き込んだみちるの顔が、保と目が合った時微かに緩んだ。
ほんの少し茶色を帯びたような柔らかな瞳の、大きな二重瞼の保の目は星児の涼しげなそれとは違う。
保に柔らかに見入られて、みちるは素直に「はい」と返事をしていた。
トクントクン、とみちるの中に生まれた鼓動は初めてのもの。
「よし、いい子だ」
保は笑いながらみちるの頭をもうひと撫ですると車のキーをポケットから取り、出ていった。
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