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「――……で、なんであんなところをほっつき歩いてんだ、ダイン」


 犯罪者どもの亡骸を警察へ引き渡し、その首にかけられていた賞金を受け取ったロックは、銀髪の青年とともに署を後にした。


「事務所に戻ろうとしたらたまたま出くわしたんです」


 白のシャツの上にベージュのジャケットを羽織り、紺のスキニー、白のキャンバスシューズという、大学生のような身なりで夜通しあちこちをふらついていたらしい。草臥れたジャケットは煤けたように薄汚れ、銀色の指輪を通したネックレスは陽光を受けて鈍く輝いている。


 感情の乏しい白皙の面構えは、時代が違えば異性から引く手数多だったろう。薄幸の美青年、という二つ名がしっくりくる。決して頑健な体躯ではないロックが殴っても吹き飛びそうな華奢な体つきだが、背負った二つ名は『異能殺しのダイン』ときた。その外見にはあまりにも似合わない物騒な異名だ。


 そんなダインが首をこきりと鳴らしながらか細い声で言う。


「まさかあんな屑どもとかち合うなんて、この一ヶ月は運気の流れがとてつもなく悪そうで嫌になりますよ」


「ここ数日、どこでなにをしていた?」


「……久しぶりにイヴと過ごした景色を巡っていました。ふと、懐かしくなったので」


「……そうか」


 そう言われてしまうとロックも深入りできない。


 久しく寝ていないのか、色濃い隈を浮かべるダインはふわぁと大きなあくびをして、それからロックがその手に握る小袋をじっと見つめる。ぎっしり詰まっているのは、金貨、銀貨、そして札束。


「それ、どうしましょう。山分けにでもしますか?」


「軍資金にするつもりだ。武器の仕入れで入り用になるからな」


「……今度はどんな面倒ごとに首を突っ込むつもりなんですか」


「数千回に一回くらいはお天道様に胸張れるような生き様を歩んだってバチはあたらねぇだろ? たまにはそんな生き方してみるかってやる気になってんだ」


「なるほど。それで子悪党の成敗なんて偽善に手を染めたってわけですか。神様の点数稼ぎなんて、まったくもっていまさらですよ。いったいどれだけの悪事に手を染めてきたと思ってるんですか」


 もっともな指摘だった。人様を殺した数なんてもはや桁すら記憶にない。


「正義のヒーローごっこも真剣にやってみると愉しいもんだぜ? 餓鬼のころにやったことあるだろ?」


「まさか。このなりで正義の味方なんてとんでもない。僕は弱者という庇護されるべき名の下に主人公から救いを差し伸べてもらうモブ役でしたよ」


「なんだ、そいつは人生損してるな。正義の御旗を振るって悪者を倒す、あの爽快感を知らないなんて」


「……こうして話してみるとつくづく思いますね。あなたとはとことん趣味が合わない」


 ダインは疲れたとばかりに重たい溜息を一つ。


「こんな世界、適当に生きていたほうが自分のためだってのに。死んでも死んでも死にきれない。懸命に生きたところで一ヶ月後には記憶以外のすべてがリセット、生きた心地もまるでない。まったくもってクソッタレな世の中で善行を積むだなんて……あんたも随分と人間ができている」


「世の中をクソ呼ばわりするついでに俺のことを馬鹿にしてるか? もしや」


「まさか。無二の相棒でかつ義理の兄になるはずだった人を馬鹿にするなんて、とてもできることじゃないですよ」


 目を逸らしながらそう吐き捨てるダイン。


 言葉尻にどこか含みがある気がしてならないが、問い詰めたところでダインが本心を吐露するはずもない。


 ロックは小さく首を振り、そういえば、と枕詞を挟んで話題を変える。


「奴らに捕まっていた女の子、結局行方知れずか……」


「彼らを殺してしまったから、誰が彼女の身柄を欲しがっていたのかも把握できず終いですね」


「死人に口なし……か」


 後悔したところで遅い。証拠はなく、足取りは追えなくなった。


 夕刻に引き渡しだの高く売れるだのとぺちゃくちゃ喋っていたのだけは覚えているが、どこで誰と取引をするのかは皆目不明。賞金を受け取るついでに警察署で探ってみたが、有益な情報の一つもありはしなかった。


「銃を引き取ったらぶらついてみるか。また出会えるかもしれないし」


「……くれぐれも、つまらない遊びに僕を巻き込まないでくださいね」


「たまには俺の趣味に付き合ってくれてもいいんじゃない? どうせ暇だろ?」


「イヴの墓参りをしないといけないので」


「……っと、そういやそうだったか」


 月末はロックが、月初はダインが、それぞれイヴの墓参りをするという決まり。

 時の牢獄のなかで唯一、二人が絶対に遵守しようと決めたルールだ。


 なにがあっても、その用事だけは邪魔をしてはならない。いかなる火急の用件よりも優先できる相互不可侵の行い。


「供え物を買ったらそのまま霊園に向かいます。事務所には夕方までに戻るつもりですが、あなたの気まぐれに付き合えるかは約束できませんので」


「こっちこそ誘っちまって悪かった。あいつによろしく言っておいてくれ」


「それは構いませんが……昨日、行ったのでしょう?」


 昨日と言っても、巻き戻る前の大晦日だが。


「俺たちにとっちゃ感覚的にそうなる。けど、あの世はどうかわからないだろ?」


「……わかりました。適当に伝えておきます」


「頼んだ」


「それと、お金は僕が預かります。気の迷いで酒場につぎ込まれたらたまったものではありませんから」


「……オーライ。そっちこそ、新しい服を見つけたからって新調するんじゃねぇぞ」


「わかってますよ」




※※※




 代々木駅前でダインと別れ、ロックは渋谷方面へと向かう。


 大規模な都市開発が行われた新宿とは異なり、神宮や自然公園とも近かった渋谷は地盤沈下のおそれがあるとして都市開発の枠組みから漏れた。


 開発都市から追い出された住宅難民が押し寄せた結果、渋谷周辺は違法建築が横行し、原宿一帯すら飲み込んで、清廉かつ機能的な側面を徹底的に排除した雑居群となり果てた。


 法令度外視は上等。息苦しいほど密接して建造された低層ビル群の上に、計画性皆無の仮設住宅が無尽蔵に積み上がり、いまや開発区から追い出された貧困層の集う場所として世に名を馳せている。

かつて海の向こうの大陸に存在したといわれる遺産をなぞり、『塔都神宮砦とうとじんぐうさい』と呼ばれる雑居群。


 やってきたのはその外縁。原宿は旧竹下通りに面した一角。『OPEN』と書かれた木板を引っ掛けた鉄扉を開け、ロックは店内に踏み入った。


 店内もまたぐちゃぐちゃだ。壁に掛けられているのは剣や銃、短剣、弓矢、斧と、とにかく統一性がない。値札がないせいだろう、誰にも買われることなく居座り続ける重鎮と成り果ててしまっている。


 狭苦しい通路の最奥、こじんまりとしたカウンターに頬杖をついている紅髪の女主人の姿をみつけ、ロックは軽く手を上げた。


「よう。繁盛してるかい?」


「…………喧嘩売ってんの?」


「いやいや恒例のご挨拶でしょうが。なんでそんな不機嫌なのさ」


「……あんたには関係ないでしょ」


 むすっとした顔をしたまま、彼女は背後のスチールラックから緩衝材に包まれた一丁の銃をカウンターに放り出した。


「ちょいちょい、レッカちゃん。お客様は神様でしょ? そんな物騒な顔で雑な仕事してたら神様が離れていっちゃうぜ?」


「はっ……、こうもけったくそな世界でまともに商売なんかやってられるか。鍛冶をするためには金が必要で、好きなことを続けるためにやりたくもない店なんか構えてんだ。そもそもこのご時世、がっつり稼いでも意味ないし、どころか段々と売り上げは下がっていく一方なんだよ。鍛冶の依頼は減るばかり。そろそろ店を畳むしかないのかもなぁ……」


 あちこちに跳ねるくせっ毛を指先で弄くりながらレッカが口を曲げる。


 洒落っ気を出せば男にも困らない人生を歩んでいるはずだが、鍛冶に熱中するあまり、武器磨きは得意でも自分磨きは不得手になってしまうのかもしれない。宝の持ち腐れとはこのことだ。


 もったいないが自分のこととなるとずぼらだからなこの女……とロックは心の中で両手を合わせた。


「……なんかいま失礼極まりない邪念を感じたんだけど」


「気のせいじゃないかな?」


 さすが、精神を研ぎ澄ます仕事をしているだけのことはある。


 変なことはあまり考えないようにしなければ、とロックは咳払いを一つ。


「仕上がりにぶれはないはずだからこのまま引き取るわ。後払い分はいつもどおり――」


「悪いんだけど、追加で金貨三枚分、置いてってくれない?」


「……はい? なんでだ。いつもだったらこれで充分だったろ」


「こっちにも色々事情ってもんが……あーもう、こんなときに電話か。ロック、ちょっと待ってて」


 苛立ちを滲ませながらレッカが電話を取る。

 この狭い店内、嫌が応にもその声は丸聞こえだ。


「……こちら鍛冶屋・烈火。……ああ、あんたか。どうした? ……うん……ああ、それで? …………はぁ? ちょっと待て。そいつはいったいなんの冗談っ――おい、ふざけんじゃねぇ!! こちとらボランティアじゃなくて商売なんだぞっ!! 仕事したぶんは雁首揃えてきっちり払ってもらわねぇと困るってんだよ!! ――あっ、くそ、おいっ!? 切りやがったな畜生がっ!!」


 罵詈雑言を吐き出し、地面に叩きつける勢いでスマートフォンをチェアークッションへ投げつけたレッカは、力なく項垂れて頭を抱えた。


「ああ、くそ……ふっざけんじゃねぇ……。最悪だ…………」


「なになに、どうしたんだ。そんなキレちまっって。鍛冶代を踏み倒されたか?」


「……預かってた武器がお荷物だって言われちまった」


「稼業を辞めるから、相棒は煮るなり焼くなり好きにしろってか」


「十字架を握って理想郷に行くんだってよ。ったく、気が知れねぇよ。金も払わねぇクソ野郎が夢みてんじゃねぇよ。脳ミソいかれてんのか」


「……そいつはごもっともだ」


 事情をなんとなく察したロックはしばし逡巡し、金貨を五枚カウンターに置いた。


 それを見たレッカはばつの悪そうな顔を浮かべてぼそりと一言。


「……悪ぃな」


「別にいいってことよ。いつも世話になってるしな。ついさっき賞金首をひっ捕まえたばかりで金には困ってねぇ。タイミングが良かったな」


「……あたしもこの店を畳んで、あんたらみたいなよろず稼業にでも転向すっかな」


「まだ客がいるんだろ? 折角ここまで真っ当に生きてきたんだ。いっときの気の迷いで道を踏み外して天国に行けなくなったら後悔してもしきれなくなるぞ?」


「殺人も放火も窃盗も罰されない世界よりひどい場所があるなら見てみたいね」


 神宮砦に居を構えるレッカだからこそ見えている地獄もあるのだろう。その一端を垣間見たことがあるロックも深くは突っ込まない。


 砦の内部は魑魅魍魎が蠢くこの世の地獄そのものだ。

 二つ名を持つロックでさえ、深く踏み入れば生きて出られる保証もない。


「レッカに鍛冶を辞められると困るんだよな。メンテしてくれる奴がいなくなっちまう」


「……ロ、ロックの頼みだったら……、いつだって受けてやるよ。店、畳んでも……」


 そっぽを向きながらレッカがしおらしい声でぼそりと呟いた。

 わずかに頬を赤らめながら両手をもじもじと組み合わせる。


「マジか。そいつは助かるぜ」


「べ、別におまえが特別ってわけじゃないからなっ!! そこんとこ勘違いすんじゃねぇぞ!!」


「お、おう。それくらい弁えてるよ。なんで急に怒鳴り散らすんだ」


「……お、お前の目は節穴かよっ!! ……別に、怒鳴ってねぇよ」


 突っ慳貪な返事をして、レッカはがばりと立ち上がる。


「よしっ、決めた。賭けしようぜ、ロック」


「お前どうしたんだ、藪から棒に」


「ずっと前から考えてたんだよ。仮にあと十回以内にこのループが終わったら、あたしはそのときに店を畳む。まぁ、鍛冶はやりきった感じもあるから、気が向いたときにやればいいしよ。もし終わらなかったら……そんときは憂さ晴らしの旅に付き合え」


「なんだそりゃ。俺になんのメリットがあるんだよ」


「全世界が羨む美貌を持つこのあたしと旅ができる。あ、金はそっち持ちで」


「だから俺のメリット……」


「あたしとデートっぽいことができるって言ってるだろっ!?」


「…………」


「ああもうっ!! そんな目でみつめてくるんじゃねぇよ!! ……クソみたいな客ばっかでストレス溜まってんだよ。友達もみんな宗教にのめり込んじまうし、こんなわがままに付き合ってくれるのロックくらいしかいねぇんだよ……。だから文句言わずに付き合えっ!! 断ったら二度と依頼受けてやらねぇからな!!」


 びしっ、と人差し指を突きつけてレッカが声高に宣言した。


 面倒なことに巻き込まれてしまったと嘆くわけにもいかず、かといって堪忍袋の緒が限界に張り詰めているであろうレッカの頼みを無碍にできるわけもなく。


「……へいへい、わかったわかった。十回ループしたら、どっか遠くに連れて行けばいいんだろ? いまのうちに行きたい所を考えておけよ?」


 レッカの機嫌を取れるならそいつがメリットなんだろう。

 長い付き合いだし、世話になっているその恩返しだ、とロックはポジティブに考えることにした。


「候補はもう決まってるから。そっちこそ金を工面するの忘れんなよ!!」

「……ま、それはどうにでもなるから心配すんな」


 あの屑の極み三人衆をとっ捕まればいいことだ。死んだくらいじゃ懲りていないだろうしな、と残念な気持ちになるが、いい金蔓かねづるであることは間違いない。


「そんじゃーな」


「お、おう……っと、待て、ロック!! 金貨が多いぞっ!!」


「チップ代わりに取っときな」


「…………そ、そういうことならありがたくもらっとく。ありがとな……」


「どういたしまして」


 気前いい善行を積み重ね、店を出た。


 すこぶる気分がいい。用事を終えたロックは煙草を口に咥え、火をつける。


 いまさらながら、口に咥えたこれが今日の一本目だと気がついて、我慢すれば禁煙もいけるのではないか、なんてことをぼんやり考えた。


「いやぁ、いいことをすると気持ちがすっきりするもんだな」


 ちまちまとした善行もなかなか悪くない。

 なんだか今日は、例の少女とも再び出会えるのではないか。


 そんな予感に胸を踊らせていた。


 だが、浮ついた感情は、神宮砦へ視線を向けたと同時、吹き飛んだ。


「あいつらは……」


 白装束の集団が薄暗い神宮砦から行列をなして続々と吐き出されてくる。


 普段なら気色が悪い、そう感じる程度の風景だったはずだ。


 けれどこの瞬間の彼らは、あまりにも異様な雰囲気を纏っていた。


 白装束の外装、とくに前半身が皆一様に赤黒く染め上がり、その手に握っている金色の十字架も血塗られている。


 疲弊しているのか、その多くは肩で息をし、足を引きずりながら、あるいは腹部や胸部を手で押さえ、幽鬼のように散っていく。


「……なんだ、ありゃあ」


 ロックはしばし呆然とその異様を眺めていた。白装束たちは周囲から向けられる奇異の眼差しを意に介することもなく、悄然とした足取りで三々五々、街中へ消えていく。


 いままでこんな事態に遭遇したことはなかった。


 殺人は異端者の行いであり、返り血を浴びれば即座に判別できるからこその白装束。

 ゆえに、人殺しを禁忌としているあの集団が血みどろになるなどあり得ないはずのことだ。


 異常事態と表現する他ない、彼らの姿にロックはしばし慄然とする。


「なにが起こってやがる……」


 得体の知れない悪寒がロックの背筋を這う。


 なにか、とてつもない現象が起きる予兆のような気がしてならない。


「……とりあえずは、情報収集か」


 無視を決め込むという選択肢は残されていなかった。


 近くを通り過ぎた白装束の一人に背後から強襲をかける。


「――が、あ!?」


 レッカから受け取った愛銃で手際よく肩口に二発、左右の太股に一発ずつ撃ち込んだ。呻き声をあげてうつ伏せに頽れる白装束の背中を踏みつけ、脳天に銃口を突きつけたまま、ロックは静かに詰問する。


「答えろ。お前ら、なにをしている。殺生は御法度なはずだ。どうして血まみれなんだ。宗旨替えでもしたか?」


「……俺の、邪魔、を……す、るな……っ」


「諦めろ。抵抗すればここで殺す。俺の質問に答えれば解放してやる」


「ふざ、けるな……。こんな……ところで、止まる……わけには、いかない……っ。俺が……少女を、探し出さねば……」


「少女、か。どんな格好をしている」


「……俺が、探し出す、のだ……始まりの、遺伝子、を……この、俺、が…………」


「質問に答えろ」


「そうで、なければ……選ばれ、なく、なってしまう……っ、俺は、理想、郷へ……っ」


「…………ちっ」


 目の焦点が合わない男に、ロックは無慈悲な一撃を見舞った。


「……せめて安らかに眠れ」


 正気を失い、ただ譫言を吐く人間に尋問など、意味を為さない。


 この男だけではなく、おそらくは今しがた見かけた白装束の全員が、正気を失ったまま少女を探し出すという使命のためだけに街中へ散っていったのだ。


「……クソッタレが」


 脳裏を過ぎるのは、つい数時間前に救ってやった名も知らぬ少女の姿。


 西の空を見上げる。


 抜けるような晴天は消え、空は鈍色に塗りたくられていた。草木の匂いも濃い。


 一雨くるな、と直感した。早いうちに見つけ出さないと面倒なことになりそうだ。


「嫌な空だな……」


 一人ごちて、ロックは吸いかけの煙草を踏み潰した。

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