Everlasting World - End
1
『――……このラジオを聞いている兄弟ども、おはよう。そして残念ながらいつもどおりのお知らせだ。清々しいまでに巻き戻った今日は西暦2822年、6万5千と535回目の12月1日だ。時刻は午前九時。どうやら世界はまだ
預金残高は確認したか? 昨日まで張り切って仕上げた仕事の成果は? クリスマスケーキの賞味期限は? そして、このクソッタレな世界に幻滅して死んだはずの野郎どもは息を吹き返しているか? なに、記憶以外のなにもかもが元通りだって? そいつはおめでとう。そしてご愁傷様。新しい一日、新たな一ヶ月の始まりだ』
「……本当に、クソッタレだな」
壊れかけのラジオが伝えてくる知りたくもない事実に、二度目を決め込むには充分な微睡みが一気に消し飛んだ。
ロックは気怠さの残る身体をベッドから起こして風呂場に直行し、頭から冷や水混じりのシャワーを浴びる。二十歳にして白髪交じりの短い黒髪をワックスで調え、溜息を一つ。十二月を繰り返す度に増えている気がしてならない。白髪も、溜息も。
代々木の一角にひっそりと佇む線路沿いのアパート。
その二階に構えた事務所は、客間、寝室、リビング、ダイニングが備わっていて、贅沢なことに風呂とトイレはセパレート。寝室にはベッドが二つ並び、ロックは出入り口に近い一つを使っている。
「ダインのやつ、戻ってこなかったのか……」
この部屋に入り浸っている相棒は例のごとく帰ってこなかったらしい。
腰にタオルを巻いたままキッチンに立ち、適当にバターを塗りたくったトーストと気付けの一杯にありつく。珈琲はブラックに限る。
「なんにせよ、銃を受け取らないとはじまらねぇな」
今日だけはやることが決まっている。霜月の半ばに整備へ出していた愛銃が手元へ戻ってくる手筈になっているのだ。なにをはじめるにせよ、道具がなければ話にならない。
鍛冶屋を営むレッカの店は午後からだ。目下の時刻は十時を指し示す頃合い。
珈琲を啜りながら中途半端なこの午前様をどうすべきか思索に耽っていると、随分と久しい頃の思い出が脳裏を過ぎった。
「……奴らが懲りていなければ小遣い稼ぎができるかもな」
不敵な笑みを浮かべてロックは思案する。
愛銃を預けている間の代用品でも精度や腕に影響はない。小競り合いになればこっちのものだ。仮にアテが外れたなら、適当に近辺をぶらついて時間を潰せばいい。一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあるというのなら、一月の計もまたこの数時間にある。
「記憶が確かなら、そろそろ外に出ないと犯行現場に立ち会えなくなるか」
善は急げだ。ロックは手早く身支度を調える。木目調のテーブルに放ってあった新品の煙草とジッポー、それから財布を鷲掴み、胸ポケットへ。背丈の低いチェストに立て掛けてあるイヴの遺影に手を合わせ、スペアの銃をホルスターに突っ込むと、履き慣れた革靴で外へ出た。
※※※
無数の
八世紀前にこの塔都で発明された異能――『神能』により目覚ましい経済成長を遂げ、ありとあらゆる科学技術が飛躍的に進歩した。
神話に描かれる神々の権能――神能を行使可能とする人体埋込型電子回路は、いまや希望する人類すべてに埋め込まれ、人間は数多の超常現象を気軽に顕現できるようになった。
独占する価値のある素晴らしい技術である神能は、言わずもがな人の手に余った。超常現象は悪行にも利用されるようになり、法や倫理は意味を為さなくなると、世界の秩序は崩壊の一途を辿った。
この技術を独占せしめる日本と他国との間で第三次、第四次世界戦争が勃発し、多くの国家の退廃と統合が繰り返された。
その過程で、人類は神能の存在を基礎とする新たな秩序を定めた。
だというのに、新たな秩序もまた、現在進行形で崩壊の一途を辿っている。
突如として発生した、何万回と続く永劫の
――時を巻き戻し、繰り返すなど、世界の常理に反する。
――神能を扱う人間を排除すれば解決するはずだ。
そんな、根拠も確証もない主張が世界を席巻した。
神能は不変の概念を犯す禁忌だと糾弾する越えに屈し、神能をもつ人間は一度、全員が皆殺しに遭った。
それでも世界を犯す異変――永劫輪廻は止まらなかった。
そして、殺したはずの人間が息を吹き返してしまった。
その結果がもたらした絶望は語るまでもない。
繰り返される痛みに耐えかね、腹に子どもを宿したまま絶命する女がいた。
窃盗、強姦、殺人、放火……ありとあらゆる犯罪に手を染める者がいた。
罪もなく虐殺された善良な市民が、神能を振るい、私怨を晴らすために悪逆の限りを尽くした。
借金を踏み倒し、積み重ねた信用を切り崩して豪遊し、怠惰の限りを尽くする者がいた。
死んでも生き返るのだから、なにをしたって自由だ。
死刑は刑罰として意味を為さなくなり、犯罪に歯止めをかける術はなく。
正義の鉄鎚は形骸化し、新たな秩序もまた有名無実化となり。
法も秩序も、蔓延り続ける悪の前には無為と化した。
この世界に救いはない。
唯一の希望は、何万回も繰り返す世界で、いまだに正義を貫こうとする人々の意志の強さだけ。
けれど、そんな存在は、もはや絶滅危惧種だ。
ふとした思いつきで善行に勤しむなんて突拍子もない行動もまた、同様に。
※※※
高層ビル群に切り取られ狭苦しい青空の下、ロックは息を潜めて路地裏を進む。
「そろそろのはずだ……っと」
目的地に通じる丁字路を右へ曲がろうと踏み出した刹那、複数の人影を察知したロックは身を翻し、路地に積み上がった木箱に隠れた。
目標を捕捉して、嬉しさよりも苛立ちが先立つ。
「…………野郎ども、足を洗っちゃいなかったみたいだな」
以前、手痛い仕打ちをしたはずだが、どうやら懲りていなかったらしい。
数万ヶ月前、窃盗団が女性に強盗を働く現場に偶然出くわしたロックは、完膚なきまでに窃盗団を痛めつけ、牢獄に送った。
そのときとなんら状況が変わっていない。
瀕死に追い詰めたから懲りたろうと高をくくっていたが、件の三人衆に反省の色は見られない。
改心してくれるだろうと淡い期待をしてしまったことを今更ながらに後悔する。
「い、いや……誰か、助けてっ!!」
少女の悲鳴が谺すると同時、バンダナを頭に巻いた痩躯の男が、その手に握る猟銃を突きつけながら少女に残酷な真実を告げた。
「はっはっはっ!! あえて人気のない場所へ誘導してんだ、蚊の鳴くような声でわめいたところで誰も来やしないぜぇ?」
「そ、そんな……」
「まったくこいつはツイてやがる。こんな簡単な仕事で奴らからがっぽり金がもらえるとはなぁ。この一ヶ月は遊んで暮らせそうだ、ははっ。それにしても綺麗な肌してやがるぜ……おまけに未成年、顔も悪くねぇ。親方ぁ、こいつ、奴らに引き渡す前に犯っちまってもいいんですかねぇ!?」
無精髭を蓄えた小太りの卑賤な欲望に、少女の顔が絶望に染まる。
その仕草が嗜虐心をかきたてるらしい。親分と呼ばれた大男が囚われの少女を睥睨し、鼻息を荒くしながら卑しく舌なめずりをした。
「依頼人から言われてんのは、指定の場所にこいつを生きて連れてこいってことだけだ。夕刻に身柄を引き渡せばいいからな、遊ぶ時間はたんまり残ってる。輪姦すな、とは命令されちゃいねぇなぁ……へへっ」
「う、うそっ……い、いやっ、引っ張らないで……っ」
「いい加減、おとなしくするんだ。最初は痛いかもしれねぇが、そのうち気持ちよくなってくるぜぇ……病みつきになっちまうかもしれねぇなぁ……ひははっ!!」
「やだっ!! 嘘でしょ……っ、嫌ぁっ!!」
少女の叫びが虚しく響く。
我慢の限界だった。
「……屑どもが」
小さく吐き捨て、ロックは丁字路に躍り出ると、慣れた所作で素早く標準を合わせ、少女を羽交い締めにしていた下っ端の肩を撃ち抜く。
「ぐあっ!?」
小太りが呻き声をあげてたたらを踏んだ。
拘束が緩んだ隙をついて少女が転がるように窃盗団の輪から抜け出す。
……が、すぐさま大男に手首を掴まれてしまった。逃走はあえなく失敗に終わる。
「嬢ちゃんをいますぐ解放しな」
「こんなところを見られたとなりゃ、生かしてはおけねぇなぁ!! 殺しちまえっ!!」
「アイアイサー!!」
ロックと少女に挟まれた子悪党どもが猟銃を一斉にぶっ放す。
「――なっ」
あまりにも唐突な挨拶に、致命的なまでにロックの反応が遅れた。
そして、超音速の弾丸が正確無慈悲に心臓を射貫き、
「――と、こいつは随分と行儀の悪いご挨拶じゃねーの」
ロックは無傷の胸元を擦りながら、忌々しげに舌打ちを鳴らした。
「はぁ? おいおい、なんだそりゃ!? ふざけてんじゃねぇぞ!! 死ねやぁぁぁぁあっ!!」
バンダナ男が奇声をあげながら猟銃を連射。
だが。
「……おいおい、ちったぁ落ち着け、な?」
標的の肺腑を喰い破るに十分な威力の銃弾は、虚空へ吸い込まれるかのようにロックの身体をすり抜ける。
「弾丸が効かねぇだと……、てめぇ……なんだその神能はっ!?」
「……待てよ、あいつどこかで……ああっ、思い出した!! もしかしてずっと昔に俺っちのことを小太りの屑呼ばわりしてきたやつじゃないっすか!? ええと、名前は確か――」
「――雷帝、ロック・ジャスティン」
親分と呼ばれる大男が顔を真っ青にしてぼそりと呟いた。
「そ、そうだ!! こいつ確かそんな名前…………、え……、ら、雷帝……だってぇ!?」
「まったく面倒な輩に目をつけられちまった。二つ名を持つような大物がなんでこんなところにいやがる……っ」
表情を一変させ、恐れ戦く三人衆を前に、ロックはにへらと笑ってみせる。
「こんなところとは失敬な。住み心地は最高なんだぜ? ……と、冗談はこのあたりにしておくか。実はこの一ヶ月、真面目に稼業をするつもりでな。手始めにどうしようかと考えていたら思い出したんだ。いつぞやの十二月にも、ここで強盗犯どもを取り押さえたことがあったな、ってな」
「そのまま忘れていればいいものを……っ」
ぎり、と奥歯を噛みしめた大男がロックを睨み付ける。
「子悪党が現場に戻っちゃいねぇか確かめにきたら、まぁこれだ。一度ぶち殺したくらいじゃあ、その腐りきった性根は治らなかったみたいだな。とんだ骨折り損だ」
「馬鹿言うんじゃねぇ、こんなクソッタレな世界で足を洗えってか!? 生真面目に生きたところで全部元通りになっちまうんじゃあ意味ねぇだろうが!! 野郎ども、ロックを殺せ!! この一ヶ月は、これまでのとは違うんだ。この取引は絶対に
「アイアイサー!! あんときと同じ俺たちだと思ってんなら大間違いだっ!! 地獄の焔に焼かれて死ねぇっ!! ひゃははははははははははははははっ!!」
《神能発動:北欧神話――ヘル――
刹那、バンダナ男の猟銃から青白い火炎が噴出した。
身を隠していた木箱や周囲の民家が巻き込まれ、一帯が火の海になる。
「点でダメなら面で制圧しちまえばいいんだもんなぁっ!! さすがに神能まで透過でやり過ごすなんてことはできねぇはずだしよぉ!!」
「雑魚が考える程度のことを、この俺が読んでいなかったとで思っているのか」
「……は?」
「とりあえず逝っとけ」
いつの間にか背後を取っていたロックは、バンダナ男の脳天に鉛玉をぶち込んだ。
悲鳴もなく、糸が切れた人形のように頽れる。
事切れた雑魚を一蹴したロックは、間髪入れずに残る二人へ銃弾をぶちかました。
眼前の小太りに二発、続けざま、大男に二発。
だが、どちらも弾かれた。
いいや、正確には、忽然と出現した豪腕に、鉛玉をはたき落とされたのだ。
《神能発動:ギリシャ神話――ヘカトンケイル――
「ここは任せたぞ」
大男が小太りの部下にそう告げて、少女を無理矢理引っ張っていく。
「行かせるかよ!!」
「そいつは俺っちの台詞だな!!」
小太りの男が肩から百の豪腕を生やして立ちはだかった。
発動した神能の能力か、丸太のような腕の一本一本が意志を持つかのように蠢き、ロックの眼前で曼珠沙華のように咲き乱れている。一撃でも脳天に拳をもらえば昏倒は免れないであろう巨腕を睨み、ロックは唾を吐き捨てる。
「ちっ……面倒くせぇ」
「意地でも通さないぜ。あいつを売り払えば一生遊んで暮らせる金が手に入るんだ。夢にまで見た億万長者になれるんだ!! だってのに……邪魔するんじゃねぇ!!」
「人身売買にまで手を出しやがったか。とことん救いようがねぇな」
「いつまでも減らず口を叩けると思うなよ。文字通り、袋だたきにしてやる!!」
《神能発動:ギリシャ神話――ヘカトンケイル――
驟雨のごとく降り注ぐ拳の嵐。
それを、ロックはバックステップで躱す。
そして同時、銃を天高く撃ち放った。
「はははっ、俺っちの猛打を前に降参の合図か? どこ向けて撃ってやがる!!」
醜い笑みを浮かべた小太りの男へ、ロックは鼻で笑って返す。
「ふん。くだらねぇ。てめぇは邪魔だ。そこでくたばっとけ」
《神能発動:ギリシャ神話――
蒼穹から地へ向けて、無数の稲妻が駆け抜けた。
「あ、があああああああああああああああああああああああああっ!?」
万雷に打たれ、小太りの男が命の灯火を燃やしながら断末魔をあげる。
だが、悲しいかなここは人気のない路地裏で、いくら大声を上げたところで誰も助けにくることはない。
そして、その悲鳴を唯一聞き留める男は、無常にもとうにその場から走り去っていた。
「無駄な時間を喰っちまった。あの野郎、どこ行きやがった……っ」
息を切らしてロックは駆ける。
大男の背中を追いかけるにも、迷路のように入り組んだ路地裏は距離を離されると追跡も難しい。少女の声も聞こえず、足音もまるでなし。
雑魚にかまけている間に手がかりを失ってしまった。
そう諦めかけたそのとき、すぐ近くで発砲音が鳴り響いた。
「……っ、そっちか!!」
ロックが駆けつけると、少女はおらず、その代わりに銀髪碧眼の青年が大男と対峙していた。撃たれたのだろう、肩口から血を流す大男がロックへ振り返り、忌々しげに目を眇める。
「くそ、挟まれちまったか……っ」
ロックもまた双眸を見開いた。
そして、焦燥に駆られた表情を勝ち誇った笑みに変え、大男に銃口を向ける。
なぜ青年がこの場に居合わせたのかさて置いて、どうやらこの大男に宿った脅威は消え去ったらしい。
「ここでチェックメイトみたいだな」
「時間稼ぎにもなりやしねぇのか、あいつらは……っ!! 獲物も取り逃がしちまうわ、出会い頭に一発ぶち込まれるわ、ああくそ、散々だっ!! こうなりゃ容赦しねぇ、てめぇらまとめて殺してやるっ!! 俺様の神能を受けて無事で済むと思うなよっ!!」
《神能発動:北欧神話――
大男が帯剣していた剣を居合抜きのごとく振り抜いた。
だが、
「……はぁ?」
剣は虚しく空を切るだけ。
この空間を極炎に染め上げるはずだった超常現象は不発に終わる。
「なんだ、こいつは。どうしてレーヴァテインが発動しねぇ……?」
茫然としたまま、大男は己に傷を負わせた痩躯の青年をみつめ、その視線を彼の握る銃へと向けた。
十字架の紋様が刻まれた漆黒の銃身。
「……まさかっ」
それは、神能使いにとって天敵にも等しい異名を持つよろず屋が愛用しているという、この世に二つと存在しない噂の一品ではなかったか。
全身の血の気が引いていく感覚に、大男はたたらを踏み、そして悟った。
「てめぇ、神能殺しのダインかっ!? お、俺様の神能を殺したのかっ!?」
大男の問いに、銀髪の青年が澄み切った双眸を細めると、丁寧な口調で、嘲笑うように呟いた。
「……物騒な言い方はよしてください。そもそもこうしていなければお前は僕を殺していたところですよ。小さいころ、人にされて嫌なことはするなと教わらなかったんですか。ああ、そうか、なるほど。これは申し訳ない。屑野郎が何千年も昔のことを覚えていないのは当然のことでしたね」
「許さねぇ……、このままタダで済むと思うなよっ!!」
神能を封じられた大男が闇雲に剣を振るうも、銀髪の青年にはまるで届かない。
大振りの斬撃を器用にあしらいながら、蒼眼の青年はつまらなそうにさよならを告げる。
「異名を知っていながら僕にたてつこうなんて、身の程知らずもいいところですね。呆れを通り越して感心すらしてしまいますよ。命まで取るつもりはなかったんですが、神能が使えないなら生きている意味などないと考えているみたいですね。なら、望みどおりあの世へ送ってやりましょう」
華麗な身体捌きで一気に距離を詰めた青年は、大男が振り下ろした剣を上から踏みつけ、同時、漆黒の銃を突きつけた。
その銃身に宿る十字架は、死者の安らかな眠りを祈るように鈍く輝いて。
「ま、待てっ、馬鹿、ふざけ――」
「縁があったら、いずれ、また」
手向けに送る微笑には微塵の慈悲もなく。
青年が躊躇なく大男の眉間を撃ち抜くと、路地裏には静寂が訪れた。
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