3

 完全に日が沈んだ。

 人工的な明かりが圧倒的に少なく、闇夜に包まれる町を見下ろすと、不気味さの正体をつかめるような気さえしてきた。

 チーム宮殿の面々はまだ到着しない。まあ、もともと期待しているわけではない。一刻も早く彩佳を助けること以外に、もはやふくみの興味は向けられなかった。

 倉庫までたどり着く。

「美雪は、ここにいて」

 美雪を田んぼの縁に寝転ばせて、ふくみは倉庫を観察する。

 入り口に、町民。一人だ。中高年の男性だった。手には、棒切れを携えていた。ふくみを探しているのだろう。じっとあたりを見回していて、はっきり言ってしまえば邪魔だった。

 置かれていた資材を踏んで、屋根に上る。吐きそうだったが我慢した。石を取り出して、入り口から腕を伸ばして倉庫内に向かって投げた。

 音。

 町民は振り返る。

 屋根から飛んで、ふくみは男の背中側に着地。

「な……」

 その背中を躊躇いもなく蹴って、床に倒した。すぐさま扉を閉めて、閂を下ろした。

 中から叫び声と、殴る音。

 出してやるもんか。

 さて、この倉庫はもう使えない。他に何処か探さなければならない。

 彼女は再び屋根に登った。辺りを見回すためだ。彩佳と精密女の所在を確かめたい。結局、寺から動いていなければ、それはそれで好都合なのだけれど、美雪が移された以上、可能性としては低い。

 ああ、身体がしんどい。どんどん言うことを効かなくなっているような気もする。この状態にも慣れたと言えばそうだが、だからといって、いつものように機敏に動けるわけではない。ずっと息を吸っても、肺に空いた穴から抜けていくみたいだった。

 耳に反応。

 聞き覚えがある声。

 何処だ。探知する。

 線路の隣。そこに建っているアパート。ベランダから、聞こえる。

「美雪!」

 屋根から飛び降りて、美雪に伝える。

「精密女よ! 居たわ!」

「そう…………じゃあ、助けないと……」

 美雪はふくみの腕にしがみついて立ち上がった。

 ただ助けに行かないとという強迫観念が、ずっと胸を刺しているようだった。



「ねえ、加賀谷彩佳さん。辛い?」

 この真っ白い女は、私の顔を見ながら嬉しそうに尋ねる。

 辛い。辛すぎる。だけど無視した。返事をする気力すら私にはなかった。

「死にたい?」

「…………」

「私もね、そうだったの」

 九曜ルノミは訊いてもいないのに、自分の過去の話を、自慢するみたいに私に言って聞かせた。

 子供の頃は幸せだった。両親は優しくて、何でも買ってもらえて、友達も多かった。けれど家の都合で母親の実家に引っ越してきてから、血縁のない連中からのいじめがひどかったらしい。そのころは、ただただ毎日死にたいとしか思っていなかった、とルノミは語る。

 そして釘を飲まされて舌を傷つけ、病院に担ぎ込まれた先で、機械化能力のパーツを得たという。舌が機械化部分になるだなんて、機械化能力者全体から見ればかなり珍しい。大抵は腕がそうなると聞くのに。

 機能は「懐かしさを増幅させる」こと。当初、その利用方法が全くわからなかった彼女は、しばらく自分が機械化能力者であることすら忘れていたが、あるとき知人に指摘された。「あなたといると、懐かしい感じがする。良い」。

 懐かしさ。その感情の持っている力は、並の喜怒哀楽に分類されるものよりもずっと大きいなんて、私ですらわかっている。人は懐かしさに触れたとき、オーガズムを求めるみたいに何度だってその行為を繰り返すものだった。

 いじめられて辛いことがあっても、自分自身に機能を用いれば、楽しかった日々をいつでも味わうことができた。

 気がつくと、懐かしさを得るために彼女に集まってくる人間が増えた。

 そしてルノミは思い至った。これを活かすこと、分け与えることが自分の天職だろうと。

 そこから郷愁という感情のみを利用して、一つの町を統率するに至るまで、そう時間は要さなかった。今では、町民全員がルノミを慕っているし、報酬として懐かしさを分け与えていた。

 御惨那さまと呼ばれるタブレット端末は、ルノミの機能の拡張パックだという。ルノミの機能に反応して、似たような作用を親機から子機まで発生させられる。

 でも、

 そんな話を聞かされたからって、何だって言うんだよ。

「…………なんのつもりだよ」

 訊いた。ルノミは微笑みながら、引き出しから何かを取り出した。

 ロープ。

 それを、目の前に投げられる。

 くたばった蛇みたいな紐。

「死にたくなったら、それを使えばいいわ」

 そう言い残して、ルノミは消えた。

 ロープを手にとった。

 これで、死ぬか。

 死んでしまえば楽になるのだろうか。わからない。楽になるってなんだろう。でも、死んでしまうことしか、もう今の自分には考えられない。

 過去の懐かしさ、羨望、そして自分の現状への失望。自分の人生で楽しかったときなんて全然なかったのに、なんで昔のほうが良かっただなんて、吐きそうなことを思ってしまうんだろう。

 自分が帰りたい過去。

 そんなもの…………

 ひとつしかない……。

 茅島さん…………何処にいるの? あなたは今、何処にいるの?

 だけど昼間一緒にいたあの女は、本当に茅島ふくみなの?

 同じ顔をしているけれど、中身は違った。彼女は、記憶を失ってから微妙な違いがある。意識をすると、私の中のふくみと彼女を、どうも同一視することが出来ない。

 何処へ行ったの、ふくみ。

 私の知っているふくみは。

 ふくみのいないところで生きている意味なんて、あるの?

 ふくみ。



 アパートだ。あのアパートを目指せ。自分に吐き捨てるように念じる。

 道は目立つ。草の生えている田んぼのほうが、まだ身を隠す場所が多い。歩きづらかったがそこを通った。倒れそうになる美雪を、逐一心配しながら。

 だけど、急に精密女から呼ばれるだなんて。彼女もさっきまで眠っていたとすれば説明もつくが、彼女の機能があれば、町民なんか殴り倒して、さっさと抜け出せそうなものだ。それができない理由とは一体なんだろう。

 美雪のように立つことも辛いくらい意識が混濁しているか、

 この呼び出しがそもそも罠であるか。

「罠か……」

 精密女を餌にして、なにか大きな仕掛けに巻き込まれるのかもしれない。ブルドーザーにでも轢かれてしまうのかもしれない。想像がつかない。爆弾だって、備えていると思っておいたほうが良い。

「あっ」

 不意に足を取られた。倒れてしまいそうになったが、とっさに反応して引っ掛けた足を引いて、速やかに前に出した。

 何かを踏む。

 靴の裏に、何かが刺さる。

「は……」

 数本の釘が打ち付けてある、板。

 スパイクを履いていなければ、貫通して足自体を貫いていた。

 変な汗がにじむ。

「なによこれ……」

 当然、ふくみたちを探しているのだから、それなりの罠は仕掛けているのは覚悟すらしていた。だが、こんなもの、殺すつもり以外の何物でもない。

 足を持ち上げる。釘を抜いて、眺めて、息を吸った。

 錆びている。身体に刺さったら、どんな目に遭うのかわからない。

「ねえ、ふくみ……おかしいよ、この町……」美雪が震えながら口にする。「もう正気じゃないよ……私達だけじゃ、危険だよ。大人しく、『宮殿』を待とうよ」

「だからって…………彩佳も精密女も放っておけないわよ。応援が来るまで何時間かかると思ってるの? その間に、彩佳が…………彩佳があいつらになにをされるか、わからないじゃない!」

「…………だったら、ひとりでどうにか出来るの?」

「やるしかないわよ!」

 風の音。

 目を伏せる。

「ごめん……」

「ううん……いい。早く行こう……」

 美雪は、それから口も利かないで歩いていた。



 アパート。三階建ての、比較的一部屋あたりが広い物件。

 エントランスは開いている。心配だった。警戒しながら、足を踏み入れた。草を結んであったり、板に打ち付けた釘だのを見ると、基本的に罠に使われる原理は、そう理解できないものではないだろう。ゆっくりと進んでいけば、危険は目減りする。

 精密女の声は、三階からした。まずはそこまで登る。

 階段への扉に手をかけると、頭の上で何かが動いた。数歩引いて、足で扉を開ける。

 降ってきたのは、血液と、それが入っていたバケツ。

 床に、失敗したイラストのようにぶちまけられる。急激に生臭さが辺りを支配した。気持ち悪い。吐き気を抱えているというのに、これは最悪だった。胃の中のものを戻しそうになる。

「おえ…………」口を押さえた。「美雪、目を瞑ったほうが良いわ……」

「う、うん……」

 美雪の手を引っ張って、血をなるべく踏まない部分をつま先で立ちながら、ようやく階段に足をかける。すぐにでも駆け上がって、あの撒かれた血液から、一歩でも遠くへ離れてしまいたくなったけれど、罠のことを考えると冷静になれた。

 落ち着こう。ゆっくりと進むしか無い。

 そもそもこんなわかりやすい罠に、何の意味があるんだ?

 いや、それに意識を割かれている時点で、かなりの効果だろう。

 しんどい。罠らしい痕跡を見かける度に、気を引き締め直さなくてはいけないのが、ひどく億劫に感じた。

 慎重に登った。包丁が飛んでくることもあった。腕を切った。痛みと軽い出血だけで済んだ。釘が飛んできた。足に刺さった。痛みのあまり泣いてしまった。これも錆びている。最悪だ。何処かで洗わないといけない。アパートだから、水場に困ったりはしないと思うが。

 階段にはトラバサミまで置いてあった。

 ふざけている。

 引っかかりはしないが、避けて歩くのが辛い。それだけで、体力を奪われてしまう。

 ふざけるな……。

 絶対許さない。

 彩佳に傷が一つでもついていたら、ルノミのやつを百倍くらい蹴り倒したい気分だ。

「……ふくみ、大丈夫?」

「え、ああ、うん……平気」

 なんてことはない。こんな罠なんて。単なる子供だまし。

 問題の部屋の目の前。ドアを調べる。罠はなさそうだった。

 開く。

 見る。

 寝そべっている、精密女――

「まったく……遅いですよ、ふたりとも」

 いつもの調子で彼女は口にしたけれど、明らかに異様だったものがひとつ。

 彼女の機械の両腕が、切断されていた。

 切られた腕は、床に転がっていた。

「ああ、これですか」精密女は寝転がったまま、顎で自分の腕を指した。「これは私の機能を無効化したかったらしく、切断用の刃物で。……痛みはまあ、もともと神経につないでないので大丈夫ですけど……」

 駆け寄った美雪が、精密女に深く抱きつく。

「大丈夫なわけないよ……!」

「ええ、心配してもらえると、嬉しいですけど……」

 ふくみは、周りを見る。何の変哲もないアパートの一室。罠の類もここにはない。キッチンがあるので、ここで傷口を洗いたい。

「ねえ、彩佳は……?」

「彩佳さんですか……彼女はまだお寺だと思いますけど……」

 精密女はいつもよりはっきりしない口調で言う。

「早く、助けてあげてください……彼女には、思い出の甘美さなんて、猛毒でしか無いですよ」



 いつこの部屋に、精密女を運び込んだ人間が帰ってくるかもわからなかったが、比較的冷静だった精密女から、あらかた状況を聞いた。

 まずはルノミの機能。精密女、美雪、そして彩佳の症状から推察すると、あの女の機能は、郷愁感を刺激するものだと思われた。過去への羨望をひたすら美化して、現実を蔑むように仕向けている。

 その推測には、美雪も首を縦に振った。

「うん……そんな感じだよ。晴堀町にいて、ルノミやあのタブレットの御神体の近くにいると、ものすごい安心する……もう、現実には帰らなくて良いんだっていうみたいな。そして、今の自分が、全部嫌になってくる」

「私達が引き剥がされたのは……段階を置いてこの町に慣れさせたかったからでしょう。私なんかは平気そうに見えますから、優先度は下がります。後回しにされますね。一番適していたのが、彩佳さんだったんでしょう」

「彩佳は、何をされているの?」

「そこまではわかりませんけど……郷愁感を麻薬に例えるなら、今はお試し期間ですよ。格安で、好きなだけ服用させてるんです。そうなったところで、麻薬が尽きる。次が欲しくなる。どれだけ高いお金を出したとしても買う。こうして溺れていくわけです」

「早くしないと、彩佳が……戻れなくなっちゃう」ふくみは足の傷口を洗い終えて、精密女に向き直る。「麻薬と言えば、私、薬を打たれたわ。今、最悪の気分」

「医師はなんと?」

「鎮静剤の一種かなって。本当に麻薬の可能性もあるけど……」

「私も打たれたんですよ、それ」精密女が平然と口にする。「ルノミの機能の効き目が強まるみたいです。身体に害があるかどうかは、よくわかりませんけど、私ももう最悪の気分です。昔に戻りたすぎて」

「私は、気分が悪いだけよ」

「それはあなたが、記憶喪失だからですよ。懐かしむ思い出がないんです」

「良いのか悪いのか……」

「いえ、ルノミにとっては、あなたは世界で唯一の天敵でしょう」精密女は、真剣な声色で口にする。「あなただけなんですよ、九曜ルノミの機能に逆らえるのは」

「そう言われると、責任重大ね……」

 もとより、機能が通じようが通じまいが、彩佳を助けることしか頭になかった。

「町民はルノミの機能で操られています。操られている、というのは正確な表現ではないのかもしれませんけど、そうですね、すさまじい郷愁感と引き換えに、忠誠を誓っています。殴ったって、正気には戻らないでしょうね」

「懐かしさを、タバコみたいに吸ってるのね」

 あの死んでいた男性について思いを馳せる。こうなると、答えなんて一つしか無い。

「母屋でなくなっていた人は……自殺したんだわ。思い出と現実の乖離に苦しんだのよ」

「ルノミが仕向けたの?」美雪が尋ねる。

「それはわからないけど……現場は密室だった。ずっと軟禁されていたのかも」

 ふう、とため息を吐いて、ふくみは玄関へ向かう。

「これから、本人に訊いてみるわよ。あなたたちはここにいて。待っていれば、『宮殿』の連中が来るわ」

「え、ふくみ一人で行くの?」

「ええ……。もう時間がないし、あなたたちだって、ふらふらじゃない」

「一人じゃ無謀だって言ったじゃん! ふくみだって薬を打たれたんでしょ! なんでそうなるの、おかしいよ!」

 美雪は立ち上がろうとしたが、膝をついた。力が入らないらしい。

「あなただって、私達なんかよりしんどそうですよ」精密女が睨む。「できるんですか」

「やるしかないって、何度も言ってるじゃない……」

 彩佳。

 待ってて。

「彩佳を助けられないなら、死んだほうがマシよ」

 ふくみはさっさと部屋を出る。

 背中になにか、声をかけられたが、振り返るつもりはなかった。

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