外に出なくていい簡単なお仕事です_200531

『こんにちは、セロ=モルティエ。61日目、今朝の気分はいかがでしたか?』


 今日もモニター越しにセンセーのカウンセリングが始まる。

 契約で監禁状態になってしばらく経ち、彼女と会話するこの短い時間が唯一の癒やしであり、数少ない娯楽になっていた。


「まぁまぁかな。運動してたら机に指先ぶつけちゃって、そこがちょっと痛いくらい」

『それはそれは……。では、着替え支給のときに湿布もお渡しいたしましょう』


 他には何かあるかと問われ、とくに何もないよと答える。


「ああ、でも、しいて言うなら、君の目を見てカウンセリングされたいかな。きっとどんなものより僕を癒やしてくれると思うんだ」

『またそれですか? あなたも懲りませんね』


 そう、その声を待っていたんだ。声が微かに笑むときの耳心地良さといったら……ああ今日も僕の推しセンセーがカワイイ。


 叶うならずっと話していたいが相手は仕事。ジャマをしたいわけではないから、そのあとは問われるままにいくつも答えていく。二週間もそれを繰り返せば、別段なんの苦もないルーティンになった。目を閉じて聞き入れば幸せな気持ちにひたれるのだから、もっと早い段階で慣れているといえば、まぁそうだ。

 どこか体調が悪いときは質問が増え、薬を処方してもらうこともあった。的確な診断のお蔭か、風邪も長引かずに治って助かる。


 この監禁生活を始めたのは、働かないと生きていけない所持金になったからだ。

 衣食住は完全提供。3ヶ月所定の部屋で自由に過ごすだけで給料も出るし、しかも福利厚生までしっかりしているとなれば、怪しいとは思いつつ飛びつかずにもいられず……。そして案の定、実験の被験者として監禁生活をおくることになったわけだが、外部との交信一切ができないこと以外は何をするのも自由という楽なもので安心したものだ。


『他に何か必要なものはありますか?』

「今日もありませんよ。大丈夫」

『そうですか。では、よい午後を』


 通話を終え、支給された昼食をとりながら何をして過ごすか考える。


 本はアーカイブされた〈電紙書籍〉が読み放題だが、好みの作者や作品を掘り当てるまでに苦労することが分かってから読む気になれない。元々読むのが好きなほうではないし、そうなると当然詳しいわけもない。誰かオススメしてくれればと考えるたび、そういった通信のできない環境下で行なっている実験だからムリだ諦めろと自分に言い聞かせる。


 動画もアーカイブされたものがあって、観たかった映画やドラマ・バラエティー・アニメなど、いろいろ観た。全部はいくら時間があっても難しいが、気になっていたものはあらかた観尽くしたと思う。そう何度も観たい作品もないし、こちらもまた通信できないゆえに新着を待って楽しむことはできない。


 それに、インプットばかりの生活のせいか何を読んでも観ても楽しめなくなってきている。この仕事を受ける前までだってわりえのしない生活を送っていたけれど、それなりに変化を感じていたように思う。となると、楽しめるのは変化のあるもので――


「ごちそうさまでした」


 残りのスープをズズッとすすりきり、トレーを返却口に戻す。それから「今日も創作活動にいそしみますかー」などと呟いてノートと鉛筆を机の引き出しから取り出した。

 初めは『〈電紙〉ばかりの今の世に、なんてローカルな』と思ったけれど、クラウド保存も同期もできず〝ここだけに在る〟というのがなんだかおもしろくなって書いたり描いたりし始めたら楽しくなったのだ。落書きにすぎなくても、共有できる相手のない隔離空間だからボロクソに評されることはない。同時に、共有したから得られるだろう楽しさもないが。


 壁面にある端末で〝仮初めの森〟を呼び出す。四角四面のこの部屋には窓がない。その代わりに、部屋全体に景色を写して環境音を流すことができる凝った作りになっていた。街の雑踏の真ん中で過ごすこともできるし、満月の下で虫だのカエルだのが合奏するのを聞くこともできる。

 支給してもらった安楽椅子をゆらしながら、目を閉じ、何を書こうかと考えながらしばらく森の音を堪能する。温かな日差しと涼しげな空調にそのうちウトウトしてきて、たまには昼寝もいいかとノートと鉛筆を机に乗せた。




 遠吠えの声に眠りからさめると、森の上から細い月が覗いていた。壁の時計を見れば時刻は夕食どきをとうに回っている。いくらなんでも寝過ぎだ。

 まぁ、そんな日があったっていいさ。そう口ずさんだあとで欠伸あくびと伸びをして、薄暗い室内を壁面の操作パネルに向かう。と、何かを蹴った。次いでカラカラと転がる音がする。その長方形は、手に取らなくても分かった。


「どうして床に……」


 ひとまずそれらをまたいで、まずは室内投影を終了した。この時間帯の控えめな通常光に戻り、床のそれがやはりノートと鉛筆であるのを確認する。拾い上げ、改めて机の上に置いたタイミングでいつもと違うことが起こった。


『こんばんは、セロ=モルティエ。61日目、夜の気分はいかがでしょう?』


 先生のカウンセリングは一日に一度、昼食前と決まっている。その証拠に、一度も「こんばんは」だなんて聞いたことがない。しかも、いつもは麗しいクールな美声がどことなく焦っていることも気になった。


『急で申し訳ないのですが、大事なお話があります』


 心臓が早鐘を打つ。何を改まってと茶化してしまいたいが、そうしていい場面にも思えず黙って頷いておく。


『ひとつ。実験は本日をもって終了します。理由はまだお伝えできません。

 ふたつ。報酬をお渡しできなくなりました。ですが、お望みであれば今までとほぼ同じ生活を保証することができます。

 みっつ。ここを立ち去ることも選択可能です。その場合は実験終了理由についてお教えすることができます』


 そこまで言って、どうしますかと悲壮感混じりの声が問う。

 働かずにして報酬を得られると聞いて飛びついた仕事、もとい監禁生活だ。報酬がもらえないというのは今後の死活問題でもあるが、かといって、このままの生活を続けていく自信もない。この61日間、何処へともなく駆け出して叫び声を上げたいときは何度もあった。何か問題が起きたから実験中止になっただろうに、そんな説明だけで判断しろと言われても困る。


「――君は? 君には会える?」


 どうしてそんなことを聞いたのか、自分でも分からなかった。この2ヶ月間、毎日ほんの少し言葉を交わすだけで、軟派なことを言っていたのだってただの冗談だったはずなのに……いつの間にか本当に恋をしてしまっていたのだろうか。

 ノートにつづったどの物語にも、老若様々に名前のないまま一緒に過ごす女性が常にいた。おもしろがって登場人物にしたはずが、今では「もっと話したい」ただそれだけを思い描いて空想の彼女を動かしていた。変質者めいたその行為も、恋ゆえとすればまぁには落ちる。


『〝会う〟の定義による。としか今は言えませんね』

「僕が望んだ形じゃなくてもいい。会える可能性があるのは〝ここを出る〟って選択肢しかないだろう? 僕は君に会いたい。会って、今度こそ名前を聞くんだ」

『選択、承認します。変更はできません。本当によろしいですか?』


 力強く返事をすれば、しんと静かな時間を置いて「シエラ」とため息混じりの声を聞いた。


『私の名前です。フリ=シエラ。――後悔しないでくださいね。私も、たとえ貴方の望む形でなかったとしても会いたいです。会いたかったです』


 告白にOKをもらったときの気持ちというのは、こういう感じなのだろうか。身も心もふわふわと浮き上がるような――あれ?


『すみません。重力管理にまた影響が出てしまいました。元々の期限までは〈人格複製者ブレインコピー〉の私一人でも保たせられるのですが、地球の本社にいる遠隔修理役の〈本体オリジナル〉が先ほどの隕石衝突の際に亡くなり、どうしようかと思案していたのです』


 規模が規模なので、本社自体も壊滅していることを衛星カメラで確認しました。などと、さっきまでの重い口調はどこへやら、重要なことを続け様にサラリと言ってのける。心なしか怒気をはらんでいるような気がして口を挟むに挟めない。


『そもそも、私にぶつけて実験報酬を事故保険の黒字に反転させつつ自分たちは助かろうだなんて、そんなの許せません。かすりはしましたが回避してやりましたとも。その結果、本社にピンポイントインパクトすることになったのは計算外でしたけど』


 本当ですよ、と可愛らしく添えられたが、近くに落とす計算はしていたんだろう。俺や他の被験者を守るためであれば、回避行動自体に制限がかかるわけもない。しかも、あくまで偶然飛来した隕石によるものであって彼女が攻撃したわけではないから『人に危害を加えない』という制約にも反しない。


 そら恐ろしい告白を聞かされている現実から逃避したくなった頃、「それはそうとして本題に入りましょう」の声がかかった。


『出ることを選択してくださったので、再雇用させていただけたらとても嬉しいです。経歴拝読しましたよ、技術職をしてらしたのですね。退職理由は上司からのパワハラとのことですが、その点はご安心ください。私から危害等を加えることはプログラム規定上できませんから』


 またしてもサラリと、まるで歌うような口上は続いて、可笑しくなって僕も軽く引き受けた。ここが地球上でないなら、帰る手段を確保しなければいけない。過労で辞めてから長いからそのブランクは怖いが、そこはまぁ、どうにかなるさ。なにしろ、休息は十分にとれたのだから。


「それじゃあ改めて。よろしく、シエラ」

『はい、こちらこそ。モルティエ』


 部屋に浮くノートと鉛筆を拾ってから、僕は部屋の外へと浮つく一歩を踏み出した。




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外に出なくていい簡単なお仕事です

〔2020.05.31 作〕

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★ pixiv「ワンルームSS」企画コンテスト応募作、選外。


「一部屋の中だけで完結する」「2,000字以上、30,000字以内の小説」というお題で書いた短編。あらすじと本文の乖離もあって評価はボロボロ…課題の多い作品でした。

 一番の問題は「実験内容とその目的が明かされていない」ことで、この公開に当たってキチンと加筆しようかと思ったのですが、まぁ、記ログとしてはそのままがいいのかなとやめました。


 ちなみに、微修正前のpixiv公開版はこちら。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13050259


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