聖夜に来たる運び手は_171225

 ふわり、ふわり。春に舞うワタゲのように雪がふり始めました。ついさっきまでにぎわっていた街にまだ少しのこる音さえもすいこんで、はらはら、しんしんと世界を白く染めてゆきます。

 実際じっさい、夜のふけた街なかを動いているのもノラ犬くらいのものですから、よけい静かに感じるのでしょう。けれど寒々さむざむしく感じないのは、ひとえに雪雲のむこうから満月がやわらかい光をそそいでくれているからにちがいありません。

「……今日もいい夜だ」

 教会の鐘楼しょうろうから街を見おろしていた男が、ふかい、ふかい一呼吸ひとこきゅうをしてから、そうつぶやきました。



 ズボンのポケットから銀色の懐中かいちゅう時計を取りだし、ながめます。その短い針と長い針は、もうすぐ真上で重なりそうです。

「さぁーて、そろそろ行くか」

 小さな掛け声とともに立ちあがった男は、首から下が黒づくめでした。

 上は長そでのニットで、その肩とひじには革がぬい付けられていて丈夫じょうぶそうですし、下はピッタリとした長めの綿めんパンで、その左ももにはベルトで四角い小さなポーチをぶらさげています。仮に『これからどこかへ盗みに入ります』と言われてもすぐに納得してしまいそうな格好かっこうです。

 そして不思議なことにその両肩に赤と青、2つの光がふわりと灯りました。



「ぃよっ! 待ってました!」

 おさない声とともに男の右肩に浮いていた赤い光が大きくふるえ、蛍火ほたるびのようにまたたき、

「もう少し落ち着いたらどうですの?」

 左肩に浮いていた青い光もまた、別のおさない声とともに小さくふるえ、星のようにまたたきました。


   ◇


 ふいに扉の開く、きぃ、という小さな音が少女の耳に届きました。ほんの少しの期待を胸に少女は振り返りましたが、そこに居るのは待ち人ではなかったのでガッカリしてしまいます。



「まだ眠れないの?」

 その問いに、少女は一度だけうなずきます。そこにいたのは、少女のお母さんでした。

「牛乳、温めたら飲む?」

 この問いにも少女がコクリとうなずくと、お母さんは階段をおりて行きました。

 少女はさきほどまでと同じように窓枠に両ひじをついて空を眺めます。雲はところどころ切れていて、はらはらと雪を降らせているのに明るい夜でした。雲のすきまから時々さす月の光をあびると、雪がその白さを増して綺麗に見えます。

 とん。とん。とん。

 階段をあがってくる音とともにお母さんが戻ってきました。その手には、ふわりと湯気のあがるマグがあります。

 それを少女は「ありがとう」と言って受けとり、一口飲みました。中の牛乳は熱すぎずぬるすぎず、そしてほんのり甘くて美味しいものでした。



「気になる気持ちは分かるけど、あんまり遅くまで起きてないのよ?」

「うん。ちゃんと寝るよ」

 少女の素直な答えにお母さんはやさしく笑って、頭をなでてあげました。

「マグ、さげなくていいからね」

 うん、とまた1つうなずいて、少女は「おやすみなさい」と見送ります。お母さんも「おやすみ」と言い置いて、床の開き扉をしめていきました。

(やっぱり、寝てないとサンタさんは来ないのかなぁ?)

 そんなことをぼんやりと考えながら、ハチミツ入りの牛乳を、少女はチビチビ飲みます。手の中のマグは、カラッポになってもまだほんのり温かかったので、ホッペにあててニコニコしていました。

(……もう寝ようかな)

 そう決めて、冷たくなったマグをテーブルに置こうと歩み寄り、はたと立ち止まりました。



 少女は考えます。カップの中身が牛乳だったこと、牛乳は乾くと洗いづらいこと、水につけておくか軽くすすいでおいた方がカンタンに洗えていいことを。――それは、少し前に洗い物を手伝って学んだことでした。

 台所に下り、流し台のオケに溜めてある水を少しだけマグですくい、クルクル回しすすぐと捨てました。あとはオケにしずめれば、おしまいです。

(褒められるかな?)

 そんな期待をほんのちょっぴりだけ胸に、少女は屋根うら部屋へと戻ります。


 ……カタン。


 少女が部屋への階段をあがっている、まさにその時でした。部屋の中から、もの音が聞こえたのです。それに、ひらいたままにしていた扉から、少しだけ冷たい風が流れてくるのも感じます。



(わたし、窓……開けてない)

 ドキドキしながら少女がそっと中をのぞき見ると、窓辺に人かげが1つと、赤い光と青の光が1つずつ見えました。


   ◆


「おかしいなぁ。この家のはずなんだけど……」

 黒い男が低く小さな声で呟きました。困っているようで、困っていないような。どちらとも言えない口調です。

「なんだよーぉ。まーた開け損ってなぁ無し、だぜ?」

 男の右肩あたりに浮いていた赤い光が、またたきながらちゅうをゆれ、その色のあざやかさがショボンとくすみました。



間違まちがいは間違い。――それでよろしいと思いますわ。これは元々、わたくし達の仕事じゃございませんもの」

 男の左肩のあたりに浮いていた青い光は、大きくしずかにゆれて、肩におりました。心なしか、その光は小さくなったように見えます。

 そのあいだ、男は手に持った紙束を食い入るように読んでいました。クリップで留められたその数枚の紙は、どうやら何かのリストのようです。一番上のものを見るかぎり、少し大きな字の下に小さな文字がびっしりと並んでいます。おそらく他の紙も同じように真っ黒く、けれど丁寧ていねいに書かれているのでしょう。大きな字のほとんどは赤い鉛筆でレ点が書かれていて、チェックされていないのは一つだけでした。

「初めの内ならまだしも、最後の最後で家を間違まちがえるわけが……」



 そう呟きながらも「ひとまずは」と窓を閉めると、男はまたうなり始めました。

 光に目があるのかは分かりませんが、それを見た赤い光は男のもとをはなれます。部屋をながめるように飛び回り、そして扉がひらいていることに気がつきました。


   ◇◇


 部屋をのぞいていた顔を階段にひっこめて、少女はあれこれ考えていました。

 サンタにしては格好が違うと思えば「おっちょこちょいだと言うから、きっと服を黒く染めちゃったのね」と考え、生き物のように宙を動き回るあの光はなんだろうかと思えば「少し前に読んだ本に出ていた『光の妖精』みたいだけど、まさかね」などと考えているのです。

 考えても考えても尽きない頭の中をそのままにして、少女はもう一度部屋をのぞきこみます。窓から差しこむ月明かりを頼りに目をこらすと、男が何かつぶやいているのが分かりました。



 屋根うら部屋はそれほど広くありませんでしたが、よほど男の声が小さいのか、少女が耳に手をあてがっても何も聞こえませんでした。

 聞くことをあきらめて、少女が顔を部屋に向けなおしますと、いつの間に移動したのか、窓辺に立っていたはずの男がすぐ目の前にいるではありませんか。

 男は片ひざをついてかがんでいるので、数段下で驚いて立ち上がった少女と同じ目線になりました。

「こんばんは。君がサンタにお願いごとをした子だね?」

 足音がしなかった。おひげが生えていない。おじいさんじゃない。ちょっとカッコイイ。まさかドロボウ――などなど、少女の頭の中を駆けめぐっていた色々は、男の「サンタ」の一言で吹き飛んでいきました。

「おじさん、サンタさんの知り合い!?」

 少女は目をかがやかせ、詰め寄ります。



 そんな少女の様子に男はキョトンとし、その両肩に浮いていた赤と青の光は小刻みにふるえながらまたたき始めました。

「……笑いすぎだ」

 おどろきで見ひらいた目をとじ、ため息とともに男は言いました。まぶたが上がり現れた茶色のひとみに少女がうつると、今度は困った顔に変わります。

「ああ、君のことじゃないよ。こいつらのことさ」

 男は両手の人差し指だけを立て、顔の横に持っていきました。どうやら、両肩に浮いている赤と青の光を差しているらしいのですが、残念ながら少女には伝わりませんでした。

「俺はサンタに頼まれてここに来たんだ。君の願いを叶えてほしいってね」

 そう言ってやわらかく笑い、男はうすっぺらいものをさし出しました。



 少女がおそるおそる受け取ったそれは、綺麗な包装もリボンも付いていない、ところどころ茶色くよごれた封筒でした。その表には少女とお母さんの名前があって、くるりと返した裏には――行方知れずのお父さんのサインがありました。

「ママと一緒に読めよ? 朝まで読むな、なんてことは言わないから」

 その言葉に少女が顔を上げますと、またいつの間に移動したのか、窓辺で男が目をほそめて笑っていました。窓を大きくあけ、片足を窓枠にかけたところで、男はもう一度少女の方に振り返ります。

「メリー・クリスマス。よい夜を!」

「あ――」

 ここは、言うなれば三階。外は屋根の高さだというのに、男はためらうことなく窓から飛びおりました。

 あまりの出来事に、少女は転がるように窓へかけ寄り下を見ます。ところが、どこにも男の姿はなく、宙に浮く赤と青の光もありませんでした。



 サンタの知り合いなのだから、きっと空くらい飛べるのね。そう少女はホッとして、急におかしくなってクスクス笑いました。

「……ありがとう、おじさん」

 少女はぽつりとつぶやくと、そのまま少しだけ夜空を舞う雪をながめてから、静かに窓をしめました。


 ◆◆


 お母さんを呼ぶ少女の声が、家の外にも聞こえてきます。とても嬉しそうなそのひびきに、男は笑みをこぼしました。

「たまには、こういうのもいいですわね」

 左肩にとまった青い光がふるえ、しんみりとまたたきました。それにこたえるように今度は右肩の赤い光がふるえ、ケラケラとまたたきます。



「最後まで〝おじさん〟だったけどな」

「……ほっとけ」

 軽口に軽口を返すと、男は深いため息をつきました。寒さにけむるその白い息のまわりを、赤と青の光がくるくると回り追いかけます。それをみとめて、男がクスリと笑いました。

「そろそろ飽きたらどうだ?」

 二つの光に向かって、男は声をかけました。すると、二つの声がきれいにハモります。

「だって、この時期だけなんだぜ?」

「だって、この時期だけですもの!」

 その返答に満足まんぞくしたのか、男は軽く返事をして歩き出しました。道無き道――空中を歩いていく男と二つの光を見る者はいません。



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聖夜に来たる運び手は

〔2007.12.27 作/2017.12.25 改〕

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 10年越しに二度目の改稿をしていたクリスマス短編。まだまだ稚拙だなぁなど思うので、きっと2027年に最後の改稿さんどめのしょうじきをする、はず。


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