俺が作家でいる理由なんて_230319
「お疲れなら、温泉にでも行ったらどうです?」
俺が机に突っ伏してもらした「休みたい」の呟きを拾って、画面向こうの担当編集がそんなことを言う。
「日帰りは逆に疲れるからヤダ」
「そうですか? スーパー銭湯はいいですよー」
「スーパー銭湯は銭湯であって温泉じゃないからヤダ」
「なら、温泉旅館に泊まればいいんですよ。いまどき原稿は何処ででも書けますし」
「休みに行っといて働くのヤダ」
大の大人が何をヤダヤダ言ってんだ。とそんな顔を向けられているだろう少しの沈黙をそのまま後頭部でかわし、ふて寝を続ける。
提出したその場で原稿を読んでもらえるのは、試練や苦痛なんかじゃなく幸せだと思っている。ドンとかまえて茶をすするような
温泉旅館かぁ。と先ほどの話題を想像する。露天風呂につかりながら、横でプカリ浮かぶひのき桶にお酒なんて乗せちゃったりして……いや、急性アルコール中毒が怖いな。日本酒の空き瓶に水を用意してもらおう。よさげなラベルのものが数本あると、眺める楽しみも加わってなおいい。
「何か楽しそうなこと考えてます?」
知らず含み笑いでも漏れていたのか、頁をめくる音の直後に問われる。軽く説明する間も音は続いた。読みながら話せるのは一種の才能だ。ピアノやギターの弾き語りみたいなもので、かなり難しいと思う。実際俺にはできないし、それをできるという点において、この編集氏をちょっと尊敬していたりする。
「じゃあそれ、書きましょう」
「書かねぇよ。誰が読む」
「私が読んで、先生との旅行気分をひっそり楽しみます」
「二人称夢小説に仕上げろと暗に俺言われてない?」
「気のせいです」
本気なのか流されているのか分からない掛け合い。テンポのよさが心地よくて、たとえ軽くあしらわれているとしても気にならない。楽しい、は正義だ。
編集氏も言うように、小説は気分を楽しむ為にある。娯楽は、と主語を大きくしてもさして的外れではないだろう。
『空想旅行』と呼ばれるだけあって、読むことは旅することに等しいと言える。そこが現実に則した世界であれ、剣と魔法の異世界であれ、
――じゃあ、『書くこと』は何なのか?
哲学めいた思考に傾き始めたので、ふて寝をやめてモバイルワープロに向かう。こういう、興が乗っているときに書いたものはウケがいい。後で没にしたとしても、書き残しておけばこのさき俺の資料になる。
原稿の束を机で揃える音――読み終わった合図が聞こえて顔を上げる。編集氏は片手を上げて「切りのいいとこまでどうぞ」と言うので甘んじて書いた。曰く「書けるときは書け」が信条なのだとか。
終始メールで完結する案件の増えたイマドキに、この編集氏はわざわざ紙に印刷して読む。それなら、とこちらから頼んだことではあるが、一般的には公開処刑である『画面越しにでも目の前で読んで感想を言う』を引き受けてくれた。
「原稿、オッケーです。今回は渋い路線にしたんですね。やっぱりこっちのほうが先生らしさが出ていいと思います。ただ、これ一辺倒になるよりはたまに秋号くらいの軽い回も織り交ぜていくと飽きさせずにいいのかなと」
俺にとって『書くこと』とはコレかもしれない。俺を見て、認めてもらう機会。伝えたくて書くタイプじゃないから意思疎通のためではないし、たぶん否定するにしろ叩くにしろ「俺はここに居るぞ」を読んで知ってほしいのだと思う。ちょっとクサいが、『生きた証』のような。
「それじゃあ、このデータで入稿しておきますね」
「はい。また来季もよろしくおねがいします」
===
俺が作家でいる
〔2023.03.19 作〕
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★ 第1回 三服文学賞、選外。
お題「温泉、お茶、うつわ、日本酒、旅、読むこと、書くこと」の7つ全てを盛り込んで書きました。小説家と編集者って組み合わせがけっこう好きで、たびたび使ってます。お名前つけるべきかしら…。
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