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友達から始めるセカンドライフ_240426
私と夫は、「友達」だったことがない。初めて会う前から「許嫁」だったし、結婚してからは「夫婦」で、子どもが産まれてからはずっと「父母」だ。
ふと、「恋人」だったこともないのではないかと思い至る。二人の間に愛がなかったわけではないが、世に言うそれとは、やはり違う間柄だったように思う。
先月、末の娘も家を出た。転職を機に一人暮らしをしておきたいのだそうだ。第一子の長女は仕事の鬼で転勤続きだし、第二子の長男は結婚して一番に家を出ているし、家が広くなったような気がして寂しさを噛みしめている。
そして、春に定年退職した夫は、夏になってもまだ、セカンドライフとやらの過ごし方を考えあぐねているようだった。
「ごちそうさま」
「はい。今日はどうされますか?」
「そうだなぁ……天気が良さそうだから、熱中症が怖いし散歩はちょっとなぁ」
「じゃあ、たまには一緒に映画でも観ませんか? 最新のは映画館まで行かなきゃいけませんけど、準新作なら家でも観れますから」
「流行りものは分からないし、知ってる昔のも、今はちょっと気分じゃないなぁ」
「それでしたら、お風呂の掃除がてら気分転換にシャワーでも浴びてらしたら?」
「んー、それもちょっとこう……どうせ暑くて汗をかくんだから夕方でいいじゃないか」
ちょっと、ちょっとと、そればかり。子どもたちが使う「微妙」の言葉に、夫が憤っていた時期が懐かしく思える。
今の私も同じ気持ちですよ。しかも、ああ言えばこう言うところにさらに小さくイラッとしてしまう。
「ねぇ、お父さん」
私のかしこまった声色に、今日もソファーでだらりを決め込もうとしていた夫の肩が一瞬ふるえた。
「家のことは、まぁいいです。今までやってきていないんですから、いきなりアレコレ頑張らなくたって。頼んだことはしてくれていますし」
頼んだこと以外もやってほしいけれど。
「新しい趣味を模索するのも結構。それでお父さんが楽しく過ごせるなら応援します。でも、飽きるのも諦めるのも早すぎませんか?正直、言い訳ばかりで聞くに堪えません」
これみよがしにため息をついて続ける。
「だから、初心に返りましょう。今日から私たちは、遠慮を知る『お友達』です」
構えていた夫が、間を置いて眉を寄せる。周りを飛び交う疑問符が見えそうだ。
「お友達なので、遊びに誘います。今日は一緒に映画を観に行きましょう」
「母さん。だから、流行りの映画は――」
「異論は認めません。行きます」
食器洗いを後回しにして、タブレット端末で上映スケジュールをチェックする。恋愛やアクションものよりは、動物ものがいい。
夫は犬が好きだし、ちょうど犬が出るお話が……死なないかだけ確認しておかないと後味が悪いわね。
「じゃあシャワー浴びてくるよ」
馴染みのレビューサイトを開いたところでそう言うので、浴槽の掃除もお願いした。
「おもしろかった」
「それはよかった」
そっとティッシュを差し出して、エンディングロールに二人で浸る。映画のセレクトは大正解だったようでホッとした。
館内が明るくなってから席を立ち、遅いお昼をとりにレストラン街に足を向ける。
「お父さんは何が食べたいですか?」
「なんでもいいよ」
外食でまでその言葉かと、ムッとした気持ちが湧きかけたが、私が食べたいものを選べばいいだけだ。
「それじゃあ、ここにしましょ」
トンカツ屋ののれんをくぐり、案内された席につく。注文したあとは感想会だ。
「おもしろかった」と「感動した」がやっと出るだけの夫は、もどかしくも可愛い。映画初心者のようなものだから、そこはこれからに期待するとして、一緒に楽しもうとしてくれたことが今は嬉しかった。
「友達も悪くないね、ミユキさん」
食べる合間にサラリと言った夫の耳が、赤く染まっているのに気付いて、私は幸せを噛みしめる。
「そうね、アキさん」
友達というより恋人になってしまった気もするけれど、アキさんが楽しいならいいか。
「さあ、次は何して遊びましょうか?」
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友達から始めるセカンドライフ
〔2024.04.26 作〕
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★ 公募ガイド誌「小説でもどうぞ W選考版 第9回」に応募、選外。
お題『友達』で書いた五枚短編。誌上の小説公募には久しぶりの参戦でしたが、相変わらず求められてないなと再確認する結果に。書いた当人としては、わりと好きなのですけれど…。
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