ユメこがれ_150331

 私が生まれる、ほんの少し前。その奇妙な法律は出来た。


『夢見ル事ノ一切ヲ禁ズ』


 そうして見ることを禁じられた〈夢〉とは、あくまで〝睡眠時に見るもの〟らしい。車が未だ地を行く時代に、いかに違反者を見つけ裁いてきたかなど想像もつかない。


「ユメ……か。一体どんなものだろう?」

 物心ついた時から何の疑いも持たず、夢をこともなく。ただ支給されるままに睡眠薬を飲んできたが、それも今日までだ。


 ――余命、三十日。


 老いつつも元気なこの体の『何処がどう悪い』とも言われぬまま「貴方の死亡日は四月九日です」と主治医に告げられてもピンと来ない。しかし、日付の語呂とは裏腹に苦痛一つなくコロリと逝けるのは素直に嬉しい。


 ならばこの限られた時間で、禁じられた夢とやらを浴びるように見てやろう。どうせひと月後には死ぬのだ。私を気にかける者も特に居ないのだから、残りの人生は好きに過ごそう。たとえ投獄間もなく縛り首に処されるとしても、夢を見れたならそれも良い。


      *


 異常に気付いたのは、薬をって三度目の朝のことだ。眠れないだけであれば「長年服薬してきた副作用か何かだろう」とさして深刻に考えもしなかったが、今朝に限っては明らかに奇怪だった。


 眠れない原因が『夢への興奮のせい』でないなら『運動量が少ないからだ』として、三日目の日中は町内を走り回っていた。いくらけようと眠気は一向に訪れず、ただ寝返りばかりうつことに二晩でいていた私は、その長い夜のほとんどを座るか歩き回るかして過ごした。――その疲労感が、日の出とともに消え失せたのだ。


 それからさらに二日過ごしても不調は現れず、朝日を浴びる度に疲れが癒えた。私の身体がおかしいのか、はたまた、不治の病がそうさせているのか。眠らないままで何故こうも日中を普段通りに過ごせるかは不思議だが、死期の迫った私にはありがたい。


      *


 微睡むことさえ出来ぬまま、寿命も残り四日になった。さすがに「〝睡魔〟と呼ばれる眠りの魔物を、政府が一匹残らず狩ったのだ」などと馬鹿げた絵空事を原因に据えたくもなる。


 寝ることが出来ない以上、夢見る願いも叶っていない。その代わり、読みたかった本やら観たかった映画やらをしこたま消化して昼夜を過ごせたので、それなりに余生は充実していた。それも尽きると、昼間の日課だった散歩を夜間もするようにした。


 そうして予定日を迎え、いつポックリ逝くともしれない緊張感に喉が渇く。このまま家に籠もっているのも憐れだなと思い、散歩に出ることにした。行き先はいつもの公園だ。


「死ぬ前に満開になってくれて良かった」

 咲き誇る花を仰ぐ内、桜の異称を思い出す。夢を見るのか見せるのか、夜風に『夢見草ゆめみぐさ』の舞う様は儚くも美しい。


 薄桃色の視界を、鮮やかな橙色が掠める。何となく惹かれて目で追えばそれは季節外れにも紅葉柄の浴衣で、紺色の帯の――


「タエ姉ちゃん……?」

 私の呟きに、その女性が立ち止まる。

「早く起きなさいな、誠治せいじさん」

 振り返らず放たれた言葉に、あの法律はのだと気付いた。


 一歩ずつ、確かめるように彼女へ近づく。触れようと伸ばす私の手を、『夢の世界の想い人』は静かに首を振って拒絶した。母親が子どもに言い聞かせる時のようなその優しい所作に、子ども役の私が駄々をこねるのも当然のことだった。


 僕も行く。一緒に逝く。結婚を申し込んだその日に、返事をもらう明日が来ない内に、僕の前から消えてしまったことは許すから。お願いだよ。ねぇ――


「逝かないでくれ、タエ子さん!」


 叫びながらその華奢な肩を夢中で抱きしめると、彼女がクスリと笑った。

「……タエ子姉じゃなきゃ、駄目?」

 その言葉を最後に世界は真白になり、亡き妻・チエ子が事あるごとにそう拗ねていたことを思い出した。


      *


 カラカラという音と風を感じて目を開ける。日の差してくる側に視線を動かすと、振り向いた女の子と目が合った。自分のもので無いような嗄れ声で名を呼ぶと、孫は慌ててははを呼びに部屋を出ていった。


 ――チエ子。タエ子さんより先に逢いに行くから許してくれな。


 そう私もクスリと笑ってから、死ぬまでの時間を我が子達と過ごした。



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ユメこがれ

〔2015.03.31 作/2015.05.10 微修正〕

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★ 2015年3月、公募ガイド『TO-BE小説工房』第3期「睡眠薬×禁止」応募、選外。

★ 2016年11月、小説家になろう個人企画「冬の純文学祭り」参加


 思い返せば「5枚短編」初挑戦の作品。これまでは文字数だけ気にしていればよかったけれど、「400字詰め原稿用紙5枚厳守」となると行数との戦いになって、慣れるまで大変でしたね……書き過ぎちゃうんですよ。

 だもんで、ふんわりとした「書きたいもの」を、ふんわりしたまま書いてしまう形になりました。設定の穴がとても大きい。書き切れなかったことが悔しい。

 企画に参加した際にいろいろご指摘いただいて改稿案を練ったりもしたのですが、そうすると今度は「書きたいもの」から離れてしまい――9年越しに諦めてのそのまま公開です。許せよ、誠次さん。


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