一杯の水事情_170930

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 ここに1杯の水がある。どう使うかは君の好きにしていい。

 乾く自身をうるおすため、欲に任せて一息ひといきに飲み干すもよし、ちびちびとむように飲んで大半を蒸発させてしまうもよし。孤独な心を癒してくれる、小さな観葉植物を生かすために使うのもいいだろう。この1杯は君の物だ。先にも言った通り、好きに使ってくれていい。



 例えば、料理になんてどうだい?


 食材をでたりしたり、乾物かんぶつを戻したり。味が濃ければ薄めることもできるし、固い生地きじに混ぜ込めばゆるく伸ばすことだってできる。

 私事わたくしごとですまないが、今、〝チャワンムシ〟とか言う料理にハマっていてね。乾物から煮出した〝ダシ〟をベースに用いることはもちろん、そのまま乾物も使えるところが気に入っているんだ。よかったら、君も作ってみるといい。


「いいですね。僕も好きです、茶わん蒸し」

 もしかして、君はあの〝チホー〟出身かい? 作れるのなら、ぜひ本場の味を教えてほしい。

「いえ。いつも食べる側だったんで、作り方はちょっと……」

 そうか。では、今度食べてみてくれないか。感想だけでも聞けたら、少しは近づけそうな気がするよ。



 生命の維持以外にも、使い道はあるだろう。芸術なんて良いかもしれない。


 この1杯に水溶性すいようせい塗料とりょうらせば、ケムリのように広がるさまを楽しめる。それを応用して、水だけで手早く描いた絵に色を入れるなんて手法もあるそうだ。線引せんびいた水の道を、色がにじかよっていく様は、とても美しいらしい。乾いてしまうまでが見ものとは、なかなかオツな芸術じゃないか。

 色の発色はっしょく自体――青を赤に変えるなんてことはできないし、使用する画材によっては質感の維持も難しくなるが、容易ようい濃淡のうたんを持たせることができるのは、やはり水だけに違いない。カンバス上で透明感を表現するには、欠かせない存在だと思わないか?


「絵。描かないんで、よく分からないです」

 気が合うな。私もだ。営業トークに盛り込む為に、絵描きの友人から知識を仕入れただけにすぎない。

「ああ、でも。僕の書く字ってすごく汚いんですけど、『いっそ芸術的だ』とか言われてました」

 ハハッ! それは同感だな。文字を持たない我々からすれば、君の書くそれにウマイ・ヘタなど無く、全てが芸術作品となるだろう。いいじゃないか。君、この〝クニ〟で芸術家になりたまえよ。

「か……考えておきます」



 少し話は戻るが、生命活動というククリで考えれば、衛生的な使い方もあるな。


 言葉の通り〝手〟を手始めに、口や頭部といったカラダを洗うことには使うべきだろう。食材もそうだし、使用済みの食器や衣類をキレイにするのにも必要だ。マンがイチ、君が転んでケガやヤケドをってしまうことがあれば、かけ流せば洗浄せんじょう冷却れいきゃくもできるし、ヤマイか何かで熱が出たのなら、凍らせてもちいれば効果的に下げることだってできる。


「……転ぶことなんてあるんですか?」

 もしやそれは皮肉かな? いいや、ご想像の通り無いな。無いが、手の少ない君ならそういうこともあるだろう。もと居た〝クニ〟より負荷が小さいからといって、可能性がゼロになりはしないはずだ。

「転ばぬ先の〝手〟に代わるもの、早く見つけるとします」

 なかなか上手いことを言うじゃないか。実にユニーク、ユーモラス! ……まぁ、転んだとしても、君がケガすることは、まずないと思うが、ね。



 さて。防衛ぼうえい手段としても、この1杯は役立つから覚えておいてほしい。


 このへん治安ちあんは都市部に比べたらずっといいほうだが、それでもたまに〝フリ・コメーサギー〟だの〝ヒッタ・クーリ〟だの〝トウ・リーマン〟だのが出る。それらの害獣と遭遇そうぐうしてしまったときには、絞り出すように1杯をグイッとにぎるんだ。き出した中身を少しでも当てれば撃退できるぞ。


「噴き出すって……水ですよね?」

 水以外のナンだと言うんだい、君は。


 一度追い払うとしばらく寄り付かなくなるんだが、痛い思いを忘れてか、背に腹は変えられないからか、性懲しょうこりもなくまたやって来る。心底ウンザリしたとしても、こればっかりは根気強く頑張ってほしい。近隣きんりん住民が力を合わせなければ、とても撃退しきれなくてね。なぁに、月間の撃退数によっては表彰されるし〝ゴウカ〟な副賞だって付く。ゲーム感覚でかまわないよ。

 そうそう。1杯の水は容器が柔らかくて一定以上の力を加えると中身が飛び出るから、取り扱いには注意してくれたまえ。



 さあ、どの使い方から始める? 時間はかかるだろうが、全部を達成することだって、さして難しくはないだろう。なぜなら、1杯の水はイッパイあるからね。

「……面白くないです」

 面白くてたまるものか。ジョークで済めば、こんなありがたいことはないね。


 大きなタンクに水を入れたんじゃ保管場所の広さを確保しなきゃいけないし、管理自体も大変なのは分かるかい? 大容量タンクに詰めてたら、少し汚染おせんされただけで大損害だ。君の居た〝クニ〟ではどう確保してたか知らないが、握りやすい大きさのカプセルに低圧縮保存して流通するのがここでは当たり前なんだよ。それも〈1杯の水〉って名前でね。


 圧縮率を上げれば当然重さが比例して増え、取り出すときの水圧もコントロールしにくくなってしまう。かといって圧縮率をおさえれば、容器を大きくするか数を増やして容量を確保するしかなくなる。

 あつかいやすさの観点から、低圧縮かつ数でおぎなうことを選んだ結果、イヤがオウでも開封の手間が増えてしまってね。移住してくるのが君くらいの大きさならまだ良かったんだが、それ以上のお客人にはどうも不評で……質より量を取って他の〝クニ〟ヘ引越していってしまったのさ。おかげで必要以上の在庫を抱えることになって、ほとほと困っているのだよ。


「圧縮って……これ1つにどのくらい水が入ってるんです?」

 え? 何度も言ってるだろう。イッパイだよ、イッパイ。

「だから、それが何ミリリットルなのか聞いてるんですよ」

 君こそ何を言って……ああ、そうか。うまく翻訳できてないんだな、すまない。あの〝クニ〟出身者は〝チホー〟で言語が違うからデータが足りなくてね。少しなら我々も話せるから、その受信機を取ってみてくれ。




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 そそ水音みずおと、ほんのりかおる甘い匂い――

 遠ざかっていた感覚が少し戻り、先端せんたんに光るたまの付いたアンテナ2本が揺れる、どこか旧時代的なカチューシャ型受信機を指示通り外す。


 この星にも、空気と、地球よりは軽い重力がある。そのおかげで音は聞こえるし立ってもいられるのだが、この受信機を着けている間は、どうも色々な感覚を持っていかれてしまうらしい。立っていたはずがソファーに腰掛けているし、無かったはずのブランケットが身を温め、同じく無かった飲み物がサイドテーブルで湯気と香りをはなっている。


 まだ少し視界がぼやけるので目頭めがしらんでいると、もにっもにっと小さな音がすることに気付いた。何だろうと思えば、テーブルの茶器に半分隠れている異星人が、頭なのか胴体なのかよく分からない部分――キノコで言えば傘だ――そこを触手しょくしゅ4本で揉むのに合わせて鳴っているようだ。


 青みがかった乳白色にゅうはくしょくの全身は少しだけけている。その質感は、見た目ではプニプニとした弾力だけだが、実際はモチモチ感もあわせ持っていて、かなり触り心地がいい。置き物だと思って揉んだら、途端にひらたく細い触手10本がからみついてきてギリギリと手をしぼりあげられた挙句あげく、受信機をカポリと被せられ受信一番『君は変態なのか』と激怒されるという、なかなか不穏なファースト・コンタクトで得た情報だ。


「もしかして、座らせてくれました?」

「キャクジン、ユカ、ホーチ、シツレ」


 なかなかのカタコトっぷりではあるものの、タコのようなクラゲのような姿をした彼――いや、彼女かもしれないが――その気遣きづかいは伝わってくる。聞けば、僕が少し寒そうにしていたので、船から降ろしてあった荷物からブランケットとココアを持ってきてくれたらしい。

 タコクラゲ氏にすすめられるまま、一口すする。少し濃いめにれてくれたようで、美味しさと温かさに ほうっと息を吐いた。


 テーブルの上には茶器の他にもう1つ、丸みをおびたつつがあった。うすら青い透明のこれが、くだんの水なのだろう。ゆらゆらと光を反射している商品をぺたぺた触りながら、「ダタイ、ヨンセン、ミリリトー」と彼が傘をふるわせて答えた。


「へえ! 見た目350mlサンゴー缶くらいなのに、けっこう入ってるんだ」

「チサイ、ワレワレ、ヒトツ、ミカブン」

「飲むだけなら、たぶん僕らでも3日は持つと思うけど……」


 悲しいことに、フロ好きの僕は1つぽっちじゃ1日も持たない。食料庫に多めに用意してあるそうだが、いったいそれで何日入浴できることやら。過ごしてみて足りなければ言え、という彼の言葉には、ダダ甘えしようと思う。


「シンイチ・クニ、エ、ヨコソ。ユクーリ、スメ」


 最後にふかぶかと紳士風のお辞儀じぎ披露ひろうして、タコクラゲ氏は帰って行った。




 新天地での生活は、とても充実していた。


 茶わん蒸しのあじ再現に助力するうち自分も作れるようになったし、初めての宇宙菜園もそこそこ上手うまくやれている。表札を書いて貼っておいたら、たちまち代筆の依頼がどっさり来て商売繁盛はんじょう一財産ひとざいさんをきずいた。


 キナ臭い名前の害獣がいじゅう退治たいじでは、あまりのノーコンさに嫌気いやけが差してイッパイを直接投げたら、破裂はれつの反動で畑に穴があいて大ヒンシュクを買ったが、ピストン式の水鉄砲を作ったことで特別表彰されたのでプラマイ・ゼロだろう。やまれるのは、せっかく作った水鉄砲を使ってもタコクラゲ達の射的能力に全く歯が立たなかったことか。慣れには勝てない。


 移民である僕にあてがわれた家も、なかなか住み心地ごこちがいい。


 間取まどりは、ワンルームになるのだろうか? 一室の中に台所と居間と寝室が仕切られていて、他にトイレと浴室と食料庫があるだけ。短期滞在ショートステイには広くて長期滞在ロングステイや永住には少々せまいが、このくらいのほうが僕は落ち着くし、長く住むにしても充分だ。あたりも申し分なくて、何より、小さな庭付きというのが気に入っている。


 イッパイのあつかいにも、このひと月で慣れた。


 あっすればあっされたほうに噴き出すので水風船のようだと思えば、ストローを刺してもはじけないから飲んだりジョウロのように使ったりもできるし、下に向けただけじゃ勝手にれ出すこともない。かといって、一度あけた穴が消えはしないから、くだを抜いて残ったその穴が上部以外に向いていれば、今度は水風船のように水を吐き出し徐々じょじょにしぼんでいく。……法則のアヤフヤな存在も、慣れてしまえば自由に扱えるのだからおどろく。


「ワレワレ、タスカル。ダケド、コナーニ、ダイジョブ?」


 いつもイッパイを届けてくれる緑色のタコクラゲが、心配そうに傘をかたむける。

 この星には〈パイ〉という単位があること。カプセルの内容量〝いちパイ〟と沢山たくさんの〝イッパイ〟を掛けて、商品名は〈イッパイの水〉なのだと陽気に教えてくれたのは、この彼だ。その通称が〈イッパイ〉なのだから、受信機が〝1杯〟と〝沢山イッパイ〟を上手く翻訳できなかったのも仕方ない。


「大丈夫。問題ないよ」


 3日サイクルでの補充が億劫おっくうになり、食料庫に空きはあるのだからと、今回から週1で済む量に増やした。イッパイを開封する手間が減るわけではないにしても、一度にまとまった数の古品こひんをさばけるわけだから、在庫整理にも大きく貢献こうけんできると思ったのだ。


「ショクリョコ、スグ、イレル。スグ。ゼターイヨ?」


 やけに念を押す彼を見送る。量が量だから手伝うと言ってくれたが、重力が弱い分こういうところでカラダに負荷をかけておきたいからと、いつも通り玄関に置いてってもらった。


 イッパイが詰まったひらたいコンテナを食料庫に持っていく。1箱にイッパイが24個。1個に4リットル入っていても重さはほぼ見た目通りだから……地球換算かんさんで1箱おおよそ8.5キロか。それが今日から16箱と考えれば、かなりの運動量になる。現に、あと残り3箱というところでバテてしまった。


「さぁて、フロでもかすかな」


 なんだかんだすぐ使う量だし、まぁこのままでもいいだろう。よっこいしょと声を上げて、最後に1箱を運ぶ。これを浴槽よくそうに1つずつ開ける作業はかなり面倒だが、お楽しみの為ならなんのそのだ。


 そうして、いつものように至福しふくのおフロタイムを堪能たんのうして戻ると、部屋がおかしなことになっていた。物は散乱さんらんし、床が水浸みずびたしになっている。


「泥棒? そんなまさか……」


 ふいに軽い破裂音はれつおんがひびく。反射的に振り返るも、そこには誰も居なかった。

 聞き覚えのある音、水――


「イッパイ、お前か!」


 玄関横のコンテナを確かめれば、下段のイッパイが上段のコンテナをね飛ばしたのか、半数以上が消えていた。すぐに食料庫に入れろと念を押された意味を今ごろ理解したところで、事態が好転したりはしない。


 部屋に散らばったイッパイもあるようで、あちこちで破裂音が続く。拾い集めるより先にコンテナ2つを一度に運ぶことにし、食料庫へ走った。のが迂闊うかつだった。

 足元に違和感を持ったときにはもう、前のめりにちゅうを舞っていた。


 踏みつけてしまったイッパイからは水が吹き出し、手を離れたコンテナのイッパイ達が、りに食料庫に飛んでいくのが見える。床に倒れこむ頃にはおとずれているであろう未来までもが、ハッキリ見えた気がした。


 乱発する破裂音と、部屋に流れ込んでくる大量の水。物という物ともども波に飲まれたところで、僕の意識は途絶とだえた。



   *


「ありがとうございます。うっかり死んでしまうところでした」

「ナニゴト、オモタ。タスカテ、ヨカタナ」


 差し出された海綿質かいめんしつ状の物体――タオルなんかより吸水力があり爆発的にふくれる、ちょっと危ないシロモノ――を受け取ると、お隣りの桃色タコクラゲさんがカラカラと不思議な音を鳴らして笑った。

 彼女が玄関をこじ開けてくれなかったら、情けない死にざまをさらしていたことだろう。手をしぼられるのはコリゴリだが、その怪力には感謝してもしきれない。


「コンナツカイカタ、コマルヨ」

「ドシテ、スグ、イレナカタ?」


 どこで事件を聞きつけたのか、駆けつけていた青と緑のタコクラゲ達にたしなめられる。あきれと心配の気持ちが半々で、怒っているわけではないようだ。ただただ「れによる怠慢たいまんまねいた不幸です」としか言えなかった。


 こうして僕こと1人の地球人は死にかけたわけだが、『部屋イッパイの水で』という状況はタコクラゲ達〝シンイチ星人〟にウケているらしく、しばらくは話のタネに困らないで済みそうだ。

 害獣退治の特別表彰ひょうしょうに付いてきた副賞は希望したものをもらえることになっていたので、生活用水をタンク式にしてほしいとお願いした。



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一杯の水事情

〔2015.11.01作/2017.09.30改〕

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 「共幻文庫短編小説コンテスト2015」にて1000字ちょっとの初稿を書き、いただいた短評も参考にしつつ5000強まで加筆改稿したものです。冒頭を「一人称語り」から「二人称語り」に変えて、その後の話をマルッと新規追加した形。

 本文を読んでお察しの方もいらっしゃるでしょうが、「星新一賞」に出しました。んまぁ、結果もお察しですね。三次選考通過作しか公表されないので、一次で落選したのかどうかすら分からないのですが、きっとダメだったのだと。


2015.11.01 初稿『イッパイノミズ』

 共幻文庫 短編小説コンテストに応募、落選。

(第8回のお題は「一杯の水」)

2017.09.30 次稿『一杯の水』

 星新一賞の第5回に応募、落選。

(三次通過から公表のため、いつ落ちかは不明)

2018.02.04『1杯の水事情』へ改題

2023.08.09『一杯の水事情』へ改題


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