愛しい人_161019

「へえ。そいつぁー知らなかった」


 貴方、バカね。そうあきれた白衣の君に、俺はそううそぶいた。

 村唯一ゆいいつにして閑古鳥かんこどりが鳴く診療所のあるじは、平時の無表情を保ったままで酒精綿アルコールを強く傷口に当てがってくる。容赦ようしゃなく脳へ送り込まれる刺激に、瞳孔どうこうの開きさえ自覚できるほどだったが、それ以外は片眉を吊り上げるだけで何とかこらえ続けた。


「バカは死んでも治らないって言うけど、たかが花の為に〈禁忌の森〉にホイホイ立ち入る貴方の場合、バカ過ぎてそもそも死にそうにないわね」


 冷淡だけど美人クールビューティーな彼女の眼差しまでがするどさを増して、言葉もろとも突き刺さる。とっくに慣れてはいるものの、さすがの俺でも快感を得る境地にまでは達していない。せめてもの救いは、贈り始めて三輪目の〈月華げっか〉――満月の夜から次の満月の朝まで一輪だけ咲き続ける花も、革紐でくくった試験管にけ、飾ってくれていることか。


「〝たかが花〟にだって、アンタにささぐ為とあらば、俺ぁいくつでも命かけるぜ」


 なかねるように軽口を叩くと、治療を終えた彼女が事務机に向き直って何かを書いた。〝一つ〟だから『命』なの。肩越しにのぞき見る俺を一瞥いちべつしてからそう言って、紙に したためた文字の真ん中を指でなぞってみせる。

 説教と呼ぶには、少々ユーモアにんだお小言だ。命を粗末にするな。遠回しにではあるが、そう静かに、けれど強く、怒っている。外から眺めることに満足していたら知りえなかった魅力を再確認して、声をあげて笑った。


「んなもん、どっちだっていいさ。一度はあずけた命。とっくにアンタのもんなんだからな」


 振り向いてまた何か言いたげに開かれる口を、ふいのキスでふさいだ。嫌がるでもこたえるでもなく、ただ受け流されていることが少しだけ寂しい。

 わざと水っぽい音を立ててゆっくり解放し、鼻を軽くり合わせてから離れた。


「愛してるよ」


 ――たとえ愛が返らなくとも、このこころはアンタだけのものだ。

 俺のささやきに、ホクロでつやめく口許くちもとだけで彼女は笑う。


「それは知らなかった」



===

いとしい人

〔2016.10.19作〕

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※ 舞台は現代ベースの異世界――なんだけど、ワンシーン掌編ゆえにそれと分かるだけの要素を全く盛り込めず…。その内、彼には頑張ってもらいたいなぁ。冒険しやがれオッサン。


※ pixiv個人企画『第1回1000字コンテスト』参加作。今も主催さんに代理公開されてます。投票が済んだあとの作者開示で未開示が自分ともう一人だけになってしまったので、匿名のままにしてもらってます。


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