第12話『Morse』
印象は…、もちろん最悪だった。
そもそも今日は、極端に虫の居所がわるかった。財布は失くすし、いつもの
乱れた制服に舌打ちしながら、顔を上げる。軽く後悔。
こんなもの着るんじゃなかった。走りづらいったらありゃしない。無理矢理走らされた脚の張りを一瞥のあと、ぜぇはぁと息を切らしながら刺すようにあいつを見る。
「どうしてこんなこと——」
ありきたりなことを呟いて、男は泣きそうな目でこっちを見つめた。
途端に瞳は嫌悪の色を強めた。
「ッ」
なんだよ、その目は。
さも不快というような、明らかに音を伴った舌打ちがとんだ。
再開発のために工事の進む駅前は、存外に広い。白いゲージは二人を囲むように見張りを訊かせていた。
「つまんないこときくなよ。自分のエゴが通せて満足なら、さっさと失せれば?」
さよなら少年少女。正義者気取りのお馬鹿さん。
嘲るように含んだ声で、最大限の笑いをとばす。
忌み嫌ってんだよ。そんな一般論は。
すでに時刻は真夜を超え、終電を逃した飲んだくれが力なく飲み直しに向かうだけの退屈な光景。
その真ん中で、少年と青年は相対する。
あいつは返す言葉がないといった様子だった。それでも懸命に言葉を紡ごうとしていた。
「おまえに、俺の何がわかる……!」
「知らないよ。アンタのことなんて何も」
振り払うように、荒い眼光を向ける。感情をむき出しにした獣の目。
ただ、上から目線で正しいことしか言わないやつらが、ぼくは大嫌いなだけだ。
それは正しいだけのエゴイズム。救いもなければ救う気もない。
終いには自分ですらエゴを貫けなくなった半端者だ。
「ウザいんだよ」
心底嫌そうに、貶しを込めた睨み。
それが僕、亜櫻ユウと朝倉康介の出会いだった。
最悪の出会い。最悪の印象。
じゃあどうして、
単純だよ。その方がおもしろいから。
だって目の前で、ひと回り下の
顔をくしゃっと歪めて、ぶるぶると肩を震わせて。
「オレはどうすればいいんだよ………、どうすればよかったんだよ!」
そんな情けない体たらくで、ぼとぼとと大粒の涙をこぼす青年に少年はぽかんと口を開けた。
あまりにその様子が、子供じみたものだったから、それまで自分が怒っていたことも忘れて、ため息すら出る。
泣くこたないじゃん……。てか、子供の正論にそんな号泣しなくても。
「………」
なんか、僕が悪いみたいじゃん。なんだかひどく調子が狂う。失笑してやってんのに、貶してやったのに、そいつは終いには君の言う通りだと言い出す始末。
聞いてるこっちが呆れちゃうよ。
落ち着かせようと思っても、「うるさいっ、ばか。あっちいけ!」なんていって受け付けないし。
いい加減人の目もあるから対応するのもウザくなってきた。
僕も存外に短気らしい。
「アンタの過去をボクは知らない。でもアンタがやったことは愚かだとわかるし、変えることも消すこともできないのもわかる」
その後悔は一生そのままだよ。
あらためて、ゆっくりと他人の声でその事実を告げられる。
そこでようやく、青年は息を呑んだ。いや、泣きつかれただけかもしれないけど。
「……じゃあ、どうすればいい?」
でも、こちらを見あげてくるあいつの目は。その目は。子供が大人から教えを請うような素朴なもので、まるで飼い主に餌を乞うように従順で、情けのない瞳。
それに僕の心はいとめられてしまった。
曰く、かわいいと。ある種加虐的な感情が胸を満たした。
だから飼うことにした。
幸い、身体の相性はよかった。
愉快愉快。青年というおもちゃを手にした少年は、濁った夜を一層奥へと突き進む。
関係をもって2ヶ月あまり、毎日猿のように求め合って寝不足の毎日。それはネオンに集まる蛾のように。美しくも禍々しい。
ぼくらはなにも変わらない。
変わらぬ景色、変わらぬ快楽。とっかえひっかえのパロディ。
ぼくは康介のサンドバックであったし、康介はぼくのおもちゃであった。
最近、康介のほうは講義に出なくなったらしい。理由をきくと、なんとなく、だそうだ。
まぁ、あいつの事情なんて興味ないからどうでもいいんだけど。
あいつはたぶん、諦めることへの踏切りがついたんだろう。
出会った頃のだらだらとした生活はやめて、知り合いのBARでアルバイトに勤しんでいる。
康介は覚えがいい。これまで他の奴らにやってもらった行為を教えてみせたけど、気絶するか否かのぎりぎりのラインを絶妙に絞めてくる。
あれ、すっごく、気持ちいいんだ。
共依存。僕らの関係に名をつけるとしたら、きっとそんなものだろう。
別段、気にすることはない。この関係は最初から破綻している。
ただのお遊びの延長線上で僕らは踊ってるに過ぎない。
未来のことなんどうでもいい。今楽しめれば、気持ち良ければそれでいい。くだらないとんちゃん騒ぎを繰り返す獣たちのお祭りさ。
ぼくの方はあんまり変わってない、と、いいたいところだけど、高校だけは出ておけと康介に言われたので、しぶしぶ学校には通っている。
幸い、自主退学を迫られることもないので、気ままに屋上でのんびりと過ごしている。
「ねえ」
行為後のベッドの上で、亜櫻ユウはぼんやりと天井をみつめる。
考えごとなんて少年にしては珍しい。
彼自身もそれを感じたらしく、小首を傾げてみせる。
昼間、教室での些細なやりとりが頭の片隅に残っていた。
「どうした?」
腕まくらを解いて康介がユウに向き直る。
「ボクたちってさ」
ふわっと欠伸をひとつ。眠たげな眼差しで、少年は青年を見つめる。
その表情がいつになく真剣なものだったので、康介は一瞬強張った。
「どういう関係?」
しかし康介の考察を裏切って、ユウはイタズラっぽく笑った。
女教師にして見せたような、してやったりの恍惚さとは違うあどけない目。
「ん、……んんん?」
質問の意図がわからず、康介は首を傾げた。
「だから僕らって側からみて……どういう関係かなって」
眠たげなユウの瞳が真っ直ぐにこちらにもたれる。
微笑むような、無垢な瞳に康介はどきりとした。
「えっと、……おー。なんだ……セフレ?」
応えながら、目を逸らす自分に、康介は反射的に「しまった」と思った。
「そっか」
「急にどうした?」
真剣な話ではないとわかって胸を撫で下ろした青年は、今度は逆に問い返す。
「だって康介が学校にくるせいで、みんなになんていえばいいかわかんなくて」
「あー、……悪い」
「まぁ……、べつにいいけど。それよりさ、次。どういうのスる?」
「もっかい……」
噛んで欲しいです。そう言い終えないうちに、青年の首筋は少年の歯によって覆われていた。
意外と康介は変態だ。スるまでは冷静なくせに、いざスイッチが入ると途端、暴漢のように荒ぶる。いままでの鬱憤というものが、回を重ねるごとにあいつのなかから溢れていくのを感じる。
「……ンっ」
俺たちの関係は歪で、とても健全なものじゃない。
お互い四の五のかんがえず、ただ生きることを選んだ猿の道だ。
盛って、欲情して、また盛って。ただそれだけの繰り返し。それでいい。
ぼくらは踏ん張ることを諦めた。
楽しく暮らして何が悪い。
もう絵を描くこともできなくなった。でもそれでもいい。
生きるのを諦めたぼくに、もう手段は必要ない。
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