第7話『crescendo』
その日の夜、同年代の先輩教師から飲みに誘われた。
普段は断るのだが、今回は女性だけということもあって参加することにした。
年上の養護教諭がひいきしている居酒屋は昔ながらのこじんまりとしたところで、学生時代から通っていると枝豆を蒸しながら店長さんが教えてくれる。
笑い皺の滲んだ柔らかい笑みはなんとなくお父さんに似ていた。
「もうっ、そんな昔の話しないでくださいよ〜」
口をすぼめて抗議する先輩は、普段の大人びた印象とは違いちょっぴりかわいかった。
和やかな雰囲気で食事は進む。先輩おすすめの焼き鳥がこれまたおいしい。とくにつくね、三本串にしっかり支えられた特大サイズは一見もはやハンバーグ。塩でじっくり炙られた油がくどくなくジューシーなのにぺろりと平らげてしまった。
当の本人のほうはハイボールがすすんですっかり上機嫌になっている。他の先輩たちもお酒は強いらしく、ペースが早い。ちょびちょびと飲んでいる千代はまだ2杯目がはじまったところだ。
話題は今朝の職員会議の愚痴にはじまりさまざま。集まっているのが全員教師なので、自然とはずむ会話は学内に関することに限定される。
「そういえば最近、校門に立ってる男知ってる?」
ピーチサワーを飲み干した養護教諭が思い出したように言った。
「みたみた! 超イケメンだよね!」
それに喰らいつく英語の
「生徒の彼氏かな?」
「だとしたら呪う」
「やめいっ」
「あーあー、青春かぁ。いいなー、わたしもしたい」
そういって熱燗を頼み出す養護教諭。はやく誰かもらってあげなよこの人。
「最近は書類よりも部活がなー」
「わかる。うちは大会近いから。ま、わたし名前だけのお飾りだけど」
と、これはバレー部の顧問
「こっちは先週コンクール逃しちゃったから、まだ楽かな〜。浅川先生は?」
「そうですね……うちは3年生の入試が迫ってるので…コンクールに関しても、個人の自由参加にしてますし」
「あー、美大は大変だよねぇ」
「やっぱひとり抜けた穴はおおきねぇ」
「え?」
「あ〜、浅川先生は今年きたから知らないと思うけど、去年美術部にはけっこうすごい子がいてね〜。名前くらいは知ってるでしょ、亜櫻ユウ」
再びその名前をきいて瞬間、ぎくりと肩が上がりそうになった。
「そうそう、なんかすごかったらしいよ。小学校からコンクールで賞もとってたらしいし。んで、進学を機にこれまた有名な画家のアトリエで修行してもらうために上京したんだって」
「修行とか昭和〜」
「それな、普通に美術専門の高校にいけばよかったのにね」
「ね〜」
昼間まったく同じ話をされた千代は話の腰を折るわけにもいかず「へ、へぇ〜」と微妙な反応でこたえる。
「
「一言に美術っていっても広いですし」
「まぁそうか。とにかくそんなわけよ」
意外とあっけない話の終わりに、千代は肩透かしをくらう。彼女としては個人的にまだ話たりない。
「でもどうして、やめちゃったんですか?」
昼間、生徒たちには聞けなかった疑問をここで投げる。
「あ〜〜……なんだっけ?」
他の教師たちとしては流してもよかった話題だったが、はじめて後輩が食いついてくれたので、心なしか酒の手を緩めた。
「なんかよくわからないけど、トラブったって聞いたよ。コンクールに出すはずだった絵を自分で燃やしたの。それで師匠と喧嘩して、アトリエ追い出されちゃったんだって」
美術部というよりも、美術そのものをやめたって感じかな。
親御さんとは連絡つかないし、結構当時は職員室でも話題になったのよ。
「今時の子ってませてるよね。知識を持っているって意味では私たちよりもずっと
だからこそ難しい。そういってグラスのふちをなぞる先輩の目がどこか遠い場所を見ているようだった。
千代はなんとなくそれ以上言葉を紡げなくて、そっとグラスを傾ける。
「なるほど…それでいまはお兄さんのところに住んでるんですかね」
話題を変えようとしてのことだった。
「え?」
「ほらさっき言ってた校門のひと。部員たちが言ってた噂なんですけど、その亜櫻くんのお兄さんらしいです」
「「え?」」
別の声が重なる。養護教諭だった。
「あれ、酔い潰れてたんじゃないんですか?」
「ちょっとうたた寝してただけだわ、てかそれよりも……、彼一人っ子のはずよ?」
「え?」
今度は千代が驚く番だった。
「え、だって……」
「いやごめん。わたしもちょっと酔ってるから! 記憶曖昧だわ」
存外に千代が驚愕してたのをみて、養護教諭のほうも取り乱した。「ちょっとじゃないでしょ」なんて峰田先生の見事なレシーブでその場は事なきを得る。
「大丈夫?」
八重野先生が心配そうに千代に声をかける。
「……大丈夫です」
あれ、彼氏。
昼間、亜櫻くんの放ったことばが唐突に現実味を帯びてきて、急に寒気がした。
嫌な予感がする。
手元のジンジャーハイを勢いよく傾けて、それをごまかす。
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