第3話『I knew』
冷めた子ども時代だった。普通の家庭にうまれて、あまり不自由のない生活を送っていた。それが幸せな家庭だというのは今ならわかる。
人よりも大人と過ごす時間が多かったせいか、どうも同年代とはそりが合わなかった。
おそらく自分自身、心のどこかで同級生たちを見下している節があったんだろう。
異性を見て鼻の下を伸ばす様をみて、気持ち悪いとさえ思った。
あの感覚がオレにはよくわからなかった。
ひとというものはめんどくさい。特に人間関係なんてものは、頭で理解してしまうぶん、何倍も鎖だ。恋人、家族、友人。どれもいい話を聞かない。
だから明確なラインを引いていた。別に大したことはしていない。大人になれば誰もが身につける、自己防衛というやつだ。それを少し先回りして使ってただけ。
たぶん先輩はオレのそういうところを嗅ぎとったんだろう。彼女の目は子どもにしては鋭敏すぎた。
あのひとの距離感は独特だった。
はじめて会った時にはしった違和感。
明確な心のラインを引いているのに、それらは全く機能していない。
むしろその裏に隠したもうひとつの堤防が堰き止めるように大事なものを隠している。そんな印象を受けた。
淡白なひとというのは間々いる。だからはじめは何が違和感なのかわからなかった。
同年代がブラフに気づかずに撃沈していくなか、先輩は自分から俺に声をかけてきた。
淡白にとれる印象とは裏腹の俺への態度。他のやつらでは入ることすら許されないラインを俺にだけは自分から侵そうとしてくる。
猫が水に触れるように、好奇心の混じった不器用な手触りで。
ただの気まぐれだ。その行為に何かしらの期待もない。
俺も俺で淡白な人間だ。だからこそ、彼女は俺に興味をもったのかもしれない。
これは同族嫌悪ならぬ、同族好良。
連んでいる人間と比べたら、先輩の中身は繊細で綺麗だった。
ひとに興味がないといいながら寂しがり屋で、傷つきたくないだけのただの女の子。
なのに、自分でガサツにして生き汚くしている。
先輩を知るにつれて感じたのはそんな苛立ちだった。
だからだと思う。先輩が中年の男とホテルから顔を出したのを目にした時、意外にもショックを受けた。
無表情で消えていったその目つき。
その時だけは周り全てを忌み嫌うような冷たさがいつまでも焼き付いていた。
ガチガチとストローを噛んで、飲んでいたいちごミルク握りつぶす。
胸がいがいがした。
だから柄にもなく首を突っ込んだ。
人様の家庭にとやかくいうほどには俺は子どもで、正義を信じていた。
「そんなの間違ってる」
好きでもない人間と関係を持とうとするなんて、そんなの自傷行為と変わらない。
真っ直ぐに見据えた俺の顔を見ることなく、先輩はストローをすする。
「じゃあ、試してみれば?」
お前もこちら側にこいと、それが「助けて」の裏返しだとオレは理解していた。
救いたいとか、オレなら救えるとか、そんな大層なことは考えてない。
ただ目の前の「助けて」に柄でもなく手を伸ばしただけだ。
そして、それこそがオレの罪。
オレはその「助けて」の本質をわかってあげられなかった。
だから先輩もあんな嘘をついたんだと思う。
デキちゃった———、
声がでなかった。その言葉の意味も重みも知っていたはずなのに。
情けないことに反応のひとつすらできなかった。
いったい何を言えばいい。
わなないた口からはただ息だけが漏れた。
先輩は笑って、
「ほら、君は私を救えない」
その呪いの言葉を吐いた。
せめて足しになればいいと思っていた。オレの存在が少しでも先輩の心の足しになるのなら、それでいいと。
でもそれでは甘かったんだ。
救うということは、それ自体が決死の覚悟で。自分が傷つくことも厭わずに貫徹されなければならない。
気まぐれではじめたのはオレの方だった。
カタチだけの空っぽな救いなんて足しにすらならいんだよ。
結局オレの救いは「つもり」だった。先輩のことを心配している「つもり」、救いたいと願っている「つもり」。
あははっ。と先輩が笑う。
離れた瞬間の心底嬉しそうな笑み。だがその眼差しは凍えるようなものだった。
あの瞳をオレは死ぬまで夢に見るのだろう。
どれだけ時がすぎても、たぶんそれだけは変わらない。
あのひとはそれ以上なにも言わなかった。
ただ笑って去っていく。
そのなかに隠れた怒りもかなしみも、期待への裏切りだって。全部わかっていたはずなのに、いや。わかっていただけで結局なにもできなかった。
そうして消えていった先輩は、その日のうちに首を吊って死んだ。
俺のせいで先輩は死んだ。
俺は自分のエゴも貫けない臆病者だ。
なのになんで、誰もオレを責めてくれないんだ。
幻滅して罵ってほしかった。何もされないよりはマシだった。
なのにどうしてアンタは、ひとりで死んでんだよ。
じゃあ一体、誰が俺を裁いてくれるんだ。
死を選ぼうとも思った。でもそんなことは許されない。
だからこそ、この後悔は一生このままだ。
あの時からオレは人を拒むようになった。
俺だけが幸せになっていいはずがない。そんな建前を並べて、傷つくことを怖がっている。
もう誰とも関わりたくない。関わるべきじゃない。でも心のどこかでそれを拒む自分がいる。
でもどれだけひとに
ひと1人を支えるには、ひとはあまりに
——じゃあ、どうしろっていうんだよ。
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