散歩の途中で読みたい本 その2
雪の散歩で読みたい本
雪国で暮らしたことのない私は(腰までの雪)は経験したことがないが、(膝までの雪)ならば子供時代、田舎の祖父の家で年末年始を過ごした時に経験したことがある。
竹で作ったそりで遊ぶために従弟たちとラッセルして山に分け入ったのだが、寒いにもかかわらず汗だくになった記憶がある。
膝までの雪では無理だが、雪の降る中を散歩したことは何度かある。
傘をさして歩くのは興ざめなので帽子をかぶって歩いた。
雪の降る中での散歩では、公園のベンチに座って本を広げるという酔狂なことはやりたくない。雪の降る公園でそんなことをして様になるのは黒澤明監督の映画「生きる」の志村僑くらいのものだろう。
もし志村僑を気取って、夜中に雪の降る公園で「命短し 恋せよ乙女…」と、もし私が歌おうものなら、気味悪がられて不審者とみなされ、悪くすれば近所の人に警察に通報される恐れもある。
したがって雪の散歩で本を読むなら喫茶店に逃げ込むか(断じてカフェではない)、あるいは帰宅してからになる。
その本はズバリ、川端康成の「雪国」である。
先日、約20年ぶりに文庫本でこの小説を読み直して気が付いたことがある。
一つは、この小説の舞台が、著者の川端康成は地名を明示してはいないが、越後湯沢温泉の高半旅館であった事を解説文で知ったこと。
今一つは、主人公の島村は無為徒食の独身だとばかり思っていたが家族持ちであったこと。
もう一つは散歩に関することだが、凍てつく寒さの夜11時ごろ、驚くことに駒子は島村を駅まで往復一里(4k)の散歩に連れ出しているのだ。
『十一時近くだのに彼女は散歩をしようと言ってきかなかった。なにか荒々しく彼を火燵から抱き上げて、無理に連れ出した。道は凍っていた。村は寒気の底へ寝静まっていた。駒子は裾をからげて帯に挟んだ。月はまるで青い氷の中の刃のように滲み出ていた』
とある。
こんな散歩、してみたい。
(歩く五七五)
降る雪や湯豆腐おでんぼたん鍋
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