散歩の途中で読みたい本  その1

            池のほとりで読みたい本


私の散歩コースに川はあるが池はない。

少し足を延ばせば広島浅野藩初代藩主が別邸の庭園として築成した「縮景園」に見事な池があるが、入場料を払わなくてはならず吝嗇家の私にとっては散歩の途中でちょっと立ち寄るというわけにはいかない。

もし私の散歩コースに池があるとすれば、夏目漱石の「三四郎」の文庫本を、「青い山脈」のがんちゃんならばポケットに入れるだろうが、私はナップサックに入れて散歩に行き、池のほとりでこの小説を開くだろう。

何故「三四郎」かと言えば、九州の田舎から上京した小川三四郎が、母から紹介された野々宮さんを東京帝国大学に訪ね、その後一人で大学の敷地内にある池(今では三四郎池という愛称で呼ばれている)にやって来る場面があるからだ。

その場面はこうだ。


『横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太い欅の幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ』

「三四郎」を読むために三四郎のようにしゃがむのは、トレーニング過剰で右ひざに慢性的痛みを持つ私にはつらい。ベンチか、せめて池へ降りる石段に座って「三四郎」を読みたいものだ。

もっとも、昔、広島の西条にある池の石段に腰掛けてぼんやり池の面を見ていた時、ふと横を見ると「マムシ注意」の立て札があり、慌てて逃げてきたことがあったから、石段に座るなら読書の楽しみを脅かすマムシのいない場所を選ぶ必要がある。


『三四郎がじっとして池の面おもてを見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、

野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった』

「寂しさ」「寂寞」「孤独」という言葉がこの一節に出て来る。なぜ三四郎にこのような気持ちがわいたのか、漱石は言及していない。

池の面を見つめていると、三四郎の心に浮かんだ「薄雲のような寂しさ」「穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞」の比喩で表された感情がどのようなものか、わずかでも理解出来るだろうか。


 『ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖がけの木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた』

高校時代の私であったならこの一節が現実のものになることを夢想して池に向かうだろう。この女はやがて三四郎の近くまで来るとある木を見上げて「これはなんでしょう」と尋ね、連れの看護婦は「これは椎」と答えるのだ。

もし池の端にたたずむ私に「これはなんでしょう」と尋ねてくれるなら、その千載一遇のチャンスを確実にものにしようとするだろう。

「あそこに見えるのは…」「もう少し向こうへ行くと…よかったら、近くに行ってみましょうか?」と話を持って行き、本家の「三四郎」とは似ても似つかぬ通俗的なストーリーになりはするだろうが。

しかしこの計画を実行するには樹木の名を知っていなければならない。私が自信をもって判別できる木は何かと自問してみると、我ながらあきれることに竹、松、桜、杉の四種類だけだ。

これでは「これは椎」とさえ言えないではないか。

計画の練り直しが必要だ。


『二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇を一つさしている。その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた』

女がこれと思った男の前にハンカチを落とすのはクラシックなヨーロッパ映画で見たことはあるが、この女は白いバラを落とすのだ。そして三四郎は

『女の落としていった花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった』

私の人生でこのようなことは、そしてこれに近いことさえついに起こらなかった。三四郎に起こって何故私には起こらなかったのか、池の水際でこれについても自問することになるだろう


小説「三四郎」は今から112年も時を遡る1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載された新聞小説である。

私が散歩に関して興味をひかれた野々宮のセリフがある。

『きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷の方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか』

「散歩」という言葉は幕末から明治初年頃に始まり、明治20年に初めて字引に出てくるそうだが、漱石が「三四郎」を書いた明治41年時点ではこの言葉はすでに日常語であり、人を散歩に誘うことがごく自然な事であったという知見を得た。

この野々宮の誘いに『三四郎は快く応じた』のだ。

この日以来、大学の講義が終わると池の周りをまわるのが三四郎の習慣となるが、これは三四郎が花を落としていった女との再会を期待してのことだろうと私は読んだ。


(歩く五七五)

池の女落としていった白い薔薇


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