9. ゆく年に終止符を打ち雪光る

毎年大みそか夕方の恒例にしているロングウオーク。

午後3.20から約二時間、太田川沿いをハイペースで歩く。

歩きで一年を締めくくりたいという気持ちと共に、二時間全力で歩いて喉をカラカラにし、腹を空かせ、そうすることで今夜は憂いを忘れて飲んで食べるための肉体的条件を整えたいという狙いもある。

孫にいいところを見せようと、庭で何十年かぶりに縄跳びの二重跳びの模範演技をやったはいいが、途中で強烈なひきつりを起こした右ふくらはぎが不安だったが、無事最後まで歩けた。


4か月ぶりにやって来た、いつも春になるとトレーニングをしている河川敷は、手入れもされず荒れたままで、あちこちに水たまりが出来ている。

凧を上げている親子を見るのはいかにも年末の風景だ。


河川敷にあるゴルフ場に足を踏み入れると、ゴールデンレトリバーの毛を思わせる冬枯れの芝が寒風になびいている。

寒そうな雲が上空を流れ、遠くの山には雪雲がかかっている。

冬枯れの薄の群れが傾いた夕日を受けて白いランプのように光っている。

夕日を背に受け長く伸びた私の影を追いながら歩いて行くが、小雪が舞う広大なゴルフ場を独り占めして実に爽快だ。

前後左右200mに誰もいないのでマスクを外し、母校の応援歌を歌いながら歩く。

犬を連れて散歩をする人の姿が見えるとマスクをし、応援歌をやめる。


ゴルフ場の尽きるところには川の掃除に使われると思われる船がもやってある。

いつもはその小さなはしけに寝転んで冬空を見上げ、石川啄木の「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」を思って陶然とするのが習わしだ。

しかし今日は、うっすらと雪をかぶった木のはしけがいかにも寒そうで、そこに横たわれば行き倒れの初老の男がイメージされ、寝転ぶのはやめた。

サッカーに興じる少年たちの声が100m離れた向こう岸から川を渡ってくる。

この寒いのに彼らは半パンだが、思い返せば私も遠い昔の小学生時代は冬だってずっと半ズボンだった。

帰途、沈んでいく夕日に向かって歩く。

「夕陽に向って走れ」という映画のタイトルを突然思い出す。

無数の雪が沈もうとする夕日を受け、オレンジ色に光りながら斜めに降りしきる。


2020年にしっかりとピリオドを打つことが出来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る