4.過去回想
『白い病棟』。
危険極まりない『技術者』たちを収容する施設。『中央政府』管理下に置かれた絶海の孤島の監獄である。
『技術』を封じ込める事に特化したこの施設は脱獄は不可。また侵入も────
「はぁいはい。そういうのいいから」
『白い病棟』施設内。真っ白の廊下に、一人の女が降り立った。
「難攻不落って言われててもねぇ。侵入できちゃうんだ、これが」
金髪の混じった、燃えるような赤い髪。ツインテールを揺らして、女はにっこりと笑った。
「うわほんとに白いね。目チカチカする。きもちわるくなってきたし帰っていい?」
『目的を忘れるなってんだろ馬鹿』
耳元から響いた声に、女は舌を出した。
「だいじょぶだいじょぶ、ぱーぺきだって。とりあえず全部パンってして、街のお店でパフェ食べて帰る」
『違ぇし』
「そっか。忘れてたよごめんね。お土産何がいい?」
『いらねぇよバァカ!』
女が顔をしかめた。
「一々うっさいなぁ。ええっと、男の子だけは連れてくんでしょ?」
『ちゃんと生かしてだぞ。五体満足でだぞ』
「分かってるよぅうっとうしい。だから他の子にも嫌われるんだ」
『るっせえ!分かってんのか、いつもよりマジメにやれよ!大体奴の名前は』
女は首を傾げた後、首を縦に振った。
「ビバ=アマイモノ」
『レオン=アマーストだ馬鹿!テメェって馬鹿はいつもいつ──』
「ハイハーイ、アタシハチャントワカッテマスヨー、じゃあね。ペッ」
最後に唾を吐き捨て、彼女は通信機の電源を切る。いつまでもうるさい奴の相手をしてられない。
「なんたって素晴らしい世界の為に!ね、そこの
「はい?」
廊下を通りがかった職員が振り返る。と瞬時に顔色を変えた。
「な──、どうして中に」
「はいパン」
職員の身体が一瞬で潰れた。
左右から、見えない壁にでも圧し潰されたかのように。
女は合わせていた手を離す。
「あ。自己紹介忘れてた」
やっちゃったなぁと額に手を遣る彼女の後ろから、悲鳴じみた大声が聞こえた。
「だ、誰か!侵入者だ!警備を────」
「パン」
再び彼女は手を叩く。言葉の続きを口にする前に、もう一人の職員は上下から潰されてぺしゃんこになった。
赤い血しぶきが廊下じゅうに広がる。彼女は赤い廊下を満足気に見遣り、「うん」と深く頷いた。
「やっぱこれくらいがちょうどいいって。ちょっと臭いけどさ」
「────『技術者』か!?」
「落ち着け、手がないわけじゃない、システムが作動すれば……」
「おい、なんでシステムが起動しない!下がれ、小娘だと不用意に近づくな!」
「ふぅん。個人に技術者対策は無し、か」
廊下の奥で、騒ぎに気付いた職員たちが集まって来たらしい。警報が鳴り響き、静かな廊下が一気に騒がしくなった。
「なんだ、ザルじゃん」
目をすがめて彼らを眺めていた女はにまりと笑う。
そして、その集団に向けて声を張り上げた。
「おーい、そこの
ざわめきが止まる。警戒する彼らとは対照的に、女は笑顔で手を振った。
「やほ。あたし達は『アルテミシア』」
その名を聞いた職員たちが、一斉にどよめいた。
「『アルテミシア』!?」
「昨今騒いでいる『Sunset』ではなく……」
「あんな
心外だとでも言うように、黄金と深紅の髪の女は地団駄を踏んだ。
「アイツら革命派とは全然違う、あたし達の
高らかに宣言すると、女が「パン」と手を合わせた。
「一から作り直すには全部更地にしなくちゃ。そうでしょ?」
────彼女が手を合わせると。
職員たちは一瞬で骨を、内臓を、頭蓋を、脳髄を、眼球さえも圧迫され、すり潰され、ぺしゃんこになり、壁に床に天井に赤い液体をぶちまけていく。
白い廊下は阿鼻叫喚の地獄絵図に変わった。
「……あ、あの!」
「ん?」
逃げ惑う人々の中から、一人の少年が飛び出した。
白い患者衣に、点滴パックをぶら下げた白髪の少年。赤い瞳がぎょろりと女を見つめている。
「……『アルテミシア』は、技術者の集団だと聞きました」
「そだね?そだけど、どったの?」
「僕も、入れてくれませんか」
その言葉に、ぴたりと彼女の動きが止まる。
「僕は戦えます。……こんな所は嫌なんです。僕を連れ出してください!」
息を荒くしながら吐き出された言葉に、女は困ったような顔で頬を掻いた。
「……だって。どうする?」
通信機に話しかけ、何か言葉を交わした後、女は笑顔で少年に問いかけた。
「君。名前は?」
「え?」
「名前だよ」
「……ないです。563号としか」
「そっか。残念」
女は少年に目線を合わせると、躊躇う事なく手を叩いた。
……一瞬驚愕の表情を浮かべた少年は、点滴ごと真っ平に潰された。
「ごめんねぇ。中央政府の作った
血溜まりを寂しそうに見つめ、女は切り替えるように立ち上がる。
「そもそもあたし一人を探しに来たの。それ以外は必要ないし」
彼女のひと言に『患者』達も震え上がった。
彼等は叫び声を上げて職員たちを押しのけ、逃げ出した。
「あ、待って待って、絵の具ちゃん。人探しくらい手伝って!」
※
……なんだか、周りが騒がしい。
検査の帰り道、僕に付いていた職員がどこかへ走り去ってしまった。
「すぐ戻る」とは言っていたが、随分慌てていた様子だった。緊急事態でも起こったのだろうか。
「……あの人達も、汗流すんだ」
人間らしい、と奇妙な感想が頭に浮かぶ。いつもより静かな事に気付いて、誰もいない廊下を見渡した。
(まあいつも静かなんだけど。何が違うんだろう)
ふと考えて、気が付いた。
人の気配がしないのだ。
「何か、おかしい」
ポツリと呟いたその時、曲がり角から飛び出してきた誰かとぶつかった。
「うわぁっ」
身体を支えきれず後ろに倒れ込む。視界に飛び込んだのは見慣れた患者衣だった。
「ご、ごめん」
(女の子の声?)
見上げると、やせ細った少女がこちらを見下ろしていた。随分と息が荒い。廊下を走ってきたようだ。
監視役はどうしたのか。何故そんな急いでいるのか。質問する前に少女が口を開いた。
「きっ、君もはやく逃げて!こ、ここ殺されちゃうよ」
「逃げる?」
何から──そう聞こうとした僕は、鼻をついた鉄の匂いに息を呑む。
視線を下げる。少女の足と裾が、真っ赤に染まっていた。
「はやく!立って!急いで!アイツが来ちゃう!」
アイツって誰。何で血がついているの。誰が来たんだ。職員は。
(……駄目だ、考えるのは後。今はこの子の言う通りに)
少女の言うままに立ち上がる。彼女の手を取って駆けだそうとした────その、瞬間。
何かが潰れる音がした。
「え」
視界が真っ赤に染まる。
鉄の生臭い匂いが鼻をついた。握っていた手の感触が消え、代わりに生暖かい液体の感触が────
「何、が」
ゆっくりと横を見る。
僕の手を取った少女が消えていた。
ああ違う。……消えた、というのは間違いだ。
僕は自分の頬に手を遣る。濡れた感触に震え、思わず手の平を見つめた。
赤い。
僕の隣に──少女がいた筈の場所に、血溜まりが広がっていた。
「ひっ」
「ああ、いたいた。君で最後かな」
背後から女性の声が聞こえ、振り向いた。
目に入ったのは赤。金のメッシュが入った深紅の髪。赤い瞳を輝かせ、ツインテールの女性が曲がり角から姿を見せた。
誰だ。
むせ返るような匂いの中、女性はニコニコと笑って僕に近づいてくる。
……血溜まりの上を歩きながら。
職員じゃない。誰だ。
反射的に一歩足が下がった。
誰だ、コイツは。
(……正気じゃない!)
「だっ、れ、……ですか」
声が裏返る。女性はああ、と頷くと口を開いた。
「あたしはターニャ=カフカ。好きなものは甘いもの。好きな色は赤。君は?」
「……レオン、アマースト」
震える声で答えると、彼女は何故かぱあと顔を輝かせた。
「……よし。ぃよし!君かぁ!ようやく見つけた!」
そう言って彼女は僕の肩を掴んだ。
「あたし達は『アルテミシア』。『技術者』の組織なの」
「あるて……みしあ……?」
「あれ、聞いた事ない?まあいいか。とにかく君を助けに来たんだよ」
「助け、に?」
「そう。助けに。あたし達と一緒に来てくれない?あたし達は君が必要なんだ」
助けに来た?
この女性が?
誰だろう。知らない人だ。僕の名前を知ってるって事は、母さんか父さんの知り合いだろうか。
「……あ、信じてないな?ほんとだって。あたしこう見えても『技術者』だし」
『技術者』。周りの大人たちが言っていた。僕もそうなのだと。
だが、その肝心な『技術者』が何なのか分からない。
女性は「ほら」と言って、片手を握り締める。
「……へ」
──すると、廊下の壁が瞬く間に砕け、崩れ落ちた。
曇った空が見える。その下には黒い海が渦巻いていた。潮風が流れ込み、血の匂いを押し流していく。
「……うそだ」
「ほんとだって。ほら、匂いが凄かったから丁度いいでしょ」
「これが……」
……これが、『技術者』。
『技術者』を名乗る彼女は僕が五年も逃げ出せなかったこの壁に、いとも簡単に穴を開けてみせた。
外だ。
外が見える。
「およっ、泣いてる?えっどうしよ、大丈夫?何か拭くものないかな……」
「ここから……出られるんですか?」
ターニャと名乗った女性は笑顔のまま頷いた。
「そうだよ。あたし達と来てもらえれば」
出られる。
(出られる……彼女について行けば、外に。待ち望んだ、諦めかけてた、外に?)
彼女は僕を「ようやく見つけた」と言っていた。
……ようやく今、光が差した気がする。
嬉しさと期待がこみ上げ、僕は少し身を乗り出した。
「あの、何で僕を探してたんですか?」
「必要だから。素晴らしい世界を一から作る為に」
「……素晴らしい世界?」
突然彼女の口から似合わない言葉が飛び出し、僕は眉を寄せる。
「そ。あたし達の目的。『技術者』が迫害されるこの世界を作り直すの」
「作り……直す」
「そそ。一回更地にしてからね。その為に、君の力が必要なの」
背筋を悪寒が走った。
思わず肩から手を振り払い、彼女から距離を取る。
パシャンと血が跳ねた。……────つい先ほどまで、少女だったものだ。
「およよ?どしたの突然」
不思議そうに首を傾げるターニャに目を遣り、僕は唇を震わせた。
「……ひとつ、良いですか」
「ん?なになに」
「ここに、さっきまで女の子がいました。僕に逃げようと言ってくれた子が。……殺したのは、貴女ですか?」
「そだよ」
ケロリとした顔で、彼女は笑った。
「あたしは君だけが必要だから。後は要らない」
固まった僕の前で、彼女は血の池を蹴り上げる。
雨上がりに、水たまりで遊ぶ子供のような仕草。
……それがたまらなく恐ろしい。
「……ここは僕の他にも『技術者』が収容されています。同じ『技術者』も殺すんですか?」
「ん?そりゃモチ」
あまりにも軽い返答に目眩さえ覚える。
「まー残念だけど、ここの『技術者』本人を殺しても『技術』自体がなくなるわけじゃないし。別にいいんじゃない?」
「『いいんじゃない?』って」
「ほら、キレーだよ。赤くて」
ターニャがさらに血を蹴り上げた。鮮血が舞い、白い壁に飛び散った。
(……ああ)
狂ってる。
この5年間で何度も気が狂いそうになった。
でも違う。この
あの人はすでに狂気のただ中にいる。
「……違う」
「へ?」
僕は首を振った。
……『技術者』は人類の敵。そう言った人々は、間違っていなかったのかもしれない。
職員に羽交い締めにされた患者。
「逃げよう」と言い手を握ってくれた少女。
僕と母を蔑んだ村の人達。
最後に、土気色の母の顔が浮かんだ。
「僕と母さんは間違ってない」
ターニャから距離を取り、穴の開いた壁へ駆け寄る。
「僕と母さんは人類の敵じゃない。あんた達みたいな人殺しに、……僕はついて行きたくない」
「そっか。困ったな」
僕の言葉を聞いた彼女は、息を吐いて肩を落とした。
「勘違いされちゃ困るけどさ。君に拒否権はないワケよ」
彼女が細い腕を上げる。
何かしようとしている事は一目瞭然だった。
「五体満足、生かしておくって話だったけど。まぁ昏倒くらいなら?文句ないでしょ」
身体じゅうが総毛だった。
捕まる。さっき壁に穴を開け、少女を潰したのはこの女性だ。
僕を捕まえるなんて朝飯前だろう。
(……駄目だ。駄目だ、嫌だ嫌だ)
逃げろ。──逃げろ、ここにいちゃ駄目だ。
黒い海が視界に入る。
────走れ。飛び込め。どこでもいい、とにかく逃げろ。
僕の居場所はここじゃない。
彼女の傍でもない。
(僕の、居場所は)
足が動いた。
潮風を感じる。冷たい空気の中へ、僕は無我夢中で飛び出した。
ターニャが何か叫んだ気がするが、もう何も聞く気はない。
海に落ちたのか、冷たい感覚が身体を包んだ。
そこから先は────覚えていない。
※
少年が海に飛び込んだ後、ターニャは通信機のスイッチを入れた。相手はすぐに出る。
『何をやらかした』
「何っっでやらかした前提なのよ!」
『やらかしてないのか』
「やらかしたけど!レオン君、だっけ?逃がしちった」
声が途切れた。通信機の向こうで盛大な溜息が聞こえる。
「……ダン、ごめー……ん」
『バッカヤロウ!!テメェ、これが重要任務だって分かって言ってんのか!』
「ちゃんと逃がさないようにしたもん!逃げ出しそうだったから気絶させても連れてこうって……思ったのに」
『のに、何だぁ?蝶が飛んでたので余所見して逃しましたとでも言うつもりかテメェ』
「言ってない!出来なかったの!弾かれた!」
『ああ?』
通信機の向こうで、ダンは眉を寄せた。
『弾かれた?どういう事だ』
「効かなかったの!何も起こらなかった!レオンって子何?何の技術者だってのよぅおうおう」
『るせえ泣くな!……アイツの能力はオレも聞いてない。今後『アルテミシア』の要になるとだけは聞いていた』
で、追えるかと訊ねたダンに、ターニャは首を振る。
「わかんない。他のメンバーに追わせてるけど……」
『お前自身は?もちろんすぐ探したんだろうな?』
「決まってるじゃん。見つかんないから話してんのに。血の痕跡も、残ってないの。なーんにも」
ダンが押し黙った。しばしの沈黙の後、彼は「わかった」と地の底から絞り出すような声を上げた。
『レオン=アマーストはオレらにどうしても必要な人材だ。諦める訳にはいかない』
「じゃあ」
『ただしお前はすぐそこを出て戻ってこい。他のメンバーにも帰還命令を出せ。こっちでルートを割り出すからな、レオン=アマースト捜索は仕切り直しだ』
しばらく不貞腐れていた彼女だったが、ぼつりと呟いた。
「……パフェ」
『無しに決まってんだろ!』
※
「……う」
目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは白い天井だった。
まさか、白い病棟?
もしかすると天国だろうか。
(……ベッドの上なんて、いやな天国だな)
再び目を閉じた瞬間、隣から声が聞こえた。
「ああ、起きたかね」
弾かれるように横を見た。白服ではない、見慣れない男が椅子に座っていた。
纏っているのは灰色のスーツ。金縁の丸眼鏡を掛けた白髪の男性が、にこにこと笑いながら此方を見ている。
「おはよう、レオン君」
久方振りの名前呼びに目を瞠る。彼は今、白服たちが呼んでいる「78番」とは言わず、「レオン」と呼んだ。
この男は一体誰だろう。
「うん?名前合ってるかな。あのタ……か……■■■、おや」
彼の言葉に妙なノイズが混じる。男は眉を寄せると、片耳についていた装置を外した。
「■■■……!──」
彼は立ち上がってドアを開けると、訳の分からない言葉で叫ぶ。
「クスノキクゥン」と何回も繰り返し、誰かを呼んでいるという事だけは分かった。
(……白服たちじゃ、ない?)
どちらにせよ、ここは……『白い病棟』ではないのだろうか。
上体を起こし、辺りを見回した。左手にはカーテンが閉められた窓。右には男の座っていた椅子が置かれ、隣にしつらえられた机には赤い花が飾られている。
「……ここは」
「心配しなくても、『白い病棟』ではないよ」
再び掛かった声に顔を上げた。さっきの男がニコニコしながら戻って来る。
「もちろん、あの世でもない。君はまだ生きているという訳だ。めでたいね」
ドアの向こうに目を遣ると、軍服を着た角刈りの男がこちらを見て、僅かに顎を引いた。
「翻訳機の調子が悪いみたいで、待たせてしまった。では改めて、君はレオン君で間違いないかな」
その表情に敵意や嫌悪は一切ない。頷くと、彼は一層笑みを深くした。あわせて目尻の皺も深くなる。年は四、五十ぐらいだろうか。
「そうかそうか。ではこちらも。私は
「サヌキ、サカエ」
妙な発音だ。その名を舌で転がしていると、讃岐と名乗った男はベッドの左に回った。
「そして君が今いる国の名は、『
彼がカーテンを勢いよく開けた。
眩しいばかりの光が差し込み、僕は目を細めた。
「『中央政府』や『白い病棟』から遥かに離れた、東の果ての国。脱獄成功おめでとう、レオン君」
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