干天に水を撒く 下

 ……世界を創った後、地の御使いは人間以外の種族をつくり上げた。

 獣族、蟲族、悪魔族と呼ばれる者達である。

 そのおぞましい姿を見た天の御使いが横から口出しし、両者はまた衝突したのだそうだ。


 ──この土地に住んでいたのは、そのうちの悪魔族であった。


 人と有蹄類を混ぜたような容姿で、「条件を飲むのなら何でも願いを叶えよう」と人々に取引を持ち掛ける。

 出される条件は決して軽くはないものの、達成すれば彼らは本当に願いを叶えてくれるのである。

 少年が属する原住民族は、悪魔族を「山羊人ゴート」と呼び、取引を交わしながら暮らしていた。


 しかし。


「忌まわしき悪魔と取引をしている。こいつらは悪魔の手先だ」


 後に入植してきた者達はそう言って原住民を蔑んだ。悪魔族を追い払った入植者は原住民たちをも街から追いやり、残った民は侮蔑の目を向けられながら日陰の生活を送ることとなった。


           ※

「皆を集めてくれるかな」

『自分達を救いたい』と言った青年は、少年に笑顔を向けた。

「集めるって……どこに」

「どこでもいい。君達全員に話ができる場所なら」

「救う救うって言ってるけどさ、何するつもりなんだよ」


「この街からの解放」


 少年の問いに、青年はさらりと答えた。


「君達を縛る枷を外してあげよう。僕達なら君達を導ける。もしついて来てくれるのなら、何者にも虐げられない幸せな生活を君達に約束しよう」


 そんなムシの良い話が信用できるか。

 そう言いかけた少年は水瓶に目を戻した。たっぷりと注がれた水が、瓶の中で輝いている。


 本物だ。


「お前……もしかして山羊人ゴートなのか?」

「勘弁してくれよ。僕の頭に角は生えていないだろう?」

 顔をしかめた青年は肩をすくめる。

「じゃあ、まさか『技」

 彼は少年の口に指をあてた。


 ──『技術者』は見つけ次第即刻通報せよ。


 今世界を牛耳る『中央政府』からほとんどの国にこの通達が届いている。その事は少年でも知っていた。

 いわく、自分達人間の敵なのだそうだ。


 だが、自分に水を与えてくれたこの男は、どう考えても敵だとは思えない。

 むしろ、自分に石を投げるこの街の者などよりも、よっぽど救世主らしい。


「……本当に、幸せな生活が手にできるのか?」

「本当だとも」


 少年は水瓶の中に手を突っ込み、水をすくう。一気に呷ると、水は干涸らびた身体に染みわたった。


「…………ついてこいよ。廃講堂に皆を集めてくる」

「ありがとう」




 ────それから、青年の行動は早かった。

 廃講堂に集まった民を前に青年が聞かせた演説は、見事彼らの心を鷲掴みにした。


「君達を悪魔の手先と蔑んだこの街の人間は、今や干天の下で何も出来ず苦しんでいる。彼らは君達に石を投げるだけで、何も施そうとはしなかった!そうだ、彼らの支配は間違っていた!」


「僕達は違う、君達を飢えさせはしない。僕達とともに来てくれるなら、その間違いから君達を解放しよう!」


 そう締めくくり、青年はその場で手を叩いた。


 一体どんな仕掛けか、乾ききった民の頭上に雨が降り注ぎ、虹を作る。講堂内は驚愕と歓喜の声で包まれた。


「……山羊人ゴートだ」

「我らの隣人、山羊人ゴートが帰って来た!」

山羊人ゴート様!」


 山羊人ゴートと呼ばれて嫌そうな顔をしていた事を思い出した少年は、青年の顔を伺った。しかし意外なことに、彼は僅かに眉を寄せるだけで、特に何も言わなかった。


「では行こう、皆。この街は僕達の居場所じゃない」

彼の言葉に皆が立ち上がる。

少年も青年について行こうとした時、肩が誰かとぶつかった。

「った……あれ?」

 顔を上げた少年は首をかしげる。

 ぶつかったのは女性だった。彼女は何故か、皆の行く先とは別の方向へ走って行った。

「……まぁ、いいか。俺が気にしても仕方ねぇし」



 その後、青年は彼らを連れて街を出る。

 堂々と大通りを行進する集団に、人々は怪訝な目を向けただけだった。自分の事で頭がいっぱいだったのだろう、可笑しな集団に口も出さず、再び地面へと目を戻す。


「これで全員かな」

 街を見渡せる小高い丘へ登ると、青年は民たちを見た。

 言われるままについて来た彼らは少々困惑して互いを見遣っている。

 見かねた少年が、青年の袖をつまんだ。

「なぁ、これからどうしようってんだ?出ていくなら出ていくで、さっさと離れた方が」


「まぁ見ていなよ」

 青年は軽く笑うと、丘から街を見下ろした。


「この街の支配は間違ったものだった。同じ人間同士で諍いが起こり、一方が一方を虐げる。何故こんな事になったのか?彼らが力を持たないからだ」

 話しながら、青年が右手を掲げた。


「彼らは悪魔と取引を行った君達を恐れていた。恐れたからこそ蔑んだ。間違いを犯す、愚かで、力もない弱者ひとが上に立ち、支配したからこうなった……それは駄目だ」

 青年が、右手を振り下ろした。


「間違いは正さないと」   



 ────直後、街の一角に亀裂が走った。

「……え」


 建物が煙を上げて崩れ落ち、代わりに巨大な水柱が立ち上る。

 水柱はまるで大蛇のようにうねり、街中をのたうち回る。

 店も、富豪の家も、何もかも巻き込んで荒らしまわった水の大蛇は、最後に洪水となって悲鳴もろとも街を飲み込んだ。


「……おや見てごらん、虹だ。丘から見下ろすと綺麗だね」

 言葉もなくあっけに取られていた少年たちの横で、青年はあっけらかんと笑った。


「この街に住んでいた者は君達を迫害したんだ。だから相応の罰を受けた」

 少年は、ぎこちない動作で青年に顔を向ける。


「彼らが君達に何をしたか、思い出してごらん。彼らの末路は自業自得と言えるだろう?」


 長い長い沈黙が、民たちの間に流れた。


 やがて、人混みから1人の男が転がり出た。

 彼は大きく息を吸うと、街に向け快哉を叫んだ。


「ざまぁみろ!天罰だ!!散々俺達から奪いやがって!!」


 男は拳を振り、声を張り上げる。

「俺の子どもが病に罹った時、よくも見殺しにしやがったなぁ!ざまぁみろ、天罰が下ったんだ!」

 ごうごうと唸る洪水に向けて、男は泣きながら叫び続ける。

 すると、周囲の民たちも口々に街に向けて叫び始めた。


「母さんに石を投げやがったなぁ!」

「私にはパンの一切れも売ってくれなかったくせにぃ!」

「アイツのせいで姉さんが首を吊ったんだ!!苦しいか!?苦しいだろうなぁ!姉さんはもっと苦しかったんだ!」

「天罰だ!天罰が下ったんだ!!」


「……ざまぁみろ」

 周囲の流れに押され、少年も罵倒を口に出す。

 しかし、周りのような大声はどうしても出せなかった。


「────さぁ、そろそろ行こうか」


 民たちの息が切れた頃を見計らい、青年が声を掛けた。

山羊人ゴート様、一体、どこへ行くってんです?」

 真っ先に叫び声を上げた男が問いかける。

悪魔ゴートじゃなくて『技術者』だよ」

 彼の言葉を訂正した青年は東を指差した。

「まずは僕達の組織へ、世界の変革を望む『技術者』の拠点へ」

「『技術者』の組織、……ですか?」

「大丈夫、『技術者』じゃなくても君達は同志だ。君達を歓迎すると約束しよう」

 陽光に照らされ、金の髪が輝いた。


「僕達の名は『Sunset』。間違った世界を正し、あるべき世界を作り上げる。君達が笑って暮らせる世界を取り戻そう」



           ※



「……これは」


 瓦礫の山を見上げ、女性が呟いた。


「川も湖も干上がる程の異常気象が続いた後、突如洪水に襲われたそうですよぉ、姫」


 嘆息した女性の背後から声が掛けられる。

「……私は、姫ではありませんよ」

「俺は、貴女を護衛しろと上に言われております。つまり、貴女は俺の護るべき姫です。……こんな感じで上手い事言ってみたわけですが、どーですか」


「中央政府の監視役に言われても全く嬉しくありません」


 冷たく返された青年は、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

「まぁ、貴女が仕事をしてくれればこちらとしては文句ないわけでぇ、どーなんです?」

「分析ではなく記録が私の仕事です。貴方ならお分かりのはず。どう見ても『技術者』の仕業です」


「どっちが?」


「どちらも。異常気象も、洪水も、少なくとも二人はいますね。恐らく『水』と……『熱』に関する技術、二人の『技術者』が共犯だったのでしょう」


 彼女らの横を通り、死体が担架で運ばれていく。


「水。過激派の一派にいましたねぇ。確か『Sunset』なんて名乗ってましたか」

「革命派。『技術者』による支配が行われていた時代を理想とする組織。彼らにとって人間は庇護すべき弱者です。……それが、街ごと襲うなんて」

 目を伏せる女性を見て、青年は可笑しげに目を細めた。

「分かりませんか?貴女も同じ『技術者』なんでしょ……おっと、怒らないでくださいよ」


 女性は瓦礫の合間を縫って進む。護衛の青年も軽々と山を飛び越えてついて行った。


「……この街には」


「はい?」

「この街にはかつて、悪魔族を山羊人ゴートと呼び交流していた原住民がいたそうです。この民は後の入植者たちに迫害されています。……もし、彼ら組織が原住民側に着いたのだとしたら」

「……あー、成程ぉ。そりゃこうもなる訳ですねぇ」

 青年が呑気に手を叩く。


「アイツら的に言えば、『間違いを正した』結果ってわけですか」


「間違い。間違い、ですか」

 女性が足を止め、ふと目線を落とす。

 そこには、二人の男女が折り重なって倒れていた。

「女の方は服もボロボロですね。可哀想に」



「男性は入植者の子孫、女性は原住民ですよ」


「えっ」


 女性はその場にしゃがみ込んだ。自分の長髪を掻き上げてから、女性の額に手を当てる。

「二人は恋仲だったのでしょう。ほぼ全ての原住民が『技術者』についていった中、彼女は男性の下に走っています」

「……女の記憶、読めたんですか?」

「ええ」

 女性は悲しげに目を伏せた。


「原住民が弱者なら、『Sunset』は庇護すべき弱者を殺めたことになります。彼らは間違いを正すと言っていますが、彼ら自身も間違いを犯している」


「どうせあの連中、自分のやった事が間違いなんて思ってませんよ」

「そうでしょうね。だからこそ、絶対的な正しさが存在しない事の証左になる」


 立ち上がった女性はショールをまとい直した。戻ろうとした彼女の前に、彼が立ち塞がる。


「お待ちくださいフロレンスさん。お聞きしたい事が」

「なんでしょう」


「まあまあ、ただの確認です。まぁその、貴女の言い分ではつまり、中央政府われわれが──間違っていると?」


 鋭利な刃物を思わせる双眸を真っ直ぐ見つめ返し、女性は答えた。


「いいえ。間違いも、正答も、この世界には存在しないのです。それは今まで書き継がれた記録が証明している」


 彼の横をすり抜け、彼女は続けた。この道の先には中央政府の飛空艇が待っている。


「そして私は『記録の技術者』として、この世界を記録しつづけます。貴方達の行為について、弾劾も賛同も致しません」


「……そーですか。それは結構」

 青年は軍帽を深くかぶり直すと、彼女の後に続いた。

「本日は外出の許可を出していただきありがとうございました。そう上官にお伝えください」

「りょーかいです。ま、此方としても今回の事件は記録する必要がありましたからね」


 ※


【報告書より一部抜粋】

 ……サンクワエラ大陸、イオラ連合王国の南端に位置する街、ナーヴァが突如水没。

 4週間前から雨が降らず、川、池が干上がる異常気象が確認されていた。街を襲った洪水と共に『技術者』が原因である事は明らかである。

 これには『技術者』過激派組織のうち、革命派とも呼ばれる『Sunset』が深く関与していると見られる。

 首謀者と推測される『水の技術者』と『熱の技術者』は街を水没させる直前に原住民族を連れ出した模様。

 更に警戒を引き上げ、技術者の捕縛を急ぐ必要があると……

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