0/前日譚
干天に水を撒く 上
雲一つない青空。
うだるような暑さ。
腹立たしい事に風はない。
地面の上では
(……暑い)
少年は、ボロ布で出来た服をつまんでぱたぱたと仰いだ。
喉を幾つもの汗が伝っていく。雨が降っていないというのに全身びっしょりだった。
(暑い)
心の中で悪態を吐き、少年は水瓶を抱え上げる。
ここ数週間、ずっとこんな天気が続いている。雨なんて降らないどころか、一陣の風さえ吹きやしない。
今日通った道でも、池が干上がり、仰向けになった魚の腹が白く輝いていた。
「あの井戸も枯れてんじゃねぇだろうな」
勘弁してくれ、と少年は悲鳴を上げる。
「俺の飲む一口すらねぇんじゃ生きてけねぇよ。あの魚にはなりたくねぇんだ」
通りを行き交う人々の顔も、目に見えてやつれていた。一か月前までやかましく客寄せをしていたパン屋の店主も、骨と皮だけになって椅子にもたれている。
店頭に残ったパンもとっくに干からびていた。
たったの、数週間でだ。
川が干上がり、老若男女数多の命が吸い上げられ、この街は死にかけていた。
ここは海から遠く離れた街だ。水を仕入れようとしても莫大な費用が掛かるだけでなく、その水すら枯れてしまうのでは意味が無い。
「すぐ商品が駄目になる。その前に自分が死ぬ。商売どころの話ではない」
と、商人たちは皆、街を去ってしまった。
これに悲鳴を上げたのは富裕層である。
金があろうとなかろうと、水も食べ物もなければ人は死ぬのだ。彼らも余裕がなくなった。
……そのおかげで、周りから少年に向けられる蔑みの目が減ったのだが。
「今日なんか大通りを歩いても何も言われなかったもんなぁ」
この炎天下出歩く人自体少ないのだが、少年のような被差別民が大通りを歩いても文句さえ言われなかったのは珍しい。
「……こっちまで死にそうになるのは勘弁だけど」
水瓶を背負ってよろめきながら歩き続け、少年はようやく井戸に辿りついた。
「……水は」
桶を下ろす。いつまでたっても水音が聞こえない。
「まさか、」
やがて桶が地面にぶつかる音が響き、少年はガクリと膝をついた。
「水をご所望かな?」
突如降った声に、少年は顔を上げた。
見上げた先に立っているのは背の高い青年だった。麦畑を思わせる金の髪を揺らめかせ、彼は少年を見下ろしていた。
「誰だ、お前」
男の服を目にした少年が眉を寄せる。おかしい。こんなに暑いのに、この男はコートを着込んでいる。
「随分とやつれている。それだけでなく服もボロボロだ。ああ可哀想に、ずっと前から君は虐げられ、理不尽をその身に受けて来たんだね」
全く質問の答えになっていない。
夕焼け色の瞳を細め、青年は訝しむ少年の頬を撫でる。慈しむような優しい手つきに困惑し、少年は思わず身を引いた。
「だから、お前は一体」
「もう安心だ。これ以上君が虐げられる事はない。僕が水を与えよう」
少年の言葉を遮って、男は水瓶に手を突っ込んだ。
「そら」
「……は」
問い詰めようとした少年の口が、ぽかんと開いた。
「嘘だろ」
再び出された青年の手からは、────少年が渇望していた水が零れていた。
「水、……水だ!」
慌てて水瓶に飛びついた少年が中を覗く。空だったはずの瓶には水が張られており、水面には少年の顔が映っている。
……あり得ない。
「すまないね、僕が誰か答えるのを忘れていた」
呆然と顔を上げる少年を見下ろし、男は初めて笑みを浮かべた。
「大丈夫。僕は君の味方だ、少年。僕達は君達のような迫害される
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