第九話 - イヌガミ - 1

「鞄の中、見せてもらえる?」


 半年くらい前だったろうか。

 学校帰りによったコンビニで、黄色いエプロンをかけた店員さんに声をかけられた。なんで鞄の中なんか、って思ったけど、テレビとかで聞き覚えのある質問だったし、何を疑われているのかはわかった。


 私の鞄からは、お菓子が出てきた。おもちゃのおまけがついた、チョコレートのお菓子。もちろん鞄に入れた覚えなんかない。でも見覚えがなかったわけじゃなかった。さっきまで買おうか買うまいか、迷っていた商品のひとつだったから。


「事務所まで来てくれるね」


 先ほどより少し冷たさを増した店員さんの声。クーラーの効いた店内で、乾いたはずの汗が再び滲み出すのを私は感じた。


 何かの間違いだ。


 そう心の中で繰り返しながらも、頭の片隅で不安に思った。もし間違いじゃなかったらどうしよう、と。 


 私の身の回りでは、ときたま不思議なことが起きた。友達の消しゴムがいつのまにか私の筆箱に入っていたり、一緒に遊んでいたお人形が変な壊れ方をしたり、私のことを叩いた男の子が坂道から落ちてそれなりの怪我をしたこともあったらしい。

 

 当然、私は何もしてない。友達の消しゴムも盗ってないし、お人形も壊してないし、男の子だって突き落としてない。でも……もし万が一、私がやったのだとしたら? そしてその上で、それを忘れているのだとしたら? そんな話を、映画や漫画で見た気がする。人間、自分のことが一番わからない、という話もどこかで聞いた。


 自分のことが急に信用できなくなって、手を引かれるまま連れていかれそうになった時――


「あー、店員さん、ちょいストップ」

 

 どこか気だるそうな声が、私たちふたりを呼び止めた。肩越しに振り返ると、華奢な体格の、目つきの悪い男子が目に入る。


「俺見てましたけど、そいつは盗ってないっすよ。監視カメラとかに映ってないっすか」


 あんまり睨むような顔つきをしているものだから、最初その男子は私を責めているのかと思った。でも違った。その男子は、何故か気が進まない様子の店員さんに、億劫そうな表情のまま、だけど引き下がらず、カメラの映像を確認するよう伝えた。


 根負けして映像の確認に向かおうとする店員さんについていきながら、その男子が私に囁く。


「怯えるなって、どうどうとしてればいいんだ。盗ってないんだろ?」


 よほどはっきり見ていたのか、その男子は私なんかよりもずっと自信がある様子で、私の味方をしてくれた。


 店員さんは機械に疎かったようで、映像確認を渋っていたのはそれが理由だったらしい。その男子は呆れながら「ちょっと借りますよ」と言ってカメラと繋がっているらしいパソコンを操作。録画された映像を巻き戻して見せると、そこでは確かに、店内にいた別の女の子が、私の鞄へ商品を入れていた。私はどうやら、悪質なイタズラの被害にあった、ということらしい。バツが悪そうな様子で店員さんは私のことを許してくれた。


 あっという間に私の無実を証明してしまったその男子は、帰り道が私と同じ方角だった。なんとなく心細かったのもあって、一緒にとぼとぼ歩いて帰っていると、色々な感情がいまさらのように頭の中に湧き上がってきた。


 私が泣いていることに気づいたその男子は、ギョッとした様子で慌て始めた。私たちに声をかけた時はあんなに落ち着いていたのに、あたふたして、「何か悔しかったか」とか「俺はそんなに顔が怖いか」とか訊ねてきて、私は自分も慌ててしまいながら「最近、ダイエットしてて」と答えた。


「き、昨日の夜から何にも食べてなくて、私……お腹空きすぎて、自分でも知らないうちに盗っちゃったのかと思って――」


 私がこんがらがった頭でそんな風に言うと、その男子はしばらくきょとんとした顔を浮かべて、その後思わずといった感じに笑った。


「なんだそれ、阿呆か」


 その男子とはその後学校で再会して、上級生の人だったんだと知った。名前が平桐ということも。それでなんとなく仲良くなって、私は平桐先輩と、よく一緒に帰るようになった。


 先輩は無愛想な人だったけれど面倒見が良くて、優しい人だった。私が困っていると文句を言いながらもなんだかんだ助けてくれるし、何も言わなくても、多分何度も助けてくれていた。


 平桐先輩は、どうしてこんなに私のことがわかるんだろう、と思った。そもそも初めて出会った時に、なんで助けてくれたのかが謎だ。先輩の面倒見の良さはすでに知っていたけれど、それでも私は心の片隅で、半ば以上は自分の願望で、こんな風に思っていた。先輩が私に一目惚れとかしてくれてたらいいな、って。


 色々と話を聞く限り、先輩は恋愛経験はないみたいだったし。一見すると態度が悪そうに見えるから、校内での評判はいまいちみたいだった。友達とかとそういう話になったとき、先輩の名前をあげると、みんなピンと来ないか、意外そうな顔をした。だけど私はそんな風に話をすることで、自分の中の気持ちが明確になっていくのを感じた。私は先輩のことが好きなのだ。その自覚は、私の毎日を淡く光らせた。鮮やかな、天の川でできた道を歩くみたいな、涼やかな道のり。それは優しくて、きらきらとしていて、だから私は、思いがけずそれをゆっくりと歩いてしまった。いま思えば、それが贅沢だったのかもしれない。


 あんまり優しくしてくれるから、先輩も私のことが好きなんだと思っていた。そりゃ、ビンタしちゃったり、迷惑かけちゃったり、普通に喧嘩することだってあったけれど、それでも私たちは――はたから見ればお似合いのふたりだと思っていた。

 

 でもね、それは違っていたんだ。

 全然違う。

 私が思っていたのとは、違った。


 私はね、犬だったんだ。可愛がられて、餌をもらって、遊んでもらって尻尾をふる、ただの愛玩犬。先輩は確かに、私のことが好きだろう。私が嬉しい時は一緒に喜んでくれるだろうし、私が辛い目にあった時は慰めてくれるだろう。でもそれは、恋愛じゃない。恋、じゃない。私の思っていた『好き』じゃ、ない。


 ――どうして?


 私が何かを間違えたから? だとしたら、どうすれば良かった? 先輩はどうしたら私を『好き』になってくれた?


 思いたくない、思いたくない。

 あんなにきらきらとしていた日々の、重箱の隅をつつくような間違い探し。あんなに楽しかったのに、どこかが間違いだったなんて。私の何かが失敗だったなんて。思いたくない、思いたく、ない、のに――。


「嫌だ」


 と、思わず呟いた。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――」


 私は先輩が好きだ。

 その思いはどうしても消えない。

 走っても、泣いても、叫んでも、息を止めても。

 どこまでいっても追いかけてくる。

 まるで後をついてくる、犬みたいに。

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