第八話 - テンカ - 9
キン、コン、カン、コン。
チャイムの音が聞こえて、俺は目を覚ました。
「あ、起きたかい?」
辺りを見回すとそこはどうやら保健室で、白衣を着た保健医が俺に気づいて顔を上げる。
その病的な白い肌とげっそりした顔。なんだか見覚えのある奴だと思ったら、俺のかかりつけ医の
「気分は悪くないか? 目が見えないとか、吐き気がするとか」
俺は首を振った。目は見えている。見えすぎるくらいに。吐き気もない。むしろ久しぶりによく眠った。気分が良いくらいだ。
カーテンの隙間からは夕焼け色の光が入り込んでいる。俺はどれくらい眠っていたのだろう、と壁掛け時計を確認すると、時刻は午後五時だった。そりゃ気分もよくなるはずだ。
「悪いけど、まだ帰らないでくれよ? 担任の先生を呼んでくるから」
そう言って牛田が出ていく。なんだ、大人しいな。余計なことを言わず、仕事だけ済ませて帰っていくとは、性悪の牛田らしくもない。そう思っていたら帰り際。牛田は扉をゆっくりと閉めながらニヤっと底意地の悪そうな笑みを浮かべて、「その絆創膏、似合ってるぞ」と言い放って姿を消した。鏡で確認すると額の絆創膏には汚い文字で『ザコ☆』と書いてあったので、すぐさま剥がして捨てた。二度と来るなボケナス。
やがてやってきた担任教諭は、一通り俺の身体の心配をした後で、何があったのかを俺に聞いた。俺の方が聞きたいくらいだったが、教諭側から見れば順当だろう。俺は素直にごまかした。急にトイレに行きたくなって外に出たら、教室で何か燃やしてる生徒がいたので思わず止めに入っちゃいました、ごめんなさい。教諭は頭を抱えていたが、二分ほど強めのお小言を言われただけですんだ。
「お前に言いたいことはたくさんあるが、おかげで卒業式自体は無事に済んだよ……プライバシーの問題があるから詳しくは言えないが、お前と取っ組み合いしたのは、今年の三年生らしい」
燃え残った制服の刺繍から判明した、と担任教諭は言った。
「クラスで色々あったみたいでな。しばらく学校には来ていなかった生徒だそうだ。そっちの担任には話を通しておいたから、これからじっくり対応することになるだろう。できることなら穏便にすましてやりたいが……」
なるほどな、と俺は思った。
三年生――本来今日、卒業するはずだった生徒。それが誰もいなくなった後の教室で、自分の学生服を燃やしていた。事情を知らない俺だって、彼の学生生活によほどのことがあったのだろうということはわかる。それで彼はわざわざ卒業式の日を狙って放火事件を起こしたのだ。二件も予行演習――ボヤ騒ぎを起こしてまで。
もちろん、どれもこれも許されるような行為じゃない。奇跡的に被害者が出ていないとはいえ、火というのは本人の予想を超えて燃え上がることもある。焼かれて死ぬ人間が最期にどんなことを考えるかなんて、恐ろしくて考えられない。
だが、もしかしたら――と、俺はどうしても考えてしまう。もしかしたら俺だって、下手をしたら彼のようになっていたかも知れない。夜な夜な出歩いて。たったひとりで。やりきれない何かを背負って、人気のない場所に火を付ける。よく似たことをしていた奴がいるではないか。深夜に自転車に乗って街へ繰り出し、好き放題にナイフを振るって、妖怪どもを消して回っていた奴が。
今回の放火犯のことを、俺は詳しく知っているわけではない。だが、奴と俺とで違いがあるとするならば、それはきっと――。
「そうだ、
「あの一年生の子に、きちんとお礼を言っておけよ。お前が体育館を飛び出した後、あの子も一緒になって飛び出して来たんだ。注意して体育館に戻そうとしたんだが、あの子、ガラスの割れる音に気づいたんだよ。お前のことをものすごく心配していた」
そうして担任教諭は、俺に笑顔を向けた。
「友達ができてよかったな、平桐」
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