第八話 - テンカ - 8

 案の定、俺はその姿を見つけた。


 三階フロアの中央。卒業生たちのクラスのひとつ。

 俺は一か八か、教室の扉を思い切り引き開けた。当然のごとく発生する物音。放火犯が弾かれたように振り向く。


 この学校の三年生が使うのと同じ、紺色のジャージ姿。ひょろひょろの手足。右手にジッポーライターを持った、若い男。俺が無自覚に追い回していた、今回の騒動の犯人であるところの放火犯が、教室の中央に佇んでいた。左手に何か持っている。その何かに、火が点いている。その何かを、燃やしている。それは暗い色をした、布――おそらく学生服だろうか? いったい誰の? いや、そんなことはいい。幸い火はまだ大きく燃え上がってはいない。止めるならいまだ。急がねば!


 放火犯はライターと燃え盛る学生服を手にしたまま、驚愕の表情でこちらを見る。時間が止まったような一瞬。


 俺は駆け出した。


 男の体格はそこまで大きくない。無我夢中で、男を突き飛ばす。俺の手が男に触れる直前、炎の熱気がふわりと左半身を包んだような気がした。


「ぐっ!」と、男が呻きながら転がる。俺も男の上へ転がった。平衡感覚がずれて、寝不足の頭がくらくらする。必死で視線を巡らせた。男はライターと火のついた学生服を転んだ拍子に手放していた。俺はすぐさま立ち上がる。まずはライター。火の点いたままのそれを閉じ、教室の前方扉めがけ思い切り投擲した。がしゃん、と音がして、ライターはガラスを突き破り廊下の先へと消えていく。これでこいつはもう放火できない、後は消火だ!


 そう思って振り向こうとした瞬間、


「うわああああああ!」


 雄叫びとともに俺の腰元に放火犯が組みついてきた。

 俺はそのまま前方に倒される。近くにあった机の上に倒れ、額をぶつけた。目の前に火花が散る。


「なんで、なんで邪魔するんだっ!」


 叫びながら男は俺の背中にまとわりつき、駄々っ子のように何度も何度も殴りつけてくる。うるせえし、痛え。俺は体をひねって肘を振った。

「あがっ」と言って、顔面に肘打ちを食らった男は仰向けに倒れる。俺は立ち上がり、燃え上がる学生服を何度も何度も踏んで消火を試みた。だがなかなか火は消えない。液体燃料でも染み込ませてあるのか? 


 くそっ、と歯噛みした俺の背後で、再び男が立ち上がる気配がした。


 咄嗟に振り向く。が、右目に何か入って前がよく見えない。俺の血だ。さっき倒れた拍子に額を切ったのだ。なんとか目を開けようとしたが、今度こそ俺は仰向けに倒されてしまった。男はそのまま俺に馬乗りになり、またもや拳をふるってくる。俺はなんとか腕で防御するが――正直もうギリギリいっぱいだった。眠いし、痛いし、重くて、苦しい。それに、焦っている。学生服の火は、カーテンにでも燃え移りそうな勢いだ。


 どうしようか、どうしようか――……


 とても正常な判断ができそうにない。それで意識が、ふわりと遠のいた。あ、まずい、と直感的に思う。そうして、あと少しで本当に意識が途切れてしまいそうになったその時。


「先生! こっちです、こっち!」


 聞き覚えのある声とともに、バタバタという走るような足音が聞こえた。続いて、がらがらと教室の扉が開く音。男が拳を振るう手を止める。首だけをなんとか持ち上げて確認すると、姿を表したのは我が後輩――相葉あいば八重子やえこと、担任教諭だった。次の瞬間、俺の上に乗っていた重さが掻き消えた。


「君は――、あ、おい、待ちなさい!」

 担任教諭の声を聞きながら天井を見ていると、視界に慌てた様子で八重子が入ってくる。


「先輩! 先輩! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」


 心配したような表情。半分泣いているような、くしゃくしゃの不細工な顔。だがそれを見て、俺はなんだかものすごく、安心したような気持ちになった。何がなんだかわからないが、どうやら助かったらしい。俺は顔をしかめて、息を抜いた。そしてそのまま、目をつむる。


「先輩! どうしたんですか!? 血が……!」

 八重子はキャンキャン騒いでいるが、さすがにそろそろ限界だ。ゆさゆさと身体を揺すってくる八重子に、「すまん八重子」とことわって、俺は一言だけ伝えた。


「悪いが、ちょっとだけ、寝かせといてくれ」

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