第八話 - テンカ - 7

 来た、と俺は息を飲む。とっくに覚悟は決めたつもりだったが、それでも焦った。《天火てんか》はどうやら体育館ではなく、教室棟へ向かって落ちていっているらしい。予想外だが好都合だ。それならアカガネを使うところを他の生徒に見られずに済むだろう。


 俺はその場で立ち上がり、担任教諭に近づいた。

「あの先生」

「ん? なんだ平桐ひらぎり。どうかしたか」

「あ、いえ。俺ちょっと……」

 調子悪くて、と言おうとした時、俺は思わず固まった。

『他の生徒に見られずに済む』……?

 俺の頭の中で、いくつかの情報が結びついていく。


 雪駄せったで扇ぐと逃げる性質がある。

 いつも真上にあるように見えるのに、どこが真下なのかわからない。

 ボヤ騒ぎ。

 一度目は使われていないボロ小屋。

 二度目は誰もいない工事現場。

 どちらも被害者は出ておらず、人家の少ない、人目のない場所。

 いつも決まったように、夕方現れて午前四時ごろに消える。

 そして、かと思えば図ったかのように、卒業式の日に落ちる。 


 俺は再び顔を上げて、落下し始めた《天火》を睨みつけた。

 ――もしや、そういうことなのか……?


「平桐? おい、どした? 平桐?」

 不思議そうに俺の顔を見る担任を他所に、俺は駆け出した。

「あっ、おい、なんだ! どこへ行くんだ!」

 背中にかけられる咎めるような声。構うものか。俺は出口へ向けて走る。何人かの生徒が「えっ」と振り返るが、それも関係ない。急がなければ。これは下手したらボヤどころじゃ済まなくなる可能性もある。


 首を上向けると落ちてきた《天火》が校舎の陰、西側に隠れるところだった。思ったよりも落下が速い。腹が決まったということか? 何にせよ最悪だ。何階に落ちたかまでは見えなかった。仕方なく総当たりすることにする。まず一階。誰もいない。次だ。階段を駆け上がる。二階にもそれらしい奴はいなかった。残すは三階だけ。連日の疲労で息が切れるが、休む暇はない。


 ――不思議に思ったことはあった。


 《天火》の挙動が、どうにものである。

 悪代官の家をわざわざ燃やしたり、人気のないところを選ぶかのようにボヤ騒ぎを起こしたり。出現時間が毎日、ズレはあるものの概ね一致していたり。あげく、雪駄で扇ぐと逃げる。消えるのではなく、逃げる。まるで、放火犯のように。


 だからむしろ、逆なのではないかと俺は考えた。

 《天火》が放火犯のように振る舞って火を点けているのではなく。

 放火犯が火を点けようとする場所に落ちていく怪異が、《天火》なのではないかと。


 そう考えれば、《天火》が雪駄で扇ぐと逃げるという話も頷ける。雪駄とは裏地に金属製の板が取り付けられた履き物だ。歩けばチャリチャリ音が出るし、手に持って扇いでもそれは一緒だろう。


 放火犯は当然、人目を避ける。人の気配を嫌う。チャリチャリと足音高く近づいてくる人間など、まっさきに避けるだろう。そして《天火》が放火犯の頭上に輝く怪異なのであれば、放火犯が逃げていくのに合わせて、《天火》も逃げていくように見えるはずだ。それがどこでどう捻れたり拗れたりしたのか、《天火》は雪駄で扇ぐと逃げる、という話になった。


 そう考えれば《天火》の真下がどこなのか、いくら探してもわからなかったことにだって説明がつく。なんのことはない。俺が《天火》の真下に近づくたびに、《天火》の位置そのものが変わっていたのだ。近づいてくる俺の気配から、放火犯が逃げていくことによって――《天火》の位置も、どんどんズレていっていたのだ。《天火》があまりにも高空にあったから、そのことに俺は気づけなかった。


 もしも、この想像が正しいのであれば――。


 すでに《天火》が落ちてしまっている現状と合わせ、出せる結論はこうだ。 


《天火》が落ちたその場所にはいま、放火犯がいる。

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