第八話 - テンカ - 6

 朝焼けに目を凝らしながら、俺は重いまぶたを擦った。時刻は午前五時。学生服を身につけて、この頃酷使している自転車へまたがる。《アカガネ》を入れたバッグをかごへ放り込んだ。


 なんだってよりによってこのタイミングで、と俺は思う。出来過ぎていて、何か作為があるのではとすら感じる。だが空の《天火てんか》はどこ吹く風だ。俺はペダルを踏み込む。速やかにアレをなんとかしなければならない。


 初めて体験する早朝の登校ルートは、変な感じがした。日差しがあるのに、肌寒くて、誰もいない。俺が知らないうちに人類は滅んだのではないかという錯覚を覚える。それは場違いなくらい清々しい光景で、これほど切羽詰まっていない状況なら、ただの気持ちの良い朝だった。


 学校に到着。バッグを肩にかけ、『卒業式』の看板が設置された門の前で待機する。空の《天火》は家を出た時より高度を下げている。やはり我が校が目標であるようだが、まだ手が届く距離じゃない。このまましばらく待つことにする。できれば他の生徒や教員が来る前に処理してしまいたいのだが……しかしそううまくはいかなかった。《天火》の落ちる速度が、予想より遅かったのだ。


 何十分が経過したのか、さながら牛歩の如く、《天火》はぐずぐずとわだかまっている。見つめる鍋は煮えない、という格言があるが、もしや《天火》は人が見ていると動きが鈍くなるのか? いまさらすぎる着想に、俺は歯噛みした。もっと早く思いついていさえすれば、白神に確認が取れたかも知れないのに。流石にこんな早くに病人に電話をかけるわけにはいかない。


「ふぅ……」と俺はため息を吐く。

 俺は今日で一週間ろくに眠っていない。まぶたがとろけそうだ。身体中がギシギシと軋んでいる気がする。


 さっさと落ちてこい。


 そんなふうに思いながら空を睨むも《天火》はどこ吹く風だ。そのうち警備員がやってきて「早いねぇ」なんて驚きながら門を開けてしまった。まずい状況だ。このままだと《天火》は卒業式の最中に落ちるかもしれない。


 仕方なく教室へ入って窓の外をじっと眺める。椅子に座ると思わず眠ってしまいそうだったが、気合いで耐えた。しばらくすると《天火》が落ちないまま、呑気な顔した生徒たちが到着し始めた。「おはよー」とかけられる挨拶に「おう」とか「ああ」とか答えつつ、俺は貧乏ゆすりを抑えるのに必死だった。平和な顔して集まってくるこいつらは、今日の終わりには焼け死んでいるかもしれないのだ。そんなところは見たくもない。


 結局そのままホームルームが終わり、教室の外にならばせられ、俺は体育館までやってきてしまった。結局白神との連絡も取れず、落ち着かないまま床に腰を下ろす。もしや《天火》は今日中には降り切らないのか? 俺が勝手に宿命めいたものを感じただけで、卒業式では何も起こらないのか? 脳裏にそんな考えが浮かんできた頃、卒業生の入場と同時に――俺はそれを見た。


 先ほどまでのろのろとしていた《天火》が、一瞬ぴたりと動きを止めて、何か決心したかのように、速度をあげて落下し始めたのだ。

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