第八話 - テンカ - 5

「で、現文のテストで『終止符しゅうしふは英語で何と呼ばれるか?』って問題が出ましてですね。私それで間違って『パトリオット』って書いちゃって――」

「なんで地対空ミサイルが出てくんだよ。緊急事態か」

「でも何かを終わらせることはできそうじゃないっすか?」

「そうだな。平和とかそういうのな」

「そうして彼のピアニスト人生にパトリオットが撃たれたのだった……みたいな!」

「迎撃されちゃったな、ピアニスト。かわいそうにな」

 ふふ、と俺は思わず笑う。一個しか歳が変わらないのになんという阿呆さ加減だろうか。白神しらかみとは大違いだな、なんて思うと少し微笑ましい気持ちになる。

「先輩、なんだかんだでこの一年、ありがとうございました」

 ふと、八重子やえこがそんなことを言い出した。俺は再び笑う。

「なんだよ急に、らしくもない」

「年度末ですしね。私もちょっとセンチメートルになったりすることもあるんすよ」

「センチメンタルな、それを言うなら」

「? 何が違うんですか?」

 なんだと……!? と俺は心中で驚愕きょうがくする。

 お前の中ではどっちも似たようなものなのか……? 

「でも、こんなに一緒にいることになるとは思いませんでした。最初に会ったときは」

「最初?」

「ええ。覚えてませんか? ほら、私がコンビニで、万引きしたって疑われて……」

「おー、アレか。あったなそんなん」


 言われてみればそうだった。


 時期は確か、初夏の頃。放課後コンビニへ寄った際に、俺はそれに遭遇そうぐうした。制服の女子が店内にふたりいて、知らない制服を着てる方は帰り、うちの制服を着てる方は万引き犯だと言われて店員に捕まった。その捕まった方が八重子だったわけだ。店員のおっさんは烈火れっかのごとく怒っていて、八重子の鞄からレジを通していない商品(チョコ菓子か何かだった)が出てきたと騒いでいた。そして八重子はろくに反論もできずに青い顔をしていた。

 普段なら近寄りもしない場面だったが、俺は騒動が起こる直前、さっさと帰ってしまった方の女子の腕に《へんなもの》がついているのを見ていた。不審に思った俺はその時初めて、病床の白神を頼って電話をかけたのだ。

 白神から《へんなもの》について教えてもらった俺は、店員と八重子の間に割って入った。

「俺見てましたけど、そいつは盗ってないっすよ。監視カメラとかに映ってないっすか」とかなんとかでまかせ言いながら。

 結果、八重子の鞄に入っていた商品はもう一人の女子が八重子の鞄に入れたのだと判明し、ことは一件落着したのである。しかし八重子はその後もしばらく、ずっと青い顔をしていた。

 帰り道。家の方向が一緒だったので並んで歩いていると、途端、八重子が泣き出した。ギョッとして泡を喰いながらどうしたのかと訊くと、八重子は「最近、ダイエットしてて」と言った。

「だ、ダイエット……?」

 俺が聞き返すと、八重子はこくりと頷く。

「き、昨日の夜から何にも食べてなくて、私……お腹空きすぎて、自分でも知らないうちに盗っちゃったのかと思って――」

 その言い分を聞いた俺は、自分でも珍しいくらい、声を上げて笑った。

 阿呆かお前は、と。

 八重子とは、それ以来の付き合いなのである。


「アレが縁でいまこうして一緒に帰ってるわけですから、なんか不思議な感じがしますね」

「ん、まあな」

 確かに、アレがなかったら俺と八重子どころか、俺と白神だっていまのような関係にはなっていなかったかも知れない。遅かれ早かれという面もあるが、一期一会とも言えるだろう。

「先輩、あの時どうして助けてくれたんですか?」

「ん? あー、そうだな……」

 俺は少しだけ考えて。

 結局理由は、思いつかなかった。

「なんでだろうな」

 八重子は「なんすかそれ」と可笑しそうに笑った。

『どうして助けてくれたんですか?』

 思いがけない質問だったが、考えてみれば不思議かもしれない。俺があのとき八重子を助けたのは、端的にいえばただのお節介だ。俺がなにもせずとも、いずれ事実は明らかになっていただろう。いや、あの件についてはまだ、目の前に明確に被害を被る人間がいた。青ざめた顔した女の子を見て、咄嗟に手を出したのは先輩として間違った行動ではなかったはずである。

 だが、それでは今回の件は? 毎日、どこに落ちるとも知れない《天火てんか》の行方に右往左往し、睡眠時間を削って疲れ果て、あげく対処し切れずにいる。なんでそんな面倒なものに、俺はわざわざ関わっている? 誰に頼まれたわけでもない。誰が困るかもわからない。それなのに何故、俺が骨を折る必要が? こういうことが起こるたびに神経を削っていては、いずれもたなくなることは明白だろうに。

 と、そこまで考えて、急に可笑しくなって俺は、「はぁーあ」とあくびのようなため息をついた。

 まあ、いままで考えてこなかったということは、多分――俺にとってそんなに重要なことではないのだ。どうして助けたのか、なんて、どうでもいい。俺はやりたいようにやってきただけ。もしそこにどうしても理由がいるなら、一種の楽しみとして、誰かさんに聞いてみるのもいいかもしれない。変な顔をされるかも知れないが、その顔だって俺にとっては、見てみたいもののひとつなのだから。


「じゃ、先輩。また明日!」

「おう、またな」


 ――そしてその日、午前四時を過ぎても、朝がやって来ても、《天火》が消えることはなかった。それどころか《天火》は落下し始めていた。《天火》が浮かんでいた場所は、我が校の直上。明日卒業式を迎える、俺たちの高校目掛けて、《天火》は落下していた。

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