第八話 - テンカ - 3

「あんな人前でって、すごいですけど驚きました。話してて感極まっちゃったんすかね?」

 連れ立って校舎を出ながら、俺はうーむと考える。

「そんなとこじゃないか。色恋沙汰なんて、冷静でばかりいられるもんでもないだろ」

「まぁ、それはそうかもっすけど」

 八重子やえこがグッと伸びをする。腹をしまえ、腹を。

「でもああいうの、青春ぽくていいですね。なんで卒業シーズンになると多くなるんでしょう? 区切りが良いからっすかね」

 うーん、と俺は少し考えて。

「卒業生の場合は最後のチャンスだからじゃないか。進学したり就職したりで、バラバラになっちまうかもだしな。一、二年どもは……まあ、最低春夏秋冬一回分くらいは、彼氏彼女の関係でいたかったんだろ」

 すると八重子は目を丸くした。

「……なんだよ」

「いえ、すんません。先輩からそういう風流っぽい言葉が出てくるの、ちょっと意外っていうか……へぇー、先輩そんな風に考えるんだ。ふぅん……」

 何をひとりで納得してんだ、と俺が遠い目をしていると、ざぁっと一際強い風が畦道を駆け抜ける。目を細めた八重子が、小さく「はるいちばん」と呟いた。

「そっか、あと一週間ちょっとで先輩も三年生かぁ……」

 そう言って空を見上げる八重子に釣られて、俺も視線を上向ける。そうしてやがて、『ソレ』の存在に気がついた。


 天を泳ぐ橙色。夕焼けを切り取ったかのようなその怪異――《天火てんか》が、文字通り空に漂っていたのだ。


 ――そして、現在。夜の自室。


 窓の外の《天火》をにらみながら、俺は時計を見やる。時刻は午前三時を回っていた。受話器の向こうの白神しらかみは眠ってしまって、流れてくるのは静かな寝息のみである。お陰様で、一人で見張っているよりだいぶ気は楽だったが、病み上がりで無理をさせてしまった。後で礼を言っておかねばならない。

 白神の呼吸音を聞きながら、俺はその後も《天火》を眺め続けた。

 だがその後、《天火》はとうとうどこにも落ちることなく、朝日にかき消されるように、そのまま姿を消してしまったのである。


 ◆


 明くる日の夜。

『えっ、結局 《天火》って落ちなかったの?』と白神は言った。

『じゃあ平桐ひらぎりくん、あれから寝てないんだ?』

「いや、四時ごろに消えたからその後休んだよ。それで今日、放課後にまた現れた」

『へえ、興味深いね。逢魔ヶ刻おうまがどきに灯るなんて、怪異らしいといえば怪異らしい。法則性とかあるのかな?』

「ん、どうだろうな」と俺は頷く。

『それにしても、午前四時か……』

 唸る白神に俺は声をかける。

「無理して付き合ってくれなくていいからな? まだ病人なんだからよ」

『ああいや、そうじゃなくって……』

「?」

『んん、私昨日、電話したまま寝ちゃったと思うんだけど……その……』

 白神はなんだか言いづらそうにしている。俺は「ああ」と気づいた。

「安心しろ、静かな寝息だったぞ」

『んっ!?』と白神は高い声を出した。

『なんだかものすごく、恥ずかしい話をされた気がするんですけど!?』


 白神とはその後も、何度か電話しながら《天火》の監視をした。

 またある夜の会話はこう。

『ボヤ騒ぎの記事?』

「ああ。地域新聞に載っていた」

 俺は説明する。《天火》が原因と思われるボヤ騒ぎは二件。ひとつは近所の地主が持ってるボロ小屋が燃え、もうひとつは駅向こうの工事現場の幕が燃えたんだとか。どちらも俺が《天火》を目撃した翌日に出された記事だった。

『なるほどね……』と白神。

『小屋の方は清田きよたさんのお宅で、工事現場の方は多分、越してくるご家族の新居が立つところかな? 人家に落ちているってところは共通してるね』

「あ? あー、詳しく知らんが、白神が言うならそうなんだろうな」

『なんで私がわかるのに、現地の平桐くんがわからないのよ』

 それはその通りだ。ぐうの音も出ない。

『ともかく……じゃあやっぱり、今回の《天火》は火を点ける方だったわけだね』

「? 別の《天火》があるのか?」

『うん、いくつかあるよ。落ちると家から病人が出るやつとか、シャンシャン音を鳴らすやつとか、あとは雨の日にきらきらするだけっていうのもあるかな』

 俺は肩を落とした。引きが悪いったらありゃしない。

「綺麗なだけの奴だったら見てみたかったんだがな」と俺が言うと、白神は『そうだね』と頷く。

『私もいつか、見られるなら見てみたいな、平桐くんが視ているのとおんなじ景色が』


 また別の夜の会話はこう。

『平桐くん、なんだか疲れが溜まってきているような声をしていない? 変わったことでもあったの?』

「ん、ああ、すまん大丈夫だ。今日はちょっと体力を使ったんだ。《天火》の真下がどこなのか、気になったんで調べてみた」

 《アカガネ》を入れたバッグを肩に、自転車であちらへこちらへ三時間ほど。それを説明すると、白神は咎めるように言う。

『寝不足での運動は体に悪いよ、平桐くん』

「だよな。いま実感してる。ただ、このままだとジリ貧な気がしてよ」

『んー、それは確かにそうかもだけど……』

 そう言って少し考えるようにする白神。

『それで、《天火》の真下ってどこだったの?』

「ん、それが判然としなくてだな……」

『大体の場所を言ってくれれば、私が絞り込めるかも知れないよ?』

「ああいや、大まかにすら絞りこめないっていうか……どこまで行っても真下に行きつかないのに、途中から、逆にいつでも真上に見えているような気すらして……」

 何と説明したものか考えあぐねていると、白神の方でその先を受け取ってくれた。

『もしかすると、《天火》って想像よりずっと高い位置にあるのかもね。だから、月の真下がどこかわからないのと同じで、《天火》の真下もわからない』

「なるほど、一理あるな」と俺は頷く。

 となるとやっぱ、落ちてくるのを待つしかないか。

『でも、最初の二回は見かけてすぐボヤ騒ぎになったのに、今回だけ間が空くのは不思議だよね。何が違うんだろう……?』


 ◆


 そんなこんなで、俺の寝不足の日々は続き。

 あっという間に一週間が過ぎた。

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