第七話 - ウシロガミ - 5

 めしゃり、と。胸を鷲掴わしづかみにされたような感じがした。

 俺は咄嗟とっさにレジの陰へ身を隠す。


 びっっっくりした。マジか。心臓飛び出るかと思った。

 恐る恐る、物陰から出入り口の様子を伺う。


 白神しらかみは三名の人物を連れていた。ひとりは見覚えがある。白神の父、宗二そうじさんだ。禿げ上がった頭に落ち着いた笑み。その後ろのふたりは見たことがないが、若い方が黒部仁。歳取ってる方がその父親だろう。


 スタッフが白神たちを奥へ案内する。親ふたりは出入り口まで来ただけで、そのまま退店。白神と黒部が奥へ消えるのをレジの陰から見送り、俺は深くため息をつく。落ち着け俺。平常心、平常心。


 状況を整理しよう。

 白神の見合いは今日、このレストランで行われる。それはいい。わかった。で、俺はどうすればいい? 『調子悪いんで勤務中ですけどもう上がりますね。バイバイヤッピー☆』なんて言ったら大江山おおえやまさんは烈火れっかのごとく怒るだろう。八重子やえこにも言ったが社会は厳しいのだ。


 だが白神との対面はできれば避けたい……! 向こうからしても気まずいだろうし、なにより俺はいま、白神にどんな顔をして会えばいいかわからない!


 と、いうことなら方針は明らかだ。

 白神に気取られないよう、バイトをやりきるしかない!


 俺は自ら頬を張った。そろりそろり、綱渡り気分でホールへ戻る。大丈夫だ。業務に集中していれば、あっという間に時間が過ぎてくれるはず!


 そして数分後。


 ダメだった……。


 白神に気取られずにはすんでいる。

 だが、白神に気を取られすぎている。

 目を離すことができないのだ。


 上品なレースのあしらわれた、ドレスを着た白神。その姿はとても……なんというか、興味深かった。スプーンを持つ指先、きらきらと光る瞳、長いまつげと、黒髪の微妙な揺れ具合。白神にまつわるものの全てが、いちいち不思議で、好奇心をそそるのだ。


 いつもの、近況報告の長電話。その向こうで白神はこんな顔をしていたのか。それともまた違った表情を浮かべていたのか。


 想像を巡らせつつ、しかしいま白神が笑顔を向けているのは俺ではない。俺にとっては見ず知らずの男――黒部仁だ。白神にとっては昔よく遊んでくれた親戚のお兄ちゃんだというから、好感度は高いか低いかで言えば前者だろう。会話も弾んでいるようだ。


 俺はその黒部という男に、どうしても視線が向けられなかった。

 大学四年生。いいとこの一人息子。大人と言って差し支えない年齢。俺みたいな無愛想が人間力で勝てる気がしない。これで見た目が全然洗練されていなければまだ心の慰めようもあるが、出入り口でチラッと目に入った感じだと、スマートでイケてる雰囲気だった気がする。お陰でビビって目が向けられない。なんと矮小わいしょうな人間性か。


 だー、くそ。と俺は思う。

 あいつらいったい何の話をしているんだ?

 それを聞くことができたら、少しは安心できるだろうか。


 無意識にそう考えてしまって、俺は肩を落とす。

 安心ってなんだ。それはどっちの場合だ? ふたりの馬が合っているなら、白神の相手が良さそうな奴で安心か? いやいやまさか。その逆だ。

 俺はふたりの会話がぎこちなく表面的で、深いところで繋がれていないのを期待しているのだ。その方がきっと安心なのだ。自分で白神の背中を押したくせに。


 俺が一人で自己嫌悪に陥っていると、

「すいませーん」

 と女性客が手を挙げた。

 例のお一人様。ユニークな髪留めの女の人である。


 おっと、と俺は咄嗟とっさに手を挙げた。同時に「しまった」と内心で毒づく。何故ならその女性客が、白神たちのすぐ近くの席だったからだ。どうして気づかなかった……これでは白神と黒部の会話が耳に入ってしまう。さっきはああ思ったものの、これでは普通に盗み聞きだ。


 チラ、と気まずい思いで視線をやると、女性客はこちらを見ながら俺がやってくるのを待っている。仕方がない。俺は覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る