第七話 - ウシロガミ - 3
「先輩、お待たせしましたー」
そして一週間後の放課後。
校門で待機していた俺に、声をかけてきたのは後輩の
「うおー、あの雲でっけー! にゃははー!」とか言って、規定よりだいぶ短いスカートでぴょんこぴょんこ飛び跳ねる八重子。その姿はザ・阿呆という感じ。俺は苦言を
「おい、八重子。たかが雲の形ではしゃぐなよ。またずっこけても知らんぞ?」
そんな風に声をかけると案の定「ぐあっ!」と声をあげて体勢を崩し、勢いよく
「あれっ!? 先輩!?」
ギョッとして目を見開く八重子。心配そうに手を差し出してくるので、それを掴んで起き上がる。ぱそ、ぱそ、とズボンについた
「ほらな」
「何がっすか!?」
八重子が大声で突っ込んでくる。
「え? ずっこけるっていうのは、先輩が!? 私がはしゃぐと先輩がずっこけるシステム……!?」
「何を言ってんだお前は」
やれやれ、と俺は首を振りながら歩き出す。
「バカ言ってないで、ちゃんと前見て歩け。電柱か何かにぶつかっても知らねえぞ」
言っていると案の定、がつーんと電柱にぶつかった。俺が。体勢を崩して足を引っ掛け、前のめりに転ぶ。勢いが殺しきれず一回転して、そのまま大の字で転がった。
「ほらな」
「何がっすか!?」
本日二度目のやりとりだった。
俺を助け起こしながら、後輩が
「なんかおかしいっすよ先輩! 何度目っすか転ぶの!」
おや、そういえば今朝、登校時も何度か転んだのだったか俺は。
「今日だけじゃないですってば!? ここ一週間くらいずっとこの調子っすよ!?」
む、そうだったか? 八重子は眉を八の字にしている。だが俺は鼻で笑った。
「まあアレだ、心配するな。きっとそういう時期なんだろう。それより、俺がこれだけ転ぶんだからお前も注意しろよ? でないとこの先大変なことに――」
「ちょ、先輩ストップ! ストップ!」
慌てた様子で八重子が俺の口をふさぐ。両手でだ。ふよ、と柔らかな感触が唇に触れた。俺がもごもごと抗議の声をあげると、八重子はハッとした様子で、慌てて両手を引っ込める。
「す、すんません先輩……先輩が何か言ったら実現しちゃいそうでつい……」
八重子はもじもじと視線を逸らす。かなり気をもませてしまっているらしい。俺は反省した。自分ではまともなつもりだが、客観的にそうでないなら、原因はおそらくアレだろう。
何を隠そう、電話で聞いた白神の見合いの、その予定日が今日なのだ。時間までは聞いてないから、いつ始まるのかは知らない。もしかしたらもう終わっているかもしれない。気になって仕方がなかった。
あれ以降一週間、白神から連絡は来ていない。それも手伝って、俺は授業中も上の空、昼飯食べてても上の空、かわいい後輩との会話中も上の空である。この分だとそろそろこのまま空へ飛んでいくんじゃなかろうか。「くっくっくっ」と俺が笑うと、八重子が不気味そうな顔をした。
「先輩、マジでやばいっすよ。バイト休んだ方がいいんじゃないっすか」
「何言ってんだ。熱が出たわけでもねえのに『なんか今日調子悪いんで休みます』なんて社会で通用するわけねえだろ。舐めんなよ?」
「う、いや、ええ……? 変なとこ真面目っすね……。そんなん適当な理由伝えとけばいいじゃないっすか。祖母が
「俺にお婆ちゃんはいない」
「そーゆーことじゃなくて!」
八重子が頭を抱える。
うーん……と数十秒ほど腕組みして考えて、その後こんなことを言い出した。
「それじゃ先輩。……手、繋ぎませんか?」
「あ? 手?」
なんでだと思っていると、慌てた様子で後輩が解説する。
「いや、別に他意はないんすよ? 他意はないんすけど、ほら……前に私が転びまくってた日、先輩が手繋いで私のこと転ばないようにしてくれたじゃないっすか。だからそのお返しっていうか、そういうアレでして……。いかがっすか?」
おずおず、といった調子で後輩が手を差し出す。
どこか緊張したような様子だ。阿呆とはいえこいつも思春期女子。男子と手を繋ぐなどというのは、本当は恥ずかしいのだろう。以前おんぶしてやったときなどは全然恥ずかしがってなかったはずだが、自分のドジで仕方なくならこいつの中ではノーカンなのかもしれない。
「あー、そうだな……」
八重子の手を見ながら俺は少し迷って。
結局、掴まなかった。
「いや、さすがにそこまでしてもらうほどじゃねえよ。大丈夫だ」
「そ、そうっすか……?」
八重子は眉を八の字にして、手を下ろす。その表情を見るに、恥ずかしいとかノーカンとか以前に、本気で心配してくれていたのだろう。悩んでばかりもいられないなこれは。
「悪いな気ぃ使わせて。ありがとよ」
そう言ってぽんぽん頭を叩いてやると、八重子は「うー」と不満げに目を細めた。だが振り払われたりはしない。こいつのお陰で少し、しゃっきりした。引き締めよう。そう心に決めながら、俺はちゃんと相手を思いやれる後輩を、心から賞賛したい気持ちになった。
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