第五話 - ヌラリヒョン - 6

 ――そこは、ランジェリーショップだった。


 姉貴は上機嫌でぐんぐん店内へ進んでいく。俺はその横を着いていく。

「ん、どーしたの、八重子ちゃん?」

 姉貴の言に振り返ると、八重子は店の入り口で立ち止まっていた。まあ、そうなるよな。俺は八重子に近づいて、耳打ちする。

「八重子はそこで待っとけ。この店はさすがにまあ、アレだろ……」

「え、えと……でも……先輩、ここも着いてくんですか……?」

 そう言っておずおずと、伺うような上目遣いで俺を見つめる。

「ん? ああ……」と俺は気づいた。確かに世間一般的に、こういう店に男は入らないものだろう。


「すまん八重子、実は最後にこの店に来るのがうちの常でな。俺も気は進まないんだが、いつものことだからよ……」

 それを聞くと八重子は、一瞬何か言おうとして、何も言わず拳を握りしめた。それを見ていた姉貴が声をかけてくる。

「八重子ちゃん、来ないのぉー? ざんねーん。じゃ、ここは祐士くんとふたりきりですまそっか」

「ぬ、ぐぐ、ぐぐぐぐ……!」

 八重子は歯を食いしばり、かと思うと、


「ぜ、ずぇーんぜん平気っすよ! なんのこともないですっての! やってやろーじゃないっすかァ!」


 と、ずんずん店内へ入っていった。

「は? バカお前、どうする気だよ!」

「先輩は黙っててください! 今度こそ私のかわいさを見せつけてやりますから!」

 八重子は完全に冷静さを失っていた。その辺にある下着をポイポイと籠に放り投げる。姉貴は姉貴で買おうと決めていた下着が既にあるらしく、目当ての物のサイズ違いをいくつか持って試着室へ入った。八重子もそれに続き、姉貴の隣の試着室へ続く。

「おい、八重子。やめとけって!」

「だって先輩あの女の人の下着姿はこの後見るんでしょう!?」

「いや、そりゃ八重子とは関係が違えし……!」

「むむむむむむーッ! 馬鹿にしないでください! 私と先輩の関係でだってこれくらい余裕っすよ!」


 そうこうしているうちに姉貴は下着を身につけ終えたようで、早々に試着室から姿を現す。

「ほーら、どう祐士くん? セクシー?」

「いいんじゃないっすかね」

 どうせ似合うのは知っている。

 しかし姉貴の隣の試着室から、すぽ、と八重子が顔だけ出した。

「うお、八重子……」

 そのまま、むぅ……と唸るようにして、首を曲げ、隣の姉貴の下着姿をまじまじ見る。

「八重子、ほら、やめとけって、な? それにほら、さすがに俺下着の良し悪しとかわかんねえし!」

 しかし八重子は俺の言葉を聞いているのかいないのか、姉貴の方を見ながら徐々に頬を膨らませ、最終的にだばー、と涙を流し始めた。

「げ、おい、八重子? 大丈夫か? 何泣いてんだ?」

「だって、だって勝てないんだもん……勝てる要素が一個もないんだもん……!」

 べそ、と顔をしかめる八重子の瞳から涙がこぼれて試着室のカーテンを濡らす。

 何と言ったものやら、と俺がおろおろしていると、背後から耳馴染みのある声が聞こえた。


「はれ!? 祐士お兄ちゃんじゃないですか。どうしたんです、こんなところで」


 は? と思いながら俺が振り返ると、そこには八重子の弟、相葉歩あいばあゆむくんがいた。女性ものの下着を手に、これから試着室に入ろうとしているらしい。

「は、はーっ!?」

 と八重子が悲鳴を上げた。

「お前こそ何してんのこんなとこで!?」

「え、いや、僕はもちろん自分の下着を買いに来たんですよ。下着売り場なんですから当然でしょう?」

「お前の下着売り場はここじゃねえ!」

「そんなこと言われても、僕このお店のゴールド会員ですし……」

「ま、マジかお前……私でもこんなオシャレなとこ滅多に来ないのに……」

「あっはっはー」と歩くんは笑う。

「まあ、半分は祐士お兄ちゃんやお姉ちゃんの動向が気になったんで、様子を見に来たというのもあるんですけどね。ここで買い物を済ませたら、お姉ちゃんに連絡して合流しようかと思っていたのですが……さて」


 そう言って歩くんは手のひらを上向け、下着姿のままの姉貴を示す。にっこりと貼りつけたような笑みを浮かべ、俺に問うた。


「祐士お兄ちゃん? いったいそちらの方はどなたなのでしょう? 生半ならぬご関係のようですが?」

 うう、と俺は言いよどんだ。

 ついに歩くんにまで説明しなければならなくなってしまったか。今日は八重子にもバレるし、厄日であるとしか言いようがない。

「歩、この女の人は……この女の人は、先輩の……ッ!」

 代わりに答えてくれようとする半泣きの八重子を制し、俺は渋々、自分の言葉で歩くんに白状した。


「察しの通り、俺の姉貴だ」


 ………………。


「――へっ!?」


 八重子が、俺の知る限り史上最大級の、間抜けな声を上げた。




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