第五話 - ヌラリヒョン - 7


「んなぁーんだ! お姉ちゃんさんだったんすか!? さぁーいしょから言ってくださいよ! もう!」


 全ての事情を赤裸々に説明し終わった結果、まだ目の赤い、しかしすっかり泣きやんだ八重子が、そう言って笑いながら俺の背中をばしばし叩いた。


 なんだと思ってたんだ……。

 俺は無言でコーヒーをすする。


 場所は同じモール内の喫茶店。八重子のバイト先は避けた。ちなみに八重子も歩くんも姉貴のおごりで、デカいパンケーキを喰っている。

「八重子ちゃんめっちゃおもしろいね。祐士くんからよっくお話聞いてるよぉー?」

「えっへぇ? マジっすかぁー? もー先輩ってばどうせお家で私の話ばっかりしてるんでしょもー」


 おお、基本的には阿呆エピソードだけどな。


「さっきはごめんねぇ? ほら、祐士くんて言葉が足りないとこあるからさ? 服屋さんでのアレは、八重子ちゃんを心配してたり、かわいいと思ってただけなんだよ? お姉さんにはわかる! だって八重子ちゃんこぉーんなにかわいいもんね♪」

「でっへへへへへー! ありがとうございます! もう、先輩ったらこの阿呆! 誉め下手マン!」


 八重子は姉貴に対してあんなに敵意むき出しだったのに、今ではすっかり打ち解けている。生きやすそうな奴だ。うらやましい。

 ちなみに《将来のために姉貴とデートの予行演習をしている》という件についても思ったより全然いじられなかった。

 むしろ歩くんなんかは、

「ああ、いいんじゃないですか? 女性に対する幻想みたいなのは、早めに捨てといた方がいいと思いますし」

 と、変に納得していた。

 八重子も「珍しいことしてるっすね」とは言ったが、存外バカにはしてこない。これはアレだな、単に牛田の性格が悪かっただけか。ぷぷぷーとほくそ笑む牛田の顔を思い浮かべながら、あのクソ医者め、と俺は改めて思った。


 ということで、今回の話は一件落着。


 一時はどうなることかと思ったが、どうにかなるにはなるものだ。今日は《へんなもの》にも困らされなかったし、終わってみれば総じて平和な一日だったろう。

 八重子のファッションには、今後も口出ししたいとこだけどな。相葉姉弟と姉貴も仲良くなってくれそうだし。

「歩くんお肌すーっごい綺麗だよねぇ♪ 化粧水とか使ってる?」

「あ、はい。そんなにいいやつじゃないですが、結構気は使ってます」

 姉貴は歩くんと盛り上がっている。

 化粧品の話までは流石に俺はできないしな。姉貴としても常々それ系の話がしたかったのだろう。歩くんもそれは同じようで話が弾んでいたが、なんだろう、どうも歯に何か挟まったような顔をする。

「どうした歩くん。多いならパンケーキは無理に食わなくていいんだぞ?」

 それを聞き、八重子が、

「え、歩そのパンケーキもういらないの!?」

 と目を輝かせる。

「いえ、パンケーキは美味しいしありがたく頂きます。ただそう……こんなことを言うと変に思われるかもなのですが……」

「ん? いーよぉー? なんでも言ってくり?」

 姉貴がコケティッシュに首を傾げる。歩くんは「それじゃあ……」と罰が悪そうに笑って、ためらいがちに話し始める。

「祐士お兄ちゃんとお姉さんて、あんまり似てないですよね。どっちがお父さん似とか、そういう感じなんですか?」

「あ? そうか?」

 俺は姉貴の顔を見る。

 まあ、確かにあまり似てるとは言われたことがないが……。

「あたしほら、お化粧してるしねぇ♪」

 と姉貴はピースする。

「なるほど……」と歩くん。

「なんだよ歩くん。なんかおかしいか?」

「いえ、ただ何というか、こないだのお写真にもお姉さんて一枚も写ってませんでしたよね? なんでかなー、って思いまして……」

 お写真? と姉貴が言うので、俺は軽く解説する。

 十年前、仰縁大師の夏祭りの写真に、姉貴が写っていなかったという話だ。

「まあほら、こいつマイペースだから、どっかほっつき歩いてたんだろ?」

「そうですか? ……でも、確か祐士お兄ちゃんのお家って父子家庭なんでしたよね? おふたりはそう歳も離れてなさそうですし、そんなちっちゃい、しかも女の子を、お父さんがマイペースにほっつき歩かせたりしますか? なんかちょっと、変な気がして……」

 すると八重子が「ちょっと、歩!」と噛みつく。

「失礼でしょ! 何が言いたいの!」

「ああいえ、そうですよね、失礼でした。僕もだからどうって言いたいわけじゃないんです。ただ、なんか違和感が……」

 しばらく考えるようにしてから「あっ」と気がついたように歩くんが訊ねる。

「そういえば、お姉さんはお名前はなんと?」

 俺は少し笑う。

 何を言い出すかと思えば。


「言ってなかったか? 姉貴だよ。姉貴は姉貴だ」


「へ?」と素っ頓狂な声を上げる歩くん。

 はて、何が疑問なんだろう。

「え、ちょ、ちょっと待ってください。おかしいですよ? お姉さんのお名前、ですよね?」

「そうだな、まあ……名前ってか、姉貴だよだから。姉貴なんだから姉貴でいいだろ?」

「そうだよ歩。何変なこと言ってんの?」

「え、お、お姉ちゃんまで……どうしちゃったんですか……?」

 何やら顔を青ざめさせ、慌てて席から立ち上がる歩くん。

 しかし、


 ――パチン!


 と。姉貴が突然、両手を打った。

 すると歩くんは、ぱちくり。何度か目を瞬かせる。

「あれ? あ? すみません! いま何の話してたんでしたっけ?」

 歩くんはキョロキョロと辺りを見回して、不思議そうな顔で再び席に着いた。

「化粧水の話だよーぅ?」

 と姉貴が言うと、

「ああ、そうでした! すみません、ちょっとぼうっとしてしまって……」

 にゃはは、とそれを見て八重子が笑う。

「おーい歩、しっかりしなよ! 寝惚けてんの? 本当抜けてるんだから」

「む、お姉ちゃんがそれをいいますか! 姉貴さんと祐士お兄ちゃんの仲を勘違いしてたお姉ちゃんが!」

「それはアンタが変なこと言ったからでしょ!?」


 そうして口喧嘩を始める八重子と歩くん。まったく騒がしい奴らだ。しかし、ふと見ると姉貴は、頬杖をついて上機嫌そうにそれを眺めていた。注文したスイーツ用のフォークを咥えながら、にこにこと微笑む。


「いやー祐士くん、良かったねぇ」

「お? 何がだよ」

「八重子ちゃん、実在してたんだねー。あたし、下手したら祐士くんの妄想なんじゃないかと疑ってたんだー」

「おいおいおい。どういう意味だコラ」

「わーい、こわーい♪ ……でもまあアレだね、祐士くんはお母さんと違って、楽しいお友達がちゃんといるんだねぇ」

 うふふ、と姉貴は笑う。


「また来ようねぇ、《デート》。今度はみんなも一緒に♪」


 わっはっは、と俺も笑った。


「さすがに勘弁してくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る