第五話 - ヌラリヒョン - 4


 何事もあった。


「げ、八重子」

「あ、先輩……? ホントに来た」


 土曜の午後。例のショッピングモールの出入口。館内に入ってすぐの所に、八重子が待ち構えていた。

 ショーパンに帽子にサングラス。隠密行動っぽい服装だ。しかも意外と功を奏している。遠間からでは存在に気付かなかった。

「どうしてここに?」

 にゃはは、と八重子は機嫌良さそうに笑う。

「歩が『祐士お兄ちゃんのあの反応、何か隠してますね。よもや、お忍びデートとかでは!?』とか言い始めたんで来てみたんす! 私はそんなことあるわけないって言ったんですけどね? 先輩モテないし」

 くっ、と俺は頭を抱えた。もちろん後輩の失礼な発言に、ではない。

「……何故場所がここだと?」

 八重子は人差し指を口に当て、

「んっと、『祐士お兄ちゃんの口振りからすると、お姉ちゃんが外出したら偶然出くわすかも知れない場所にいそうですね。おそらくショッピングモールではないかと!』って、それも歩が」

「あいつは探偵か何かか!」

 イェーイ、とピースする歩くんの絵面が脳裏に浮かび、俺は歯噛みした。悪い意味で将来が楽しみである。


「さて!」と八重子は話を区切る。

「先輩、今日はここでおバイトだったんですね。それならそうと言ってくれればよかったのに。冷やかされるのがヤだったんすか? あ、でも、場所が決まったのが最近だったとかもありえるか」

「いや、八重子。あのな?」

 と、そこでようやく、八重子は俺の背後の存在に気づいたらしかった。

「ん、アレ? 先輩、そちらの方は……?」

 と言って、目をまんまるにする。

姉貴は「こんにちはー♪」と首の横で手を振った。

「わ、キレーな人! 先輩の同僚の方っすか? こんちわっす! うほー! こんな美人さんとお仕事なんて、先輩羨ましいっす!」

 すると姉貴がにっこり笑い、

「お仕事じゃあないよ?」

そして「へ?」と八重子が顔に疑問符を浮かべたのも束の間、


「祐士くんは今日、と《デート》なのだ♪」


 と言い放ちやがった。

「げ」と俺は顔から血の気が引く。

「えっとねぇ、将来のための予行演習で……」

「ちょ、言わんでいい! 言わんでいい!」

 俺は慌てて姉貴の口をおさえる。

 もごもごー、となおも喋ろうとする姉貴を尻目に、俺は八重子の方を伺う。八重子は、ぽかん、としていた。放心しているようである。


「せんぱい」と、しばらく間を置いてからやっと口にした後輩に、俺はなんとか「……お、おう」と返す。

「そのと、でーと? しょうらいのための……?」

「う、いや、ちが……、これはそういうんじゃなくてだな……!」

 言いかけつつも、俺は八重子の表情を見て、八重子が全てを悟っただろうことを感じた。同時に、俺をバカにしてぷぷぷと笑う牛田の表情が脳裏に浮かぶ。苦い記憶だ。可能なら皆までは事実を言いたくない……。

 しかし八重子は続きを促すようなことはなく。

「ええ? うっそだぁ……先輩がこんな、ばちくそ綺麗な女の人と、デート? 歩が言った通りってこと? ありえない……だって、そんなん……」

 とかなんとか、ぶつくさと繰り返す。


 その後もたっぷり数十秒、聞き取れるか聞き取れないかという声で何事か呟いていたかと思うと、突然、何か思いついたように顔を上げた。

「ああ!? わかったっ!」

 ずびし、とこちらを指さす。

「先輩、さては騙されてますね!?」

「は?」

 どういうこっちゃ。

「お姉さん、狙いはわかってるっすよ……! この後どうせツボだの絵だの、わけのわからないものを買わせる気でしょう!?」

「……あー、八重子? そりゃ確かに買い物はするが、そういうのを買う予定は今日は――」

「先輩は黙っててください!」

 ぎゃっ、と叫ぶように言って、八重子は宣言する。

「私も行きますッ! 今日は! おふたりに着いて行きますッ! 怪しい狙いがないのなら、文句ありませんよねっ!!?」

「………………」

 い、いや、全然文句だらけなんですが。


 あまりにもあんまりな主張に絶句しながら、俺はおずおずと姉貴の表情を見る。

「ふーん」と姉貴は小首を傾げながら、微笑ましいものを見るような目を八重子に向けていた。そうしてやがて、俺に耳打ちするように確認する。

「あれ、噂に聞く八重子ちゃん?」

「お、おう。そうだけど……」

「んなーるへそ」

 そして姉貴はニッコリ笑顔を浮かべると、八重子に向き直って、


「よっかろーう! ついておいで八重子ちゃん♪」


 とブイサインを出した。

 ふんす、と八重子は鼻息を荒くし。

 駄目だこりゃ、と俺は肩を落とした。

 姉貴が納得しちまったんでは、俺には断りようがない。


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