第四話 - ドドメキ - 5

 さて、そして多少後ろ髪を引かれながらも病室をあとにした俺だったが、完全に帰り道を迷ってしまった。こんなデカい病院は地元にないし、右も左も同じ廊下にしか見えない。リノリウムの床に描かれた案内表記を見ながら歩いていると、トイレの表記があったので立ち寄ることにする。手を洗いながら、鏡に映った自分の眼を見て、俺は「くくく」と思い出し笑いをした。


 今回は本当に焦った。笑えてくるのは安心したせいもあるのだろう。白状し始めたときの白神の狼狽ぶりは、しばらく忘れられそうにない。


 トイレを出て歩いていくと、なんだか見覚えのある道に出た。床の案内表記によれば、このまま出口へ向かおうとすると白神の病室の前を通るはずだ。つまり無駄に道を往復してしまったらしい。


 人が少なくなった廊下を歩き、予想通り白神のいる病室の前を通りかかると、扉が開いていて、中から何やら話し声がした。片方は白神、もう片方は、どうやら俺が病室に来たときにいた看護師さんらしい。俺のことを『コレ』呼ばわりした奴だ。


「で、白神ちゃん。今日はうまくいったの?」

「ええと、はい……うまくはいきました……」と白神。

 するとにわかに看護師が盛り上がる。

「やったじゃない! わー! 嬉しいわねそれは! え、え、どういう風にお願いしたの!? 結構隙がない感じだったわよあの子!」

「あの、あんまりそう囃し立てないでください。我ながら結構恥ずかしいんですから……」

 ん? と俺は首を傾げる。

 うまくいった? お願い? いったい何の話だろうか。

 俺はなんとなく気になって、聞き耳を立ててみる。


 白神は何度か躊躇うように唸ってから、「実は……」と切り出した。

「実は、結局言い出せはしなくて、その、寝顔を少々……。お陰で少し、罪悪感が……」

 すると看護師は「あらま!」と喜色たっぷりの声を発した。

「盗み撮りしたの!? 白神ちゃん、意外と大胆! え、え、見せて見せて!」

「い、嫌です!」

「えー!? いいじゃない、私たちの仲でしょう?」


 ………………。

 あー、なるほどなるほど、と俺はひとりで頷いた。

 つまりあれか。白神は俺の眼を盗んでモナカを二個食べ、その上こっそり俺の寝顔の写真も撮っていて、しかし盗撮に関してはうまくごまかしたと、そういうことか。

 だが、俺の寝顔? そんなもんを写真に撮ってどうする。まさか見舞いに来て眠りこけていたのをだしに、追加のモナカをねだるわけでもあるまい。


「え、え、待ち受けとかにしたらいいじゃないそれ!」

「しませんよ! もう! 持ち場に戻ってください!」

 ふたりの会話はいまだ続いている。

 待ち受け? なんだ、なんかヘンテコな加工でも施したのだろうか? 案外このしばらく後に、額に『肉』とか描かれた俺の寝顔の写真が送られてきて、からかわれたりするのかも知れない。意外に悪戯好きのところもあるんだなあ、白神は。


 ふふ、と俺は薄く笑って、その場から退散することにする。悪だくみ中の女子の間に割って入るほど、俺は無粋じゃないのだ。

 だがまあ、そうだな。もし白神が加工した俺の写真を送りつけてきたら、その時は「知ってたが?」と返してやろう。『平桐くんの眼を盗んでいたってわけ』とか得意になっていた白神に習い、俺もせいぜい得意気に、こう返してやるのだ。


――『壁に耳あり、障子に眼あり』ってな。

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