第四話 - ドドメキ - 4
しばらく考えて「ふぅ」と俺は溜息をついた。
駄目だ、降参。あんまり腹の中で白神を疑いたくない。
観念して俺は白神の手を放し、腹を割ることにする。白神の方が知識もあるし、解釈の幅も広い。もし今回のことが何かの間違いだったなら、それで全て判明するだろう。
「実はな、白神――」と、俺は白神に一連のことを打ち明けた。
白神の手首に、人間のものと思われる《眼》が浮かび上がっていること。俺が眠る前はそんなものはなかったのに、目を覚ますと現れていたこと。その目つきにどこか見覚えがあること。そして、もしもこの《眼》が《百々目鬼》だとしたら、白神が何か盗みを働いたことになるということ。
全てを聞き終えた白神は、「あー……」としばし宙を仰ぎ、やがて小さく
「モナカ……」
と呟いた。
は? と俺は素っ頓狂に反応してしまう。
「モナカ……?」
白神は恥ずかしそうに顔を伏せて、
「モナカ、食べたの。二個……」と言いながら、俺が見舞いに持ってきた、白神が気に入っていたモナカの袋を指さした。
ばら売りの、ひとつひとつが丁寧に個包装されている、一個四百円もするモナカ。不吉な数字を避けるため五個買ってきておいたそれを、白神は二個も喰ったのか。結構なボリュームがあるぞアレ。
俺の反応を見てか、白神は顔を真っ赤にしながらくずかごを指さす。
確認してみるとその中には、確かにモナカの包み紙がふたつ重なっていた。
言葉を失っていると、白神がぱちんと手を合わせ、頭を下げる。
「ごめんなさい、お行儀悪いかとも思ったんだけど、どうしても食べたくて……」
「………………」
なんだ、そんなことかよ。
俺は、笑った。
「く、喰い意地が、張りすぎじゃありませんかね?」
「あ! あー! 笑わないでよ! 仕方ないじゃない、本当に美味しいんだもの!」
ぷんすかとする白神を横目に、俺はしばらく、ひとしきり笑った。しかし落ち着いてから、ちょっとした疑問が沸く。
「ん? でも待てよ? 俺はあのモナカ、お前に渡すつもりで持ってきたんだぞ? 見舞いに持ってきたって、ちゃんと言ったよな? それだったら、盗んだことにはならなくないか?」
すると白神は「それなんだけどね」と解説を始めた。
「そもそも、《百々目鬼》の腕に浮かび上がったとされるのが何故 《鳥の眼》なのかって話になるんだけど、実は《百々目鬼》の腕に浮かび上がっていたのって、似ているだけで《鳥の眼》そのものではないんだよ」
「あ? そうなのか?」
不思議な言い方だ。鳥の目そのものではない?
「うん。《百々目鬼》の腕に浮かび上がっていたのは、盗んだ品物――つまり、当時の《硬貨》なの。五円玉みたいに真ん中に穴が開いているやつで、それがびっしり、盗人の女の腕に浮かんだ。それを遠くから見ていた人が、空目したわけ。『まるで鳥の眼みたいだ』って」
「ははあ、なるほどな」と俺は首肯しかけて、
「ん? いやいや、それじゃ説明になってないぞ。その理屈だったら今回、白神の手には《モナカ》が浮かび上がってなきゃおかしいじゃねえか」
「うふふ、そうだね」と白神は笑う。
いや、確かに『モナカが浮かび上がった手』って変な響きだけども。
くすくすと笑い続けながら、気を取り直すように白神は続けた。
「さっき今回の現象を説明してくれたとき、平桐くん言ってたよね。私の手首に浮かび上がったのは『人間のものと思われる眼』で、しかもその眼には『どこか見覚えがある』って」
「おう、確かに言ったけど……」
「それ、平桐くんの眼だよ、きっと」
あっと思って、俺は思わず白神の手首の眼を見返した。そうだ、確かにこれは俺の眼だ。毎朝顔を洗うたびに、鏡の奥からこちらを見返してくる眼。そうか、どうりで見覚えがあるわけだ。
白神は解説を続ける。
「もらったものだから、モナカはもう私のもの。だから私はモナカを盗んだわけじゃない。腕に浮かび上がったのも、モナカじゃなくて人間の、しかも平桐くんの眼だった。ということは、つまり私は――」
そうして白神は、締めくくるようにこう言ったのだ。
「私は、平桐くんの眼を盗んでいた、ってわけ」
その後、俺たちは面会時間の終わりまでのんびりと会話を楽しんだ。白神の負担にならないうちに帰ろうと思っていたのだが、予想外に盛り上がってしまった。
例のモナカ――腹切モナカは、そんなに美味いんなら食べてみようかとも思ったが、もちろん残りの三つには手をつけないでおいた。人の眼を盗んでまでも白神が食べたいような菓子だ。よほど気に入っているのだろう。何個でも食べてくれ白神。俺は帰りに買っていく。
「じゃ、またちょくちょく来るよ」
「うん、今日はありがとう。楽しかった。でも、無理はしないでね。病院は――《へんなもの》も多いだろうし」
そう言って「ばいばい」と小さく右手を振る。そのパジャマの袖に、自然と目が行った。白神は恥ずかしがってまくった袖を戻してしまったが、恐らくあの《眼》はもう消えているのだろう。
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