第二話 - ドウソジン - 1

 一個下の後輩・相葉八重子が、仰向けになって倒れていた。まあこいつはドジなのでそこまではいつも通りなのだが、今日に限ってはふたつほど、いつも通りじゃないことがあった。


 ひとつ、八重子がメイド服を着ていること。

 正統派のじゃなく、コスプレで使うフリフリミニスカートのやつ。もちろん文化祭とかじゃない。いまは普通の放課後。下校時、それも屋外だ。こんな媚び媚びの格好を八重子がする理由はどこにもない。


 ふたつ。個人的にはこちらの方が大問題なのだが――。

 俺も八重子の上に倒れていた。

 しかもうつ伏せの状態で。


 さっきから左耳になにやら柔らかな感触があり、どくどくと自分のものじゃない心音が聞こえている。かなりまずい状態だ。これでは俺が幼気な後輩のメイド姿に欲情し、襲おうとしたところを拒まれているようにしか見えない。

 俺も早くどきたい。だが八重子の奴が俺の両手首を掴んでいるので動こうにも動けない。


 人は死に際に走馬灯を見るらしいが、アレはいままでの経験から目の前の死を避けうる情報がなかったか、探すために行われる脳の反射なのだそうな。

俺は物理的に死にそうなわけじゃないが、社会的には死ぬかも知れない。なのでここは俺も先人にならい、こうなるまでの――今朝からいまこの瞬間までのことを、思い返してみようと思う。


 ◆


 十二月。田舎でも都会でもない町。

 冬はつとめて、と枕草子に読まれている通り、ずいぶんとさやけた朝だった。いつもより多少寝覚めがよかった俺はスッキリした気分で姉貴に朝食を提供し、余裕というには幾分か余りある時間的猶予を持って、相葉家の玄関前へとやってきた。八重子との待ち合わせのためである。早めに着くのはいつも通りだが今回はさすがに早すぎた。


 吐いた息が吹きすさぶ寒風にかき消される。

 正直寒い。そんでもって、暇だ。白神ならもう起きているだろうか? 携帯を取り出すも、昨夜のトークにまだ既読がついていない。きっと読書でもしていて、そのまま寝こけてしまったのだろう。

 起こすのも悪いと思って携帯をしまい寒さに耐えていると、しかし意外にもすぐにガラガラと玄関が開く音がした。


 八重子かな? 早いな。

 と思ったら出てきたのは別人だった。


「おやおや? 祐士お兄ちゃんじゃないですか。こんなお早くからどうしたんです?」


 相葉八重子の弟、相葉歩くん。こないだ――といってもそれは八か月前だが――入学式だと八重子が言っていたから、いまは中学一年か。こいつはそれにしては背が低く、童顔で、声も高い。女子みたいだ、とここではあえて言っておこう。その特徴を本人が好んでいる節があるからな。いまは学生服――つまり詰襟を着ているが、こいつの私服はだいたい女性ものだ。別にそれをどうこう言うつもりはないし、どうこう言うべきでもないが。


 ともかく。

「よう、早く着きすぎたわ。そっちこそ早えじゃん」

「近頃はずっとこの時間なんですよー。朝お会いするのはお久しぶりですね」

 言われてみれば確かに、ここ最近朝に歩くんと会った記憶がない。俺と八重子の後に登校してるのかと思ってたが、逆だったか。

「朝練?」と俺が訊くと、なっはっは、と歩くんは笑う。

「朝練なんてありませんよ。帰宅部ですからね。そもそも練習というものが存在しません。どちらかといえば、朝活です」

「あ? なんだ、そうなのか。ていうか帰宅部なのかよ。だったら活動ごと存在しないじゃねえか」

「いえいえ、活動はありますよ? 学校が終わったらすぐに帰って、充実した午後を満喫するのです。オシャレしたり、友達と遊んだり、最近は晩御飯の手伝いもしてますよ。昨日はパウンドケーキを作りました」

「ふーん」

 おまえんちでは夕食にパウンドケーキが出るのか。

 俺としてはあまり想像がつかないが。

「ていうか帰宅部の朝活ってなによ?」

「ふふふ、企業秘密ですよー。まあ、ですが大きく言えば、皆さんが幸せになるお手伝い、といったところでしょうか?」

「は?」

 幸せになるお手伝い?

「なにそれ超胡散臭え」

 俺が鼻白むと、

「うーん……まあ、いいんですよ私のことは。どうぞお気になさらず」

 とはぐらかされた。そのまま「それでは!」と言って先に行ってしまう歩くん。その背中に俺は「あ、おい」と声をかける。

「今日くらい三人で行ってもいいんだぞ? 確か途中まで道一緒だろ?」

 すると歩くんは振り向いて、わっはっは、と棒読みで笑った。

「お姉ちゃんと一緒に登校なんて、そんなのいまさらできませんよ。だってそんなことをしたら、祐士お兄ちゃんとお姉ちゃんとの仲を邪魔することになってしまうじゃないですか」

 そしてもう一度振り向いて、背を向けたまま歩いて行く。

「精一杯、楽しく学校へ行ってください! そんなことができるのもあと四百回くらいですよ! 応援してますからねー!」

 なんと嫌な捨て台詞だ。俺は溜息を白く煙らせながら、絶妙に嫌な気分で八重子が出てくるのを待った。


 しかし俺と八重子の仲だ? 邪魔されたからと言ってどうということもなければ、邪魔するようなものとも思えないのだが、いったいどういうつもりで発した台詞だったのだろうか。


 俺はしばらく歩くんの真意を考えていたが、面倒臭くなったのでやめた。

 どすどすという重い足音が聞こえたのは十数分が経過した頃だ。何事かと目を向ければ、八重子の家の陰から身の丈五メートルはある大男が姿を現すところだった。


「は?」と思わず絶句する。


 大男は身体中をワラで編んだようなふさふさした服で覆い、顔は仁王像のようにたくましく、ぎょろっとした大きな目をぎらぎらと光らせている。明らかに普通の人間じゃない。そして

『む?』とこちらに目を留めると、

『おお、こいつだこいつだ』などとこもった声で頷いた。


 超絶嫌な予感。


 すると大男は再びどすどす、意外に素早い動作であっという間に俺の目の前までやってきて、その巨大な手の平で俺の顔にビンタを喰らわせた。

 俺は抵抗もできずその場から弾き飛ばされ、もんどりうって倒れた。一瞬前後不覚におちいる。顔の左側が焼けるようにヒリヒリし、どこかにぶつけたのか後ろ頭もものすごく痛んだ。


 な、なぜ……。

 地面に倒れたまま恨みがましい視線を投げかけると、大男の方は、

『おや? やりすぎたかな?』

 とか一瞬怪訝そうにして、そのままぼやけるように姿を消した。


「…………」


 なんだってんだ畜生。

 あまりのショックに立ち上がれないでいると、相葉家の玄関から後輩が「おっはざーっす! 先輩お待たせしました!」と元気に飛び出してきた。地にうつ伏して五体投地状態の俺を見てギョッとする。

「え、先輩なにやってんすか? 大地の声でも聞いてるんすか?」

 軽く引いている様子の後輩になんとか整合性のある答えを返そうとして、俺は一言「……転んだ」と伝えたが、八重子は引いたまま戻ってこなかった。

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