第一話 - オクリオオカミ - 6
翌日、やむをえず左腕に包帯を巻いて家を出た俺を、八重子が爆笑とともに出迎えた。
「えーっ、先輩なんすかそれ! 邪気眼っすか!? 失われし呪いの力に目覚めでもしちゃったんすか!?」
イラッと来たのでデコピンで攻撃することにする。
額がガラ空きだぞ、バカめ。
昨日怪我したというのに元気だな、と思ったので「お前ちょっと脚見してみろ、脚」と言って止まってもらう。ひとつだけ、どうしても気になっていることがあった。しゃがみ込んでまじまじと見てみるが、昨日はあったはずの『動物の噛み跡のような傷』が、いまやどこにも残っていない。
「ちょ、ちょっと、先輩……?」
「ん?」
しゃがんだまま見上げると、後輩がそわそわ顔で見返してくる。
「あー、なんだ、お前昨日足首痛がってたろ? なんか、傷とかできてなかったっけ?」
「あー、あれっすか? 実は……」
後輩の話によると、昨日『獣の噛み跡』に見えた傷はミサンガが切れた跡だったのだという。いまどきミサンガとは古風な女子高生もあったものだ。クラスで謎の流行を見せたりでもしたのだろうか。
「転んだ時にどっかにひっかけて、切れちゃったみたいなんすよ」
と後輩がいうので、俺は「ふーん」と答えた。
「で、願い事は叶ったのか?」
「へ? 願い事?」
「ミサンガつけてたんだろ? なんか願掛けするもんじゃないのかよ」
ミサンガと言えば、手首か足首に巻いておく紐状のアクセサリーで、何か願掛けをしておくと、ミサンガが自然に切れたときに叶う、という話が一般的だったはずだ。
後輩は言い淀む。
「ああ、お願いごとですか。んー、まあ、ニアミスってとこですかね」
「ふうん?」
この様子だと叶ってはないらしいが、まあニアミスだというなら上々ではないだろうか。よかったな後輩よ。
「――聞かないんすか?」
「は? 何を」
「お願いごとの内容、っすよ」
俺は鼻で笑う。聞くわけがないだろう。見くびってもらっては困る。幼気な後輩女子のお願いごとなんて、聞くほど野暮な男ではない。
そのまましばらく下らない話をしながら、俺たちは校舎までたどり着いた。途中、石橋のところに三人組のおっさんがいて、昨日野犬が出たらしいから気を付けるように、と注意を呼びかけていた。どうやら牛田が青年団に通報しといてくれたらしい。ナイス大人。徒労だけどな。
校舎に入って「それじゃ、また帰りに会いましょうね!」と声をかけてくる後輩へ適当に手を振る。「おう」とか「ああ」とか、いつも通りの返答をしようとして、俺はふと牛田の言葉を思い出した。
『犬に噛まれる夢を見たら、省みた方がいい』
「あー……、そうだ、八重子?」
少し迷って、さっさとその場から立ち去っていこうとする後輩の背を呼び止める。
「えーと、なんだ。また転んで怪我すんなよ」
キンコンカンコンと予鈴がなる。
後輩は、呆けていたかと思うと、次の瞬間にんまりと笑った。
「腕に包帯巻いてる人に言われたくないです!」
そう言って、べっと舌を出す。
「まあそうなるわな」とひとりごちながら、立ち去る後輩を尻目に、俺も自分の教室へ向けて歩き出す。走っている生徒もいるが、ぎりぎり間に合うだろう。教室に入って、席に座る。隣席の同級生は左腕の包帯に興味津々な様子だったが、すぐに教師が入ってきたお陰で追及されることはなかった。
HRを適当に聞き流しながら、俺は思い出す。
八重子の笑っている、その点のような瞳。一般的なそれよりも少し長めの白い犬歯。唇から覗く赤い舌。そして黒い長髪。
ふふ、と。俺は変に納得してしまって、隣席が訝しんでくるのも構わず笑った。
相葉八重子――なるほど、確かに犬っころみたいな奴だ。
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