第一話 - オクリオオカミ - 3
「もしもし。久々のお電話だね、平桐くん」
ワンコールで出た白神の第一声は、そんな感じだった。その声に、色の白い落ち着いた少女の姿が自然に想起される。こいつのことだから、きっと窓辺で本でも読んでいたのだろう。
「よう白神。あー……調子どう?」
しばしの沈黙。
「うーん、本題の前に枕として関係ない雑談を挟むのはあんまり好きじゃないなー。私の体調なんて平桐くんにとってはどうでもいいでしょう?」
「いやいや、そんなことないって。心配心配」
「本当かな。じゃあ一応答えるけれど、しばらく前から君に心配をかけちゃうような状態ではなくなったよ。術後の経過も良好。メールに書いたと思うけど」
「ああ、そうだっけか。そうかそうか。確かそんなこと書いてたっけな」
読んでないけど。
「東京はどうよ。芸能人いる?」
「んー、東京だから芸能人がいる、ってのは間違った認識だと私は思うよ。実際、こっちに来てから一度もそういう類の人に会ったことないもの。人間自体は、とっても多いけどね」
「ふーん、そうなのか」
「あ、やっぱりあんまり興味ないんじゃない。失礼しちゃう」
「だからそんなことないって。声が聴きたかったんだよ」
成績優秀、眉目秀麗、おまけに性格も良いという完全無欠少女だ。立候補制のクラス委員に立候補で入る奴が本当にいるなんて、白神に会うまで俺は思っていなかった。そして自分がクラス投票で副委員長になってしまうなどとも。
基本的に学校での活動全般が面倒臭かった俺は委員としての仕事はほとんどやらなかったのだが、白神に生命の危機(うわー恥ずかしい。一生の不覚だ。命の恩人などという存在がこの世にいるなんて)を救われてからは、手伝わないわけにもいかなくなった。いまは体調を崩して手術のために東京に行っているが、困ったことがあったりすると、俺はちょくちょくこいつに電話をかけている。
というのも、俺には生まれつき、へんなものが見えるのだ。
尻尾の長い空飛ぶエビや、窓を出たり入ったりする顔だけのおっさん、異臭のする紫色の壁などなど、よくわからないへんなものが、俺には見える。
どこかの医者はそれを指して、『無意識に感じたその場の雰囲気や空気のようなものが、イメージとして《見えている》ように感じられてしまっているだけではないか』と仮説していたが、どういう理屈だろうが知ったことじゃない。とにかく見えるし、触れるし、実害が出るのだから仕方がない。
そして白神は、俺が見えている《もの》のことを、膨大な本や伝承を読んで知っている――対処の仕方を、知っている。実は俺の生命の危機というのもまさにそれ関連の事柄なのだが、思い出したくもない話なのでいまは捨ておこう。
閑話休題。
いいから本題に入らない? と言われ、俺は今日あったことを一通り話して聞かせた。
部活の後輩が転んで怪我したこと。
彼女の脚に動物に噛まれたような痣ができたこと。
石橋を調べているとき、獣のような唸り声がしたこと。
「ふうん、なるほどね」
と白神はさして意外でもなさそうに答えた。
「で、平桐くんは一旦、《すねこすり》の可能性を疑ったわけだね。ハンカチを破ったのはそういうことでしょう?」
《すねこすり》というのは岡山発祥の妖怪である。いや、広島だったか? とにかくあっちの方の妖怪で、雨の日に山を歩いていると脚にまとわりついてきて、人を転ばせると言われている。この話は前に白神から聞いたことがあった。いわく、すねこすりは寂しがり屋で、人の匂いのついた布をちぎって投げると、注意を逸らすことができるとかなんとか。
「まあね。だけど、《すねこすり》って人間に害意はないって話だったろ? それならあいつの脚に噛み跡があったのは妙なわけで。なんか別のやつのせいなんじゃねえかなと」
「ふうん、なるほど。うんうんうん、多分推察の通りだと思うよ? 感心感心。ちゃんと考えてるんだね、平桐くんも」
「はは、そらどーも。で、だとすると何だと思うよ? 意見をくれよ白神センセイ」
「先生っていうのやめてよ。変に距離がある感じがするじゃない。そうだな……、多分それ《オクリオオカミ》じゃないかな?」
《オクリオオカミ》――《狼》ね。
また物騒な名前が出てきたもんだ。
「《送り狼》ってーとあれか。大学生とかが酒飲んで酔っぱらった女を、家まで送るよって言ってそのまま乱暴するみたいな」
「うん、現代語的な意味ではそういうのを指すけど、今回のはそれの語源になった方かな。元々はあれも山に出る妖怪だったはずだよ」
「あれ、そうなのか? でもあれは《送り犬》じゃなかったか?」
「そうだね、音の上では《オクリイヌ》とも言う。でも正確には天狗の方の《送り狗》だから結局それはオオカミのことで、両者は同じものなの」
「ほーん。で、それ危険なの?」
「危険と言えば危険かなぁ? 基本的にはただ後ろについてくるだけで無害なんだけど、もしその人が転んだりしちゃうと、突然襲い掛かってくる、って話が一般的だったと思うよ。中には食い殺されるって話もあるけど、対処を誤らなければむしろ他の狼から守ってくれるって話もあるから一概には言えないかな。後輩ちゃんだけじゃなくて平桐くんのところにも出たことを考えたら、今回の場合は人じゃなくて場所――何故だかその橋の前のところに居ついてるみたいだけど、そこを通るときにさえ気を付けておけば大丈夫なんじゃない?」
「ふーん。対処、ね」
「そう、対面して、処置する。まずは転ばないこと。転んでしまったら転んでないフリをすること。あとは履いているものをあげると見逃してくれるって話もあるみたい。それでも駄目なら命乞いも効果的らしいわよ? 聞き分けのある《もの》みたいだから、よほどのことがなければ許してくれるんじゃないかな。あと、こっちから攻撃するのは絶対NG! 怒らせちゃうと大抵いい話にならないから」
「げ、マジか……」
「あ、ちょっと、どうするつもりだったの平桐くん。駄目じゃない面倒くさいからって物騒なことを考えたら」
白神からしばらく注意され、今回の通話は終了。というか俺が途中で切った。後半で俺はなかば強引に物騒な手段におよばないことを誓約させられたが、でもなと思う。
さっきの――《送り狼》の話が本当なら、その脅威は一時的にではなく、継続的に発生することになる。我が愛すべき阿呆後輩に対処法を教えるのは簡単だが、その必然性をどう説明しろというのか。変に思われる可能性は充分あるし、八重子のやつが適当に考えて対処をおこたるかも知れない。それに八重子以外の人間に被害が出たらどうする。あの橋の前に「注意! 転ぶべからず! 転んでしまったら命乞いすべし!」と書いた看板でも立てておくのか?
そんな面倒なことをするくらいなら――いっそ退治してしまう方が、楽ではないか。
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