ロイ視点

第7話 ロイの希望

「うえっ……ゲホッ…コホッ」

「あーあ、きったねえなあ。自分で片せよ?」


 声が聞こえる。まだ子供の幼いうめき声と、それを楽しむ男の声。


「ほら、さっさと片せって」


 男は、倒れるロイの頭をグリグリと踏みつけ、嘲笑いながらそう言った。


(……そうは言われても、頭踏まれてちゃ動くに動けないんだけどなぁ)


 痛みはとうに麻痺しているため、そう冷静に冷めた頭で考えた。


 今日は待ちに待った、レイと会う日。


(また、レイに心配かけちゃうな……)


 レイはロイが怪我をして行くたび、毎回泣きそうになって治療するのだ。

 そこまで泣くなら見なければいい、治療は自分でするのにと思うのだけれど、それでもレイは頑としてレイがいるときのロイの治療を譲らない。


「……おい、何考えてる?」


 いつの間にか止んでいた暴行に不思議に思うと、頭の上から声が降ってきた。


 顔を上げ部屋を見回すがもうあの男はおらず、部屋にはロイと新たに来た男が一人いるのみ。いつもすきを見ては来てくれる、ここで唯一ロイを気にかけてくれる男だった。


「……ノルさん、来てたの?」


 男・ノルは少し呆れた顔をしながらも、淡々とさっき踏みつけられてできた顔の傷の治療をしていく。


 ノルはふらっとここに来てはロイの治療をしてくれるが、ノルが来るようになったのはここ数ヶ月のことだった。それまではレイと会うまでろくに治療を受けたことがなく、まだ母と暮らしていた頃は世間体もあって薬や医者を用意してくれていたが、金を惜しんだか何かで、それも酷い粗悪品だった。


 ノルは確かにロイを気にかけてくれてはいるが、決してロイの味方ではない。同時に、敵というわけでもないが。

 だからロイのために怒ることもないし、笑うこともない。ただ、気になるだけ。大概、スラムやここらに住む人たちは自分のことしか考えていない。良く言ってマイペース、悪く言って自分勝手。ノルもただ、自分の興味が赴くままにロイの治療をしているのだ。


「ありがとう、ノルさん」


 それでも、レイ以外に治療をしてくれる人がいないロイには、それはとても有り難いものだった。


 治療が終わり少ししてノルは帰って行った。


 またこの家に一人だ。


 くたりと無気力に、ロイは壁を背に座り込んだ。



   ◆  ◆  ◆



「レイ」


 ロイに背を向け、ロイが来るのを今か今かと待って揺れているその背に、ロイは声をかけた。


「ロイ!!」


 レイはパッと顔を華やがせて、振り返ってロイへと飛びついた。


 ロイよりもひとつ年下のこの少女は、世間で有名な商会・ルクフォード商会の一人娘で、片親の、それもその親が下級娼婦で、限りなくスラム街の人と近いロイとは大違いで相応しくない。

 レイとロイ、それはどちらも分かっている。だがそれでも、二人はこの時間を繰り返し、紡いできた。


 何より、レイはロイの希望だった。

 このどうしようもなく汚く醜い世界、誰も助けてくれなどしない世界。それがレイと出会う前のロイにとっての認識だった。


「?ロイ、どうしたの?」

「……ううん、なんでもない」


 それでも、レイがいたことで、この世界が色付いた。どうしようもないこの世界が、醜いけれど、それでも美しく綺麗な、仕方のない世界へと変わったのだ。それだけ、レイはロイにとって大きな存在となった。

 今ではレイは、ロイが生きるには欠かせない、たったひとつの希望となってしまった。希望がなかった頃には戻れない。


「本当にレイの薬は凄いね」


 いつも塗ってもらう薬は、全てレイが調合し作ったもの。ロイの体は色々とあり薬、魔法が効きづらくなってしまったが、レイの調合する薬だけはよく効く。

 それがロイにはとても嬉しく、そして申し訳なかった。


「ふふっ、だって私の作った薬だもの。当たり前でしょ」


 自慢げに胸を張り語るレイは、誇らしそうでとても可愛い。


 ロイは自分とほぼ変わらない高さにある頭を、右手で優しく撫でた。


「うん。いつもありがとう、僕のために作ってくれて」

「ええ!」


 ロイにとってのレイは、たったひとつの、なくしたくないものだった。



   ◆  ◆  ◆



 それから五日経ち。今日もまた、ロイは暴行を受ける。


 今日やって来たのは、隣の家に住む博打好きの男だった。


「なんでっ、俺がっ、怒られなきゃなんねーんだよ!!」


 いつものように憂さ晴らしをする男に、ロイは無言で耐えていた。


 男はロイを蹴ったり踏んづけたりするが、毎日のように繰り返される暴行のおかげで、相変わらず痛みを感じることはなかった。


 ロイを殴る奴らは、基本ロイに憂さ晴らしを求めているのであって苦痛の表情や苦悶の表情を見たいわけではないので、普段はそんな表情や声をあげようものならより酷い目に合わされる。自分が悪いことでもやっている気になってくるからだろう。だが。


「……おい、何黙ってやがる」


 どうやら今回は違ったようだ。


 たまにこういったことがある。人の、ロイの苦悶の表情や苦痛に溢れた声を聞きたがる、そういったときが。


 だが、ロイは別に痛くないし、多少苦しくは感じるが声が漏れるほどでもない。


 いくら蹴っても反応がないことに苛立ったのか、男が部屋の物にあたり始めた。

 テーブルの足を思いっきり蹴られ、置いてあったナイフや木の皿達が床へと落ちる。


「……」


 ロイはそれをどこか冷めた目が見ながら、上半身を起こした。


「……あぁ、そうだ」


 ふと、ロイに背を向けていた男が何かを思い出したかのように振り返り、ニタリと嗤った。


「俺さぁ、見ちまったんだわ」

「?」


 普段は自分に話しかけない男に戸惑いながらも、ロイは落ちたカラトリー等を片していく。


「一週間ほど前のことだ。昼過ぎに、外でお前を見かけてよ。コソコソとまではいかないまでも、隠れるようにしてお前はどこかに向かっているようでな」


 男が話していることに思い当たり、ロイはサッと顔を青褪めた。


「街の外に出て森へ入ったところで見失っちまったが、こいつは何かあると思ったわけよ。

 それから森の前で見張ってたんだが、結局お前は一人で出てきただけだった。

 そして今から5日前、また同じ場所でコソコソ森へ行くのを見つけた。同じ場所でまた見失って、仕方なくまた張り込んでいたら、そしたらまあ、あのルクフォード商会の一人娘がやって来てよ。しかもお前と同じようにコソコソと隠れながらな。そしてお前と同じようにして同じ場所で見失った」


(本当に見られたんだ……)


「なあ、おい、偶然とするには、出来過ぎじゃねーか?普通だったら偶然だと思うさ。でもよ、あんな普通は行かないような場所で、同じようにしてまかれたんだぜ?可笑しすぎんだろ」


 男はギロリとロイを睨みつけながら、真っ青に青褪めたロイの表情に愉悦を浮かべた。


 手に持っていたカラトリーが、ロイの手と共にかすかに震えた。


 レイと過ごす時間が、何より大切で、レイはロイの希望だったから。

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