第16話 牛丸先生はタバコが吸いたい

「えっ? 天文部を辞める?」


 何気なくニ限の休み時間にトイレに行くと、連れションしに来たケンちゃんから寝耳に水の話を聞かされた。


「まだ確定じゃないけどな」


 確定じゃないとはいえ聞き捨てならない発言だった。


 サボり魔とはいえ、ケンちゃんも部員の頭数にカウントされているから。今ケンちゃんに抜けられるのは困る。


「なんでまた急に?」

「なんつーの? オレにも夢中になれるもんが見つかったんだよ」

「ああ、この前言ってたやつ?」

「そっ。オレの直感が言ってるんだよ。この夏はバスケに全てをかけろってな」

「…………」


 頭の中で俺のニュータイプ的な直感がキラリと閃いた。


「……女の子がらみでしょ?」


 俺がそう言うとケンちゃんはブフッと息を吹き出した。


「バッ、ちげーよ。たまには『らしくない事』をやろーって思っただけだ。なんつーの? 記念とか思い出作りだよ」

「えー、ケンちゃんが頑張る時ってだいたい女の子がらみだったじゃん。中学の時とか特に」

「だからマジで違うって」


 本人は否定しているけど長年の経験から忖度するとむしろ必死に否定するからこそ確信が持てるわけで。


「まぁ、理由は置いといても今ケンちゃんに抜けられるのは正直言って困るかな。ただでさえ人数不足だから」

「ああ、だから抜けるのは様子見してからだな。それでも放課後は多分ほとんど顔出せないと思うわ。今日から朝練にも参加してるから」

「朝いなかったのって朝練してたからなんだ?」

「おう。今回はガチだからな」

「ふーん。そっか」


 無理に引き止めるのも悪い気がした。

 友達なら背中を押してあげるべきだろう。

 こっちはまだ猶予があるし、ケンちゃんにはバスケに専念して欲しいから。


「こっちはこっちで何とかするからケンちゃんはバスケ部に専念してよ」

「……良いのか?」

「うん。俺もケンちゃんの恋愛を応援したいし」

「だからちげーって!」


 ケンちゃんの意中の相手が気になるけど、それ以上は追及しないで退部の件は俺の中で留めておく──つもりだった。


 ケンちゃんが不穏な事を口走るまでは。


「で、悪いんだけど……利苑の方から日向子にこの事を伝えて欲しいんだけど」

「それは無理」

「拒否るの早くねーか!」

「やだよ。だって絶対キレるもん」

「大丈夫だって。お前相手なら実質的にキレてないから」

「何その謎理論。俺はやらないよ」

「頼む利苑。お前だけが頼りなんだ」

「ええ……」


 そんなことがあって。


「……って言う事なんだけど」


 昼休みになりケンちゃん退部の件を恐る恐る日向子に話したら意外な反応が返ってきた。


「あっそ。いいんじゃないの?」


 素っ気ない返事で了承する日向子。どうやらこの妹は本気で兄に興味がないらしい。


 そんなんでいいのか二人の兄妹仲は。


「一応確認するけど頭数が一人減るんだぞ? お前はそれで良いのか?」

「ん? その分は利苑が何とかするんでしょ?」

「まぁ、確かにそうだけど……」

「利苑が了承したんならあたしがとやかく言う必要ないでしょ?」


 ポツリと気恥ずかしい感じで日向子は言う。


「もとから宙ぶらりんなのが気に入らなかったのよ。健司郎って不器用なくせにあれこれやるし、むしろ退部してせいせいしたわ」

「…………」


 今の言動を長年の経験で忖度すると日向子もケンちゃんはバスケに専念して欲しいと思っていたのだろう。

 なんだ家族愛あるじゃないか。


「……珍しいな、お前がケンちゃんに対して甘いこと言うなんて」

「はぁ? どこをどう捉えたらそうなるのよ? そんなんじゃないから!」

「図星突かれるとムキになって否定するところがそっくりだよな。流石は双子」

「やめて、健司郎とあたしを一緒にしないで!」


 キャンキャン吠える日向子を尻目に昼飯の惣菜パンを食べているとガラリと地学準備室の扉を開く白衣の女教師が目に入った。


「ちょっと邪魔するぞ」


 牛丸先生は一言断りを入れてスタスタと部屋の窓際に行き窓を開いた。


「またタバコ吸いに来たんですか?」


 牛丸先生の背中に声を掛けると「そうだよ」と短い返事がきた。


「最近は何かと分煙、分煙とうるさくてな。おちおち自分のデスクでもタバコが吸えないんだ」

「そうなんですか?」

「ああ、法律で学校を含む屋内の施設は禁煙になったんだ。おかげでパチンコ屋もわざわざ喫煙ルームに行かないと吸えなくなったんだ。まったく喫煙者には世知辛い世の中になったよ」

「いや、ここも屋内なんですけど?」

「わざわざ屋上に行けと?」

「……………いえ」


 これ以上突っ込むと面倒になりそうだったので俺は紫煙を窓に向かって吐き出す牛丸先生の背中から目を逸らした。


 この先生、この勤務態度でよく解雇クビにならないよな。何か権力的な物でも持ってるのかな?


「部員集めの方はどうだ? 首尾よくやっているか? ああ、失礼。野暮な質問だったな」


 クスリと不敵に笑う牛丸先生。

 言葉の裏に悪意しか感じられない質問だった。


 今日も牛丸先生のお腹の中は真っ黒だった。きっと中身にタールでも詰まってるんだろう。


「あたしも色々と勧誘してるんですけど全然ですねー。ほら、文化系の部活って地味ですから」


 牛丸先生の質問に対して日向子は律儀に答える。どうやら先生の嫌味が日向子には通じなかったらしい。


「特に天文部なんて日中はやること無いですし。イベント的な活動はだいたい日にちが決まってますから基本的に暇なんですよ。実際問題の話」

「そもそも顧問がアレだしな」

「何か言ったか?」

「いえ、何も」


 殺気めいた不穏な空気を感じてゾワゾワと身体に悪寒が走る。風邪だろうか、違うよな。


 不満を口に出すと災いしか起こらないので俺は口を慎む事にした。


「体験入部ついでにレクリエーションを行うのも一つの勧誘手段だと思うぞ?」


 牛丸先生が提示した勧誘方法はある意味では妙案だったのかもしれない。


「レクリエーションですか?」

「そうだ。例えば……に対して実際に終夜観測を体験してもらう、とかな」


 先生は日向子との会話の最中で俺に意味深な視線を向けた。


 その忖度レベルがベリーハードの視線を深読みすると「案を出してやったから代わりにお前が取り仕切れ」と先生は言いたいのだろう。


「そうだな。今日の『放課後』にでも希望者を募ると良いだろう。許可は私が取るから君たちは終夜観測の段取りを組んでくれたまえ」

「放課後ですか? 随分と急ですね」

「なに、善は急げさ」

「まぁ、良いですけど。希望者が集まる保証は無いですよ?」

「それはおそらく問題ない」

「はぁ、そうですか」


 俺が会話に介入しなかったせいで今後の予定がどんどん決まっていく。

 この先生何してくれてるんだ。

 今日の放課後は俺の人生で一番のビッグイベントが控えているのに!


「……ん? どうしたの利苑。あんた何か妙にソワソワしてない?」

「いや、なんでもないぞ?」

「そう?」


 心臓に悪い日向子の質問のせいで背中から変な汗が噴き出てきそうな気分だった。


「放課後になったら私も部活に顔を出すから準備は任せたぞ。なぁ、『副部長』?」


 俺の肩をポンと叩き牛丸先生は地学準備室から出て行った。


「…………」


 これは大変な事になってきたぞ。

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オオカミさんは君にしか懐かない。 くぼたな @kubotu

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