第三章 ディス・コミニケーション

第15話 有馬さん、キャラ崩れてる、崩れてる

 翌朝になると緊急兄妹会議の効果が多少はあったらしく、莉奈は時間通りにちゃんと一人で起床した。


「にぃ、おはよう」

「おはよう。やれば出来るじゃないか」

「うん。あのね、莉奈すごーく頑張ったから、ご褒美にいい子いい子して?」

「…………」


 すごーく頑張らないと一人で起きられない妹の将来に不安しかない。服は着崩れしてるし、髪はボサボサだし、この妹は着替えすら真面にできないのか。


「にぃ、お願い。いい子いい子、して?」


 頭を撫でて欲しい子犬みたいに小さい頭をこちらに傾ける莉奈。


 色々と思う所はあるけど、一歩前進したと思えばご褒美の一つでも与えてやるのが兄としての正しい役割だよな。


「えらいぞ莉奈。その調子でずっと良い子でいてくれよ」

「えへへ。にぃの手くすぐったい」


 目を細めて心底嬉しそうな妹を見ると、やっぱり莉奈はまだ小さい子供なんだと思った。


 閑話休題。


 妹の世話を焼かなければ朝の時間に余裕が出来るので、今日の登校はいつもより早めの時間に通学出来た。


「うっわ珍し。利苑が時間に余裕持って登校するなんて。これは明日らへん空から雪が降るんじゃないかしら」


 通学路で鉢合わせになった日向子が目を丸くしてそう言った。


「開口一番がそれかよ。挨拶はどうした。親しき仲にも礼儀ありじゃなかったのか?」

「いやーごめん。あんまり珍しいからビックリしちゃって。おはよ」

「おはよう。あれ? ケンちゃんは?」

「んー? 知らない」

「知らないって。家一緒だろ」

「んー。あたし基本的に健司郎に興味ないし」

「お前、それでも妹か」


 犬伏家のパワーバランスが女性陣に傾いているのは前々から何となく感じていたけど。


 いくらなんでもケンちゃんのあつかいぞんざいすぎない? 可哀想なんだけど。


「そういえばさ、利苑って高校だと割と“ぼっち”よね。あたしと健司郎以外に友達いないの?」

 

 ガリガリと。遠慮のない率直な質問が俺の繊細なハートを深くえぐった。

 気にしている事をサラッと言うなよ。


「……いや、なんつーの? 俺って友達は量より質のタイプだから。フォロワーも厳選するタイプだし?」

「はい、利苑から友達いなくて悔しい時に言っちゃう常套句をいただきました。何か一言お願いしまーす」

「すごく悔しいです……」


 特にその「にひひー」って人をからかうのが心底楽しそうなニヤケ面を見ると悔しさが割増で込み上げてくる。


 俺って誰とでも仲良くなれるキャラじゃないし。ゲームやSNSと一緒で無理して合わない人と付き合いするくらいならソロプレイで楽しむ方が断然に気楽だから。


 人付き合いまで面倒臭いのはごめんだ。見える地雷には極力触りたくない。


 現実でもミュートとブロックの機能は必要だと思う。


 人見知りでもコミュ障でもないけど、この無精な性格は人として問題があるんだろうな。


「俺の目線で言えば日向子もケンちゃんも良くやるよ。友達が多いと何かと大変じゃないか?」

「……うん。大変」


 フッと。ほんの一瞬だけ、日向子の表情がくもった。


「……どうした? やっぱ何かあったのか?」

「ん? ベーつに。何にもないけど?」

「……そうか?」

「そうよ。もう『それ』は割り切ったから」

「割り切った? 何を?」

「あたし、利苑のそういうところ。ちょっとうらやましいな」


 日向子との会話が急に噛み合わなくなった。噛み合わないというより、どちらかというと追及を避ける感じの言動だった。


「日向子、お前──」

「あっ。向こうにクラスの子達がいるから、あたしもう行くね」


 A組の女子と思わしき集団を見付けた日向子は「じゃあ、またね」と言って女子の群れに溶け込んでいく。


「……友達多い奴は大変だな」


 笑顔を見せながらクラスメートと喋る日向子を遠目に眺めながら俺は「あれは真似できねーわ」と呟いた。


☆ ☆ ☆


 生徒玄関に着いて下駄箱のドアを開くと、内履きの上に小洒落た手紙が乗っていた。


 その手紙はいかにも女子が書いたという感じで、俺にあらぬ想像をさせるほど華やかで可愛い感じのデザインだった。


「…………」


 下駄箱をそっと閉じて、開けた場所が自分の下駄箱かどうかを確認する。

 二年B組の五番。

 間違いなく俺の下駄箱だった。


「…………っ」


 淡い期待にドキドキと心臓が鼓動した。

 落ち着け。誰かと間違えた可能性だってあるだろ。

 ガチャっと下駄箱を開いて、いかにも恋文ラブレターの様な手紙を手に取り片手で靴を履き替える。

 この手のパターンって宛名が書いてなかったり──。


 織原利苑様へ。


 ポールペンで書かれた綺麗な文字だった。字は人の性格を表すというけど、この短い文字列からは言いようのない『真剣さ』がひしひしと伝わってきた。


「……ついに俺にも春が来たか」


 ジーンと。

 あまりの出来事に感動してしまった。

 自分で言うのも何だけど、モテるモテないの二択ならモテない側の方を迷わず選ぶくらいに俺という人間は自己評価が低い。

 自分に自信が持てない男はモテないから。

 それにしても、この恋文を書いた人は俺みたいな人間のどこにかれたのだろう。


 是非とも会ってその事を本人の口から聞いてみたい。


 いや待て。悪戯の可能性もあるだろ。


 先ずは中身の確認が先だよな。ネット社会のご時世に、こんなベタな手段で告白するなんて……いくらなんでもアナログが過ぎる。何かの罠の可能性が高いんじゃないか?


 とりあえず、人目のない場所に移動してから中身を確認しよう。

 そう思って生徒玄関を離れた瞬間だった。


「織原くん、おはようございます」


 ギョッと。変な声が出そうになった。


 何の気配も感じない状況から唐突に声をかけられて俺の身体は鳥肌が立つくらい震え上がった。


 後ろを向けば……そこには長い黒髪にお高そうな黒いレース生地のリボンを飾った、いかにも育ちの良さそうなお嬢様オーラを放つ女子生徒がいた。


「今日は時間に余裕を持って登校したんですね。織原くんにしては珍しいですが、良い心掛けだと思います」


 ツカツカと漆黒のタイツが俺のすぐ側まで歩み寄って来た。


「お、おはよう。有馬さん……」


 予期せぬ事態の連続にあたふたと慌てる俺はとっさに持っていたラブレターをポケットにしまった。


「ん? 今、何か隠しませんでしたか?」


 訝しむ表情で俺のポケットを見やる有馬さん。

 不味い、有馬さんにバレると後が面倒臭い。不純異性交遊とか言って吊し上げられるのが目に見えている。


「き、気のせいじゃないかな?」

「そうですか?」

「そう。何もやましい事はないから」

「…………」


 ジトーっと俺の顔を見る有馬さん。完全に怪しまれている感じの眼差しだった。


 ここは速やかに退散した方が良さそうだ。


「じ、じゃあ、俺はこれで」

「っ!? 待って下さい!」


 ガシッと引き寄せる様に、細い腕が俺の腕に絡みついた。

 絡みついたというより腕を曲げられ関節をめられていた。

 その勢いでほどよい大きさの胸が俺のひじにムニっと控えめな感じで当たっている。


 事故とはいえ、一瞬でもラッキーだと思った自分が憎い。見境がないというか、女なら誰でもいいのだろうか。


「なんで私から逃げるんですか!」


 俺に詰め寄る有馬さんはキーキーと金属音めいた声を上げる。


「どうして君はいつもいつも迷惑そうな顔で私を邪険に扱うんですか! 私が何か悪いことでもしましたか! してないですよね!」


 現在進行形で関節技を極められてます……とは言えなかった。


「いや、そんな事はないよ。迷惑じゃないけど……」

「けど? けどって何ですか? 違うなら逃げないで下さいよ!」

「逃げてるわけじゃなくて。避け──」


 ハッと自分の失言に気付いて口を閉じた。


「君って本当に意地悪ですよね!」


 駄々をこねる小さな子供みたいに俺に当たり散らす有馬さん。普段の清楚なイメージとは真逆のはしゃぎ様だった。


「私が話しかけると嫌な顔するし、昨日の“約束”だってボイコットするし、私をいじめて楽しいですか!」

「……約束?」

「ほら、やっぱり忘れてる! 昨日の朝に約束したじゃないですか! 放課後に図書室で勉強するって!」

「あ、ああ……ごめん」

「ごめんじゃないですよ! 私がどれだけ君を待っていたか知ってますか? 昨日は完全下校時刻になるまで待っていたんですよ!?」

「…………っ」


 ちゃんと話を聞いてなかったせいで約束の事をすっかり忘れていた。


 約束を忘れていた事に関しては申し訳ないと思うけど……謝る以外にこの場を収める方法がない。


 相手が有馬さんじゃなければ埋め合わせの一つでも約束するんだけど。有馬さんだしなぁ。

 正直言って面倒くささしかない。

 というか、周りの生徒がめっちゃこっち見てるんだけど。

 優等生が大声で叱責しっせきするシーンなんて今時見ないから珍しいんだろうなぁ。

 変な噂を立てられなければいいんだけど。

 とりあえず有馬さんを落ちつかせるか。


「有馬さん。とりあえず落ち着いて」

「落ち着いて? なんでそんなに冷静なんですか! 私はこんなにも君に心をかき乱されているのに! 不公平です!」

「うん。だから落ち着いて欲しいんだけど……」


 火に油。なだめたつもりの行為が余計に怒りを増長させたらしく、顔を真っ赤にした有馬さんは強硬手段に出た。


「もう怒りました! ちょっと向こうでお話ししましょう! それはもうじっくりと!」

「えっ、今はちょっと時間が……」

「大丈夫です! 昨日よりいっぱい、いーっぱいありますのでっ!」


 腕を拘束したままグイグイと引っ張るもんだから、身体が密着してほどよいサイズの胸がガッツリと俺の腕に当たっていた。

 微妙な圧迫感と距離の近さが凄く気不味い。

 しかし、それを指摘すると大変なことになるので俺は黙って有馬さんに追従した。


「ここにしましょう」


 有馬さんも多少は人目を気にしていたらしく、連れてこられた場所は本校舎から離れた特別練にある非常用階段の下だった。


「では、そこに立って下さい」


 壁にもたれかかる有馬さんを見て率直な疑問が口から漏れた。


「いいけど……なんで有馬さんが壁際なのかな? あと、そこに俺が立つと距離が凄く近くない?」


 有馬さんが俺に立つ様に指示した場所は有馬さんの目前で距離にすると1メートルも間隔がなかった。


「何か問題でも?」

「いや、距離が近いから」

「何か問題でも?」

「…………」


 何言ってんだコイツ、と言いたげな目で俺を見る有馬さん。どうやら怒りだけは収まった様だ。


 なんなんだその顔、こんな距離感で真面に会話ができると本気で思っているのだろうか。


「織原くん、直立不動だと疲れませんか?」

「いや、別に」

「私のここが空いてますので、どうぞ遠慮なく手をついて壁にもたれかかって下さい」


 有馬さんが指定した場所は有馬さんの顔からすぐ隣の部分だった。

 そこに手をついたら壁ドンになるじゃん。

 いいのかな? いや、駄目だろ。常識的に考えて。

 ここはやんわりと断りを入れよう。


「いや、疲れてないよ?」

「時期に疲れますよ」

「……疲れるほど長いの?」

「いえ、疲れるのは主に精神面ですけど」

「…………」


 満面の笑みでとんでもない事を言われた。


「ええ、精神が疲労するならまた今度の機会にでも……」

「早くして下さい」

「はい」


 有無を言わさぬ優等生の圧力に完全敗北した瞬間だった。


「し、失礼します」

「どうぞ」


 俺は有馬さんに一言断りを入れてそっと指定された場所に右手を置いた。


「…………」

「…………」


 無言で見つめ合う俺と有馬さん。

 当たり前の話だが、めちゃくちゃ距離が近かった。


「……なるほど。確かに“これ”は良いですね」


 人の顔を見てポツリと呟く有馬さん。心なしか耳の辺りが赤くなっている気がした。


 近距離すぎて有馬さんの顔が真面に見れないから、俺は有馬さんから目を背けた。


 こんな状況下でどうやって話をするつもりなんだろう。甚だ疑問だ。


「知っていますか、織原くん。人は嘘をついたり都合の悪いことがあると話し相手から目を逸らすそうですよ?」


 遠回しにこっちを見ろと言われている気がした。


「……察してよ有馬さん。こんな近距離で真面に顔なんて見れないよ」

「何故ですか?」

「……それは恥ずかしいから」

「そうなんですか。これは失礼しました。織原くんの思う『楽な姿勢』で聞いてください」


 有馬さんから許可が降りたので俺はとりあえず壁ドンをやめて距離を取ろうとした。


「あっ、立ち位置はそのままでお願いします」

「ええ、なんで?」

「手の届く範囲内でないと織原くんが逃げるからです」

「今度は逃げないよ」

「そうなんですか。付け加えるなら昨日の約束を反故ほごにされた意趣返しという側面もありますけど」

「…………っ」


 意趣返しって。要は嫌がらせって事だろ。

 まぁ、いいか。めちゃくちゃ近いけど我慢しよう。


「時に織原くん、部活は忙しいですか?」


 そんな唐突な質問で有馬さんは意図が読めない会話トークを始めた。


「部員確保で忙しいといえば忙しいけど。部活自体は暇かな」

「そうですか。それは大変なんですね」

「いや、大変ってほどでもないよ。部活が存続できるか怪しいのが気がかりだけど」

「…………」


 有馬さんは無言で俺をジッと見詰める。彼女が何を考えているのか俺には皆目見当もつかない。


「……これは私一個人の意見なのですが、織原くんは部活を辞めるべきだと思います」


 至極真面目な顔と声のトーンで有馬さんは俺にそう言った。


「部活を辞める? なんで?」

「部活動が織原くんの負担になるからです」

「負担って……俺は別に何もないけど」


 そうは言ったけど思い当たる節が完全に無いとは言い切れない。

 負担になる要因なんて探せばいくらでも出てくるのだから。


「本当にそうですか? お世辞にも織原くんのここ一年の成績は特待生を名乗れるほどの基準に達していない様ですが?」

「…………っ」


 また特待生か。何かの呪いじゃあるまいし。心底うんざりする。

 合格することばかり必死でその先のことなんて何も考えてなかったツケがこれだ。


「……学園生活はテストの成績だけじゃないよ。授業だけじゃ知れないことって沢山あると思うんだ」

「……そうですね。織原くんの言いたいことは分かります」


 勉強をしない言い訳をつらつらと語ると意外な事に理解を得られた。

 得られたけど。


「ですが、その発言は人によっては陳腐ちんぷに聞こえるでしょう。特に織原くんの場合は勉強から逃げてる様に聞こえます」


 ピシャリと厳しい意見を出す有馬さん。言っている事はもっともな意見なんだけど……それに共感すると大変な事になるから。


「君は天文部を辞めてもっと勉学に勤しむべきです。……勉強は私がワンツーマンで教えますので」


 ほら、サラッとそういう事を言う。

 そういうのは捉え方によっては善意の押し付けになるから。

 だから真面目な優等生は苦手なんだ。


「というか、この辺りの話は昨日の朝も君に言ったはずなんですが?」


 キッと鋭い目つきで俺をにらむ有馬さん。ヤバイ、聞いてなかったのがバレたか。


「あっ、あー……そういえばそうだったね」

「織原くん。目が泳いでいますけど?」

「き、気のせいじゃないかな?」

「…………」


 とぼけてやり過ごそうとしたら有馬さんのこめかみに青筋が走った。


「やはり、あの時に私の話をちゃんと聞いていなかったんですね?」


 その悪鬼羅刹の表情を見て誤魔化すのは無理だと悟った。


「た、端的に言うとそうなるかな……」


 素直に白状したら有馬さんは「ふぅ……」と溜息をついた。


 そして。


「君って本当にっ、本当にぃー意地悪ですよね!!!」


 今日一番の怒鳴り声で俺の胸に飛び込んで来た。


「織原くんだけですよ私のことをこんなにないがしろにする人は! なんなんですか! わざとなんですか!」


 駄々をこねる小さな子供みたいに俺の胸をポカポカと叩く有馬さん。行動が完全に幼児のそれだった。


「有馬さん落ち着いて。距離がめちゃくちゃ近いから」

「近いからなんなんですか!? 何か問題でもあるんですか!?」


 主に有馬さんの胸が当たって気不味さが限界に近いんですが。あと高そうなシャンプーの匂いに酔いそう。

 反応しない様に我慢するこっちの身になって欲しい。


「もう、もーっ! 織原くんの意地悪! 私の言う事ちょっとは聞いてくれてもいいじゃないですか!」


 ギュッと俺に熱烈な抱擁ハグをお見舞いする有馬さん。人目がないせいだろうか、行動が段々と過激になってきた。


「有馬さん。そろそろ許してよ」

「嫌です」

「ならせめて離れて」

「嫌です」

「…………」


 俺にどうしろと?


 このまま時間目一杯まで有馬さんにハグされていればいいのかな?

 そんなんで解決するならこんなに粘着されてないか。

 面倒臭い。

 言っちゃアレだけど、有馬さんって何かストーカーみたいな怖さがあるんだよなぁ。

 その情報は一体どこから仕入れたのって度々気になってたんだけど。

 キッパリと迷惑って言えたら楽なんだけど。言うほど迷惑でもないから対応に困る。

 なまじ真剣に俺の将来を考えている節があるから邪険に突っ張れない。

 女の子を傷付けると後味が悪いし。

 どうしよう。何か妙案はないだろうか?

 有馬さんの行き過ぎた行動を抑制できる何かが。

 何か、何かと。

 考えに考えて俺が出した答えは『これ』だった。


「……有馬さん。天文部に興味ない?」


 俺の胸に顔を埋めている有馬さんにそう話しかけると彼女はパッと顔を上げた。


「それはつまり天文部に入部しろということですか?」


 こちらの意図を読んだのか有馬さんはキュッと口をとがらせた。


「嫌です。私は都合の良い女じゃありませんので」

「…………」


 頭の良い優等生はやり辛いと思った。

 まぁ、そうなるよな。

 もう交渉の余地はないのか?

 別の手段を考えるか?

 いや、諦めるのはまだ早い。諦めるのはやれる事はやってからでも遅くないはずだ。

 これ以上有馬さんに執拗に付きまとわれるのは御免ごめんだから。いやマジで。


「……有馬さんは知ってる? 天文部にまつわる『ジンクス』のこと」

「ジンクスですか?」

「うん。天文部である事をすると願いごとが叶うってジンクスなんだけど」

「その話し詳しく聞かせてください」


 意外な事に有馬さんが俺の話に食いついた。


「話すから距離とってもらってもいいかな?」

「いいでしょう。不本意ですけど」


 糸口を掴んだ俺はそのまま有馬さんにジンクスの内容を話した。


「天文部の終夜観測に参加して一年の間に流星群の写真を三枚撮ると自分の願いが叶うって話なんだけど」

「どうして三枚なんですか?」

「えっと、一年の中で三大流星群と呼ばれる有名な流星群があるんだ。しぶんぎ座、ペルセウス座、双子座の合計三つ。これを観測して写真に収めるのが中々難しいんだ」

「なるほど、確かにそれは難しいですね」


 ですが、と有馬さんはこう言う。


「そのジンクスは叶った人がいるのですか? というか情報源ソースはちゃんとあるんですか?」


 もっともな疑問を口にする有馬さん。ジンクスに信憑性を求められても正直言って困るんだけど。


「一応は天文部の代々に伝わる伝統的なジンクスらしいよ。去年だと卒業した先輩が二年生の時に成功して志望大学に受かったって話だけど」

「ふむ。どうして二年生の時なのですか?」

「三年生の夏と冬だと部活を引退してるから。あと単純に余裕がないからだと思う」


 しぶんぎ座は一月、ペルセウス座は八月、双子座は十二月。時期的に三年生は受験勉強や就活でそれどころじゃないと思うし。


「なるほど。天文部のジンクスは随分とロマンチックなんですね」


 意外な事に、ここまでの勧誘で一番好感触な反応を見せたのがクソ真面目な有馬さんだった。


 この手の噂話とかあんまり興味なさそうだと思ってたけど。


 勧誘のつかみで話したジンクスはまんま一年の時に『先輩』から言われた内容なんだよなぁ。


「……そろそろ時間ですね」


 スマホで時間を確認する有馬さん。どうやら少なくともこの場からは解放される様だ。

 この後どうなるかは知らないけど。


「部活の件はこちらでも検討しておきます」

「本当に?」


 本音だとあまり入部して欲しくない。だって有馬さんだし。


「ええ、織原くんに情熱的なアプローチをされたので心が揺れました」

「情熱的なアプローチは一切してないけど!?」

「それではまた後で」

「…………っ」


 

 遠ざかる漆黒のタイツが心なしか踊っている様に見えた。


 俺はこの行動を勝手に『有馬ステップ』と命名した。


「………機嫌がいいのか悪いのかよく分からんなホント」


 異性の考えている事はよく分からんと思いながら俺はその場でこっそりとポケットにしまったラブレターを開封した。


 そこに書かれている内容はこうだった。


『今日の放課後、地学準備室に来てください。大事な話があります』

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