第14話 日向子は気のおけない友達、だと思う
「言い訳を聞いてあげる」
放課後になって地学準備室に行くと、そこには鬼神の様な形相で仁王立ちしている日向子の姿があった。
腕を組むポーズのせいで豊満な胸がグイッと強調されて目のやり場に困る。
部室を見渡すと、ここには俺と日向子しかおらず、ケンちゃんの姿はなかった。流石に今日はバスケ部に顔を出していると信じたい。
別に日向子と二人きりの部活は苦痛じゃ無いから良いんだけど。
しかしながら、一番困るのは日向子が
ちょっと放置するとすぐこれだ。きっと将来はメンヘラになるんだろうなぁ。
「人が何回もメッセ送ってんのに既読すらつけないとか、どういう了見よ!」
「悪かったって」
「違うの! あたしは別に謝って欲しいわけじゃないから!」
「うわっ、めんどくさっ」
「はぁ? めんどくさくないし!」
キャンキャンと吠える日向子。うるせーな。そのよく吠える口を一回くらいはキスで
嘘嘘。やったら後が死ぬほど怖いから絶対にやらないけど。
「理由を話すまで今日は絶対に帰さないからね?」
「………………」
「返事は?」
「はい」
どうしてお前はそこまで束縛が強いんだ。俺は別にお前の彼氏じゃねーぞ。
うーん。この口うるささが無ければ日向子は普通に良い女なんだけどなぁ。
気立てがいい。性格に裏がない。ノリも良いし、取っ付きやすい性格という一点なら俺の知っている女子の中でも断トツなんだけど。
ほんと、ここ最近のキレやすさは異常なんだよなぁ。
俺に何か不満があるなら、いつもみたいにハッキリ言って欲しいんだけど。
「うーん。ポスター貼っても見学に来ないかー。これは完全に手詰まりかなー」
俺と日向子しかいない地学準備室は今日も閑散としていた。言い方が悪いと活気というものがまるで無かった。
「……暇ね」
ポツリと日向子が呟いた。
部活とは言っても文化系の部活って暇なことが多いから。
スポーツ系と違って練習もないし。美術系と違って制作活動も頻繁にあるわけじゃない。
そもそも毎日活動する必要もない。
天文部って基本的に地味な部活だから。
「ねえ、利苑。暇だから何か面白い話してよ」
「急に無茶振りすんな。
「ええ、何かあるでしょ。利苑織原のすべらない話とか」
「それやるならサイコロと面子揃える必要があるな。俺一人じゃ無理だ」
「はーつまんない男。女の子と楽しいお喋りができないと後々の将来で困るわよ?」
「うっせ。ほっとけや」
「あーあ、ほんと、つまんないなー」
客対応も無い暇な現状に飽きたのか長机に突っ伏してグデーッと伸びる日向子。うちの
日向子の寝返りに合わせて暗色の長い髪がサラリと流れる。それに合わせて水色のシュシュでまとめられた短い尻尾がへにゃっと机に垂れ下がった。
お前、昔に比べて髪の毛が綺麗になったよな。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで俺は日向子に一つの提案を出す。
「暇なら掃除でもするか?」
「んー、掃除かぁ。具体的にどのあたりやるの?」
「普段やらない場所」
「えー、それって大掃除じゃん」
「暇じゃないと出来ないだろ?」
「確かにそれはそうだけどさ」
コロリと寝返りをうち、こちらをジーッと見詰める日向子。
「で? そろそろ喋る気になった?」
ジトッーと粘着質な視線を俺に向ける日向子。喋るまで帰さないという発言はどうやらガチの様だ。
「俺にだって準備があるんだよ」
「ふーん。じゃあカツ丼出そうか? エアだけど」
エアカツ丼って。そこまでして喋らせたいのかコイツ。
「そんな雑な取り調べで喋るわけないだろ。いいから掃除するぞ」
「はいはい分かりましたよーっと。利苑は重いやつ動かしてね。細かいところはあたしがやるから」
「へいへい分かりましたよ」
「あと高い所もね」
「了解」
そんな会話の後で俺は廊下にある掃除用具の一式を持って来て日向子にそれを渡した。
「ありがと。とりあえず、そこの本棚を右に動かしてね。中身はあたしも出すから」
「あいよ」
日向子の指示で大掃除は順調に進んだ。天文部の部長という立場もありリーダーシップもそれなりに備わっているから、こういう仕切りごとは安心して任せられる。
「よいしょっと」
たゆん、と。持ち上げた教材の鉱物標本に日向子の胸がガッツリと乗っかる。
「おい、日向子。標本持つときは気を付けろよ? 何がとは言わないけど乗っかった重みで標本が壊れるかもしれないから」
「エロい目で見んなスケベ。こっちだって好きで大きくなったわけじゃないんだからね?」
「そうか。それは失礼」
「本当よ。まったく……」
そんな会話があったせいか掃除が終わりそうなタイミングで日向子は俺に『変な質問』を投げかけた。
「……男ってやっぱりエロい身体付きの子が好きなの?」
ゴボゴボと耳に水が入った様な感覚に襲われた。
「…………なんて?」
「んー? なんかさ、最近ていうか高校生になってから妙に気になるのよね。男子のあたしに対する視線ってやつが」
「それは……」
それは中学時代よりも胸が育ったからだろ。少なくとも身体付きは確実に大人に向かって成長しているから。
「男の目線で言うと、お前のむ……スタイルは魅力的に見えるから……無意識でも目が行くのは多少は仕方ないと思うぞ?」
「やっぱそうなんだ?」
「あ、ああ」
言っちゃなんだけど男という生き物はエロい物に興味津々だから。全部が全部じゃないけどエロいことに無関心な奴はいないと思う。
「ふーん。まっ、自意識過剰って頭では分かってるんだけど。利苑もたまーに指摘するから気にはなってたんだ」
「…………その、ごめんな。今まで悪かった」
「んっ、気にしなくていいから。いつもの事でしょ?」
「いや、いつもの事ではないだろ」
指摘されるまで気付かなかった。
精神面でも、日向子はもう立派な女子になっていたことに。
サバサバした性格のせいで時々忘れていたけど。
今度からはちゃんとセクハラにも配慮しないと。
親しき仲だからこそ礼儀は必要だ。
この面倒臭いけど居心地の良い関係をこれからも続けるために。
そう思っていたけど。
「利苑はさ、あたしのこと女の子だって意識してるの?」
そんなことを訊かれたら。
「……昔は意識してなかった」
そう返すしかないだろ。
「ふーん。今は違うんだ?」
こちらの顔を覗き込む様な視線。その顔と空気感で何となく分かった。ああ、また日向子のからかいが始まった。
いじりに付き合えば機嫌も直るだろう。ここは話を合わせてやるか。
そんな『甘い考え』が現実を飛び越えるとは知らずに俺は言う。
「今は違うな。たまーにお前の何気ない仕草にドキッてする時がある」
やだ、キモいんだけど。そんな悪態が返ってくると思っていた。
「……そっか。そうなんだ」
来ると思っていた反応とは違って日向子はまるで別人の様に照れる仕草を見せた。
「……嬉しい。利苑にそう言ってもらえると頑張って高校デビューした甲斐があったかな」
今まで感じたことのない日向子の柔らかい声と表情に胸の内から熱いものが込み上げてくる。
その熱には覚えがあった。
つい最近も俺はその熱に当てられたから。
急な日向子の柔らかい態度に俺は動揺を隠せなかった。
「ねえ、利苑。この際だから一個だけ訊いてもいい?」
俺は日向子のお願いに「ああ、いいよ」と答えた。
「あたし達って友達のままでいられるのかな?」
その質問の意図が良く分からなかった。
「…………分からない。そんなこと考えたことないから」
「……この関係がずっと続くって思ってた?」
「いや、単純にそんな先の事まで考えてる余裕がないだけだ」
「……余裕ないんだ?」
「ああ、無い。少なくとも今は目先のことで頭がいっぱいだ」
それって、と日向子は言う。
「最近忙しそうにしてるのと何か関係あったりする?」
「……………」
意図的かは分からないが、上手く誘導されたなと思った。
「また一人で抱え込んでない?」
心配そうな瞳で日向子は俺を見る。
「余裕がないなら頼ってよ。あたしってそんなに頼りないの?」
「それはない。日向子はすげー頼りになるし」
「嘘。肝心な事はいつもあたしにだけ内緒だったじゃん。高校受験の時だって──」
「日向子に迷惑かけたくないんだ」
人の心に土足で遠慮なく入ってくるのが日向子らしいと思うし、それが日向子の魅力だとも思ってる。剥き出しの感情で俺にぶつかってくるのも心のどこかでそれが心地良いと思う時だってあった。
だからこそ予防線が必要なんだ。
気のおけない友達だからこそ言えない事だってあるから。
「それってあたしが迷惑だって思う様な事なの?」
「ああ、場合によってはな」
「話してくれないんだ?」
「言っただろ。準備があるんだよ」
「話すまで帰さないって言ったよね?」
「…………はぁ」
今回ばかりは俺が折れた方が良さそうだと思った。
「後悔すんなよ?」
「今更何を言ってんの。今も利苑と友達続けてる以上の後悔なんてないから」
「お前、たまにサラッと酷いこと言うよな」
「そ、それはいいから。早く教えて」
「…………?」
微妙に顔が赤いのが気になるけど。まぁ、いいか。
「ああ、分かったよ」
日向子の根気に負けて俺は牛丸先生に頼まれた
「なるほどね。事情は分かった」
得心がいったのか、日向子はうんうんと頷いた。
「はぁー、女子の闇を利苑一人でどうこうしようなんて無謀もいいとこよ。ほんと」
「女子の闇ってお前。言い方」
「女子の闇は女子の闇よ。いやーあたしも星野さんの気持ち分かるなー」
「ええ、日向子ってやっかまれるほど男に媚び売ってたんだ意外」
「一発いっとく?」
「ごめんなさい」
俺はシャドーボクシングを始める日向子を見て会話に余計な茶々を入れるのをやめた。
「何にせよ。とりあえず星野さんを連れて来なさいよ」
「話聞いてたのか? 星野さん人間不信になってんだよ」
「大丈夫。あたしが友達になってあげるから」
「…………」
任せろと言わんばかりに胸を張る日向子。ブラウスのボタン飛ばねーかなと思った。
「言ったでしょ。利苑に頼られるのは悪い気しないって」
「……ありがとな」
「にひひー。どーいたしまして」
ほんと、面倒見がいいヤツだ。
お前のそういうとこ、素直に凄いって思うよ。
日向子に話して気持ちが軽くなったのは単なる俺の気のせいではないと思う。
下校時刻の放送が流れ、俺と日向子は綺麗になった部室に一種の満足感を覚えてからソッと戸締りをした。
「んーっ。何かあたし、色々と綺麗にしたらお腹空いたなー」
「いつもの肉屋に寄るか?」
「もち利苑の奢りで」
「ふざけんな自分の金で払え」
「えー……じゃあ、シェアしよ。お金とメンチカツ半分こで」
「いいけど。間違っても食いかけ渡すなよ」
「……チッ。作戦がバレたか」
「お前、本当に食い意地はってるよな」
一緒に帰路について、肉屋に寄り道して、メンチカツを買い食いして、そして、日向子は沈みかけた夕陽を見てポツリと呟いた。
「……なんかさ、あたしはこの際、部活は利苑と二人きりでも良いかなって思うんだ」
その横顔は夕陽よりも遠くの景色を見ている様な気がした。
「あん? 馬鹿か? 二人だと部活が存続出来ねーだろ」
「ははっ、ごめん。今のは忘れて」
「…………おう?」
日向子と別れた後も俺は首を傾げながら色々と考えていた。
「……なんだろ。なーんか大事なことを忘れてる様な?」
まぁ、いいか。忘れる様なことなんだ。きっと大した用事じゃないんだろう。
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