第11話 有馬さんはクソ真面目ガール

 何気ない朝の通学でもイヤホンとスマホさえ有れば気分だけは上々だった。


 イヤホンを耳に付けてしの歌手アーティストを選び、お気に入りの楽曲ナンバーを流せば脳内空間は自分だけのライブ会場になる。


 一日の活力エネルギーは口からよりも耳の方が摂取しやすい。


 心の栄養だけは口からだと摂取できないから。


 やっぱSiriusは俺にとって神だ。もうずっとこの歌を聴いていたい。

 疾走感のあるノリのいい曲はテンションが上がるし、朝の通学にもってこいだ。

 ギターを弾きながら歌う歌姫コーデ(ちょっとエロい)の大神さんを脳内で妄想しながら聴くと幸福を感じる脳内物質(オキシトシン)が採掘したばかりの油田みたいにドバドバ出てくるから是非ともみんなにこの聴き方をオススメしたい(早口)──とか言うと信者キモいとか言われるんだろうなぁ。分かります。


 でも。ファンてやっぱり信者みたいなものだと思うんだ。


 神を崇拝する気持ちは一種の憧れみたいな感情と似ていると思うから。

 いやーエモい。

 俺ってやっぱり『沼』にハマっているのかなぁ。

 いや、沼だとイメージ悪いな。例えるなら泉。そう俺はSirius泉にハマってるんだ。もしくは教団。名前はSirius教で。

 天文部の部員確保とSirius教の信者獲得はどっちがより困難なのだろう。

 どちらにせよ布教活動は必要だよな。

 いっそ大神さんを天文部の部長に祭り上げてついでに教団を設立しようか。


 そんなしょうもない事を考えて登校していると──校門の前で待ち構えている一人の女子生徒が目に入った。


 スラリとした漆黒のタイツと青みがかった長い黒髪と黒いリボンが強烈な印象を与える。


 遠目からでもあれが誰なのかは瞬時に判別できるので俺はそっとイヤホンをポケットにしまった。


 あくまでも平常心で。俺は何もやましい事はしてないし。

 くわばらくわばら。

 今どき抜き打ち風紀チャックとか時代錯誤にもほどがあるだろ。


 頼むから何も起こらずに素通りさせてくれ。


「織原くん。ちょっといいですか?」


 ビクウッ!


 校門を素通りしかけたタイミングで隣から声をかけられた。その声を聞いたら思わず身体がガクブルと震えてしまった。


「な、なに? 有馬ありまさん、俺に何か用でもあるの?」

「はい。織原くんが挨拶もなしに私の前を素通りしそうだったので不躾ながら呼び止めさせてもらいました」


 呼び止められて迂闊うかつに足を止めてしまった俺は心の中で嘆きの声をあげる。


 流石は風紀チャックの検挙率ナンバーワンの有馬さんだ。どんな些細な事でも見逃すすきが無い。


「おはようございます織原くん。本日も時間ギリギリの登校ですね」

「おはよう有馬さん。朝から生徒会役員の仕事お疲れ様」

「いえ、このくらいは慣れたものです。お気遣いありがとうございます」


 うん。挨拶って大事だよね。

 ほんと有馬さんはクソ真面目だよなー、俺なんかにもわざわざ声かけるんだから。


「じゃあ、俺は教室に行くから」

「待ってください。まだ話は終わってませんよ」


 ガシッと腕を掴まれた。生徒会役員に補導された瞬間だった。

 チイッ、逃亡に失敗した!

 脳内バトルコマンドで必死に『逃げる』を連打しても拘束された腕は一向に解放される気配はなかった。


「知ってますか織原くん。警察官やパトカーから逃げる人物は大抵の場合過去や現在で何かしらの違反や軽犯罪を犯しているケースが多いんですよ。何故だか分かりますか?」

「……それは、後ろめたい事があるからでは?」

「流石は織原くんですね。理解が早くて助かります」

「いや、そんな事はないよ」


 そんな事を言われても全然嬉しくなかった。だって有馬さんは本気で俺を褒めてるわけじゃないから。


「つまるところ、織原くんは何かしらの後ろめたい事があるために私から逃げようとしている訳なんです。分かってくれますか?」

「そ、そんな事はないよ?」


 やっぱりな。そういう返しが来ると思ってたよ。


「そうですか、違うんですね。これは失礼しました」

「う、うん。そういう訳じゃないんだ」


 逃げる理由は単純に俺が有馬さんのこと苦手だからなんだけど。


 彼女、同学年の有馬有彩ありま ありささんとはちょっとした縁(因縁とは言わない)のある関係だ。


 この学校、天城星雲の特待生推薦の集団面接でたまたま俺と一緒のグループだったのが有馬さんだ。


 面接試験で色々あったけど、お互い特待生として推薦に合格したのは良かったと思う。けど、俺の素行にちょっとした問題があって、それが色々と尾を引いているというか。目をつけられているというか。


「じゃあ、もう私から逃げる必要はありませんよね?」

「……え?」

「ということで、織原くん。君には言いたい事があるので少しばかり向こうで私とお話しをしましょう」

「いや、ちょっと時間が──」

「大丈夫です。時間は取らせませんので」


 有馬さんは俺の腕を掴んだまま強引に引っ張って「こちらです。ついて来てください」と、どこかに連れようと誘導する。


 有馬さん、こんな時間に俺をどこに連れて行くつもりなんだろう。

 ……はっ!? まさか職員室なのか? 俺の素行の悪さを教職員に告発するとか?


「では、ここに座りましょう」

 

 連れてこられた場所は意外にも中庭のベンチだった。


「…………え? ここなんだ?」


 拍子抜けというか意外だった。

 有馬さんが指定した場所は学園ヒエラルキー(カーストとも言う)高めの人が主に利用する中庭の中でも格別に日当たりの良いベンチ、通称『逢い引きベンチ』と呼ばれるスポットだった。


 逢い引きベンチという呼称がうちの学校で浸透している一番の理由はこの場所のベンチを頻繁にカップルが使用しているとか、このベンチに男女で座るとカップルになれるとか眉唾な噂が誠しなやかに人から人へと語られているからだ。

 俺はその噂をケンちゃん経由で知ったけど。

「早く座ってください」

 先にベンチに腰掛け俺に座るように促す有馬さん。

「本当に座るの?」

「何か問題でも?」

「いや。問題はないけど……」

 こんな場所で何を話すんだろうという疑問はある。

 疑念を抱きつつも俺はベンチに腰掛ける。


「それで、話しって何?」

「……まだ分かりませんか?」


 少し不機嫌になり始めている有馬さん。顔が微妙に怖かった。


「織原くん。制服のボタンを閉め忘れてますよ」

「…………うん。そうだね」


 だって学ランの第一と第二ボタン閉めると首が苦しいもん。


「指摘されているのに直さないんですか?」

「…………うん」

「呆れました。人がわざわざ更生する機会を与えたのに直さないんですね」

「……えっ? まさかそれだけのためにわざわざ呼び出したの?」

「いけませんか?」

「…………っ」


 有馬さんのクソ真面目具合に軽く引いている自分がいる。

 有馬さんどんだけー。


「見るに堪えません。私が直します」

「えっ?」

 有馬さんに不意を突かれて白くて小さい手がキュッと俺の襟元を掴む。


「ジッとしてて下さい」

 有馬さんは俺の首元に顔を寄せ制服のボタンを凝視する。


 顔を寄せられたせいか長い髪からふわりとシャンプーの良い香りがした。


「まったく君は本当にだらしがないですね」

 有馬さんはまるで旦那のネクタイを締める新妻の様な手つきでせっせと作業する。


 普通ならこういうシチュエーションは男の憧れだし、ドキッとしても不思議じゃないんだけど。


 残念なことに有馬さん相手だと萌えないというか。なんというか。

 いや、ルックスはかなり綺麗だしスタイルも文句の付けようがないほどいい身体なんだけど。


 見た目以上に性格が萌えないというか。難があるというか。

 失礼だけど友達はともかく彼女にはしたくないタイプの女子だと思う。俺の場合はだけど。

 だって──。


「あまり私を困らせないでください。貴方がこうして粗相そそうを働くと“同じ特待生の私”まで素行を疑われますので」


 悲しいけど有馬さんはこういう事を平然と言う子なんだ。


「まったく嘆かわしいです。面接試験で私の事を助けてくれた織原くんが蓋を開けたら素行の悪い不良生徒なんですから」


 くどくどとお説教を垂れ流す有馬さん。ああ、またこのパターンかと思った。


「ちょっと織原くん。真面目に聞いていますか?」

「うん。聞いてるよ」


 これは時間ギリギリまで説教が続くな。


「だいたい織原くんは普段の生活からしてだらしがないんです。登校時間はいつもギリギリだし、下校時は寄り道をして買い食いばかりするし、学校の校則をなんだと思ってるんですか?」

「はい。すいません」


 俺は時間いっぱいまで適当に相槌をうって聞き流す作戦を決行した。

 こういう説教が好きな手合いは好きなだけ語らせればだいたい満足する。


 説教好きは自分語りが好き、爺ちゃんもそんな感じだし。

 要は自分の話を誰かに聞いてほしいんだと思う。


「ですので──」

「はい。すいません」

「だから私は──」

「はい。確かに」

「というわけで──」

「はい。そうですね」


 聞いてないのにあたかも聞いている風を装ったせいか、有馬さんは唐突に一言。


「では決まりですね」


 そう言って有馬さんはさっきまでの不機嫌オーラが嘘の様にパッと明るい顔を浮かべた。


 いつの間にか説教が終わっていた。


「では約束通り、放課後は図書室に来てください」

「えっ……?」


 約束? 図書室? 有馬さんは一体何を話したんだ?


「まさか、聞いていなかったのですか?」


 キッと顔が不機嫌になる有馬さん。こういう分かりやすい表情の変化は個人的にありがたいけど……怒る時だけだとあまり意味ないんだよなぁ。


「まさか、放課後に図書室でしょ?」

「分かっていればいいんです」


 この時、そんな風に嘘をぶっこいたせいで俺はこの後とんでもなく面倒くさい事態に巻き込まれることになるわけなんだが……今はそんなこと想像すらしていなかった。


「では織原くん。放課後に逢いましょう。色良い返事を待っています」


 そう言って有馬さんは先に席を立ち自分のクラスである二年C組の教室に向かう。


 心なしか足がスキップしている様に見えたのは俺の目の錯覚なんだと思う。


「有馬さんみたいなクソ真面目だけが特待生で生徒会役員で社長令嬢とか絵に描いたような優等生のトリプル役満をキメれるんだろうなぁ……」


 愚痴みたいな独り言をポツリと呟き俺も自分の教室に向かう。


 あんなヒエラルキー最上位の優等生がこの先も執拗しつように絡んで来ると思うと俺の学園生活の先行きが不安で不安で仕方がない。

 

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